第21話 何を隠そうこの兄貴
「兄貴…………」
「春輝、体操服忘れただろう? だから僕が届けに来たんだ!」
にこやかに春輝と話す春輝の兄―――――羽衣陸と、これまたにこやか……………ただし引き攣った顔で話す春輝の顔を、俺はチラリとみる。
しかし俺の優秀な脳は数秒で答えを導き出すと、踵を変えて廊下へと足を踏み出した。
「あ、優雨くん!? 優雨くんじゃないか!」
「あ、お、……………お、お久しぶりです……………」
相変わらずパワフルなこって。
俺がそう思いながらじっと春輝を見つめると、そいつは真っ青な顔でぶんぶんと首を振る。
声を発さずに『裏切者』と伝えられたそれに朝の約束を思い出して、俺は思わず目を逸らした。
「おい!」
「すまん春輝……………」
反対方向へと向いているつま先の向きを変えるつもりがない俺に、春輝は恨みがましい視線を送り続ける。
数十秒のにらみ合いが続いた果てに根負けした俺は、すらりとした出で立ちのその人と向き合った。
「陸さん、こんにちは。今日は春輝の授業参観だからいらっしゃったんですよね?」
「うんそうだよ! この日のために大学を真面目に受けていたといっても過言ではないから!」
「兄貴……………頼むから偏差値が高い医大はそれ以外の理由で真面目に受けてくれ…………」
真っ白に燃え尽きた灰のように突っ込みを入れる春輝の顔を、陸はにこにこと見つめる。
「ねえ優雨くん、春輝はどんな顔も可愛いと思わないかな!?」
「ソウデスネー…………」
この会話からわかる通り。
何を隠そう春輝の兄は、自他ともに認める中々の弟大好きっ子―――――ブラザーコンプレックス、というものである。
◇◇◇◇◇
「今日も一日楽しかったなあ…………」
「無理やり今日を終わらせようとするな」
俺が目を遠くして呟くと、先ほどよりは少しだけ回復した春輝が突っ込みを入れる。
体育の授業が始まり少しだけ兄からの距離は離れたことで安心したのか、サッカーのパス練習のこの時間では安定したボールが返ってきた。
そしてまた緩やかなカーブを描きながらも俺の足元にすぽりと収まったボールを見つめた後、俺はそのボールを蹴り返す。
「パス練習終わり―」と響いた声に春輝がボールを拾うのを確認してから、俺は春輝へ耳打ちした。
「………おいお前、ほんと「あれ」どうにかしろよ」
「優雨頑張れ」
「お前の兄貴だろ…………」
グッドラック、とばかりに親指を立てる春輝の指をへし折りたい気持ちになりながらも、そんなことをやったらいくら友達でも陸がどんな行動をするかわからないのでやめておく。
代わりにジャージをこぶしの中で丸めてアンパ〇マンの手のような状態で春輝の背中を殴り、俺はサッカーの試合の説明を聞く。
その間にも足元でころころとボールを転がしている春輝を咎めようとした先生が、後ろから見つめられる春輝兄の視線に気づいたのか、びくりと肩をすくませて何事もなかったかのように説明を続けた。
「試合は15分×3試合な。合計六チームあるだろうから、あとで順番を決めてプレイするように。配置も各チームで話し合え」
最期にそう言いのこしてそそくさとその場を離れていった体育教師に、心底同情する。
セコムはそんな姿を安心したように眺めると、反対に死んだような眼をしている春輝に笑顔を送った。
「春輝、頑張ってね!」
「ああ…………」
もう嫌だ、と呟いた春輝の声は聞こえなかったふりをする。
そんな春輝の背中を押しながら、俺は3クラス合同で行われるため他のクラスも混ざっているチームの輪に入っていく。
三試合目に出るらしい旨を聞いて簡単に
「でも、弟とか親御さんとか、おじいさんとおばあさんいないじゃん」
「いる方がおかしいんだよな逆に…………」
「なんか今日ねちっこいぞお前」
「お前が割り切りすぎなんだよ。他人事だと思って」
「まあ他人事だし」
俺は淡々とそう返しながら、目の前で行われている一試合目を見つめる。
赤チームが持っているボールは青チームのゴールからの方が近く、そしてボールを持っている人は囲まれている。
焦ったように周りを見渡すそいつを見ながら、俺は体育教師から渡されたサッカーボールをきゅっきゅと音を立てながら磨いていく。
そこから青チームのフォワードがあっという間にボールを奪い、敵陣を軽々と抜けていくその姿に、俺は「あいつはサッカー部員だろうな」と内心呟いた。
そして一分もたたないうちに形成が逆転され、青チームが一気に優勢。
そうやってボールを見ながらも分析している俺に、春輝が言葉を落とす。
「―――――なあ優雨。お前もう、サッカーをやる気はないのか?」
ゴールキーパーが受け止め損なったボールは居場所をなくし、ゴールネットの『ザシュッ』という音が俺の耳へと届いた。
試合終了を表す、甲高い笛の音だけが校庭に響く。
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