それぞれの前日2 姫宮雫・天照優雨
カタ、と隣の部屋から、小さな音がした。
右隣から聞こえたそれは、きっとクラスメイトであり数少ない友人でもある優雨のものだろうということは簡単に推測できる。
ベッドに寝転んでいた私は、ごろりと寝返りを打ってポケットからスマホを取り出す。
電源をつけていつも使う
『まだ、起きてる?』
まあ、音が聞こえたくらいだから起きてるよね、と思いながらも一応確認のためにトトトっと送る。
ピコンッと僅か20秒足らずで『ああ』と返ってきた簡潔な返事に、私は思わず苦笑した。
「そういえば、アプリの上にある履歴が嫌いだって言ってたっけ」
くすり、と笑った瞬間もう一度音が鳴り、続けて『何か用か』と送られてくる。
その言葉に少しだっけむっとした私は、先ほどと同じトークをもう一度開いて指を動かす。
『用がなきゃメールしちゃいけないの?』
『ああ』
『そこはそんなことないって言おうよ』
だけど続けてくれるんだよね、と緩む口元を抑える。
顔を顰めながらもいつも乗ってくれる優雨は、メッセージアプリでも健在のようだ。
『ねえねえ、明日も一緒に行っていい?』
『一人で行ってください』
『え? やだ』
『なあ今の聞いた意味あったか?』
いつも通りの雰囲気に、いつも通りの会話。
まあ少しは女の子扱いして丁寧に接してほしいよね、と思った私は悪くないと思う。
(……………他の女の子と喋るときは、もっと丁寧なのに)
少なくとも、「ぶっ飛ばすぞ」とかは言わない。
渚咲さんにも、砕けた口調だけどきちんと女の子って言う線引きはしている気がする。
まあ、元々は私が性別を勘違いされてたことが原因なんだけど。
他の女の子への対応を思い出していると何となくむかむかしてきた。
それから思い立ったが吉日と指を動かし、一時間ほど雑談していた中、さっき話していた話題を無視してメールを送信する。
『優雨、明日の授業参観なんだけどさ』
『今までの話題ぶった切ってくるじゃん』
『優雨のお父さんとかお母さんとか来る?』
そのメールを送った瞬間、すぐに返ってきていたメールが既読のままスルーされる。
続けて『おーい』『見えてる?』などと送ったメールも既読になったままで、私は優雨が怒ってしまったのか少し不安になった。
(話の話題を無視したのが、嫌だったかな)
いつものノリだとそんな風なので勝手にいいと思っていただけで、優雨は本当はいつも嫌だったとか。
それとも、さっきの話題がそんなに重要なものだった?
いや、それだったら優雨が本当は嫌だった確率の方が何倍も高い!!
謝らないと。
そう思って『ごめん』の三文字を打って送ろうとしたその瞬間、ポンっとメールが送られてくる。
思わず目を瞬いて呆然とした後、慌てて起き上がってメッセージを読んだ。
『わからない』
その一言から、なぜか目が離せなかった。
何故、と聞かれたら、それこそ本当にわからない。
なんとなく、ただの勘。
だけど、その『なんとなく』が優雨にとっては重要な気がして、私が踏み込むべきではない気がして、慌てて話題を逸らした。
『そろそろ寝ないとね』
『そうだな。じゃあ、おやすみ』
『おやすみ』
最後にスタンプを送り、スマホの電源を切る。
ブチっと音が鳴って真っ暗な画面になったそれを、私はベッドサイドの充電器に差した。
「私だったら、聞かれたら嫌だったのに」
本当に私は最低だ。
自分が聞かれたら嫌なことを、優雨だからと思って簡単に聞いてしまう。
そしてちらりと机の上にある、不参加に丸を付けた『学校開放日のお知らせ』のプリントに視線を移した。
………………最近は、少し優雨に甘えすぎだ。
「……………そろそろ…………優雨に甘えてる…………癖を………直さないと…………」
まどろみの中で呟いたとき、私の視界は真っ暗になった。
◇◇◇◇◇
「…………どうしような、これ」
目の前にあるA4のプリントを見つめ、一人でポツリと呟く。
夜中の11時ということもあり静かな空間に、俺の声だけが静かに溶けていった。
プリントにある答えは二択。簡単だ、どちらかに丸をつければいい。
でも——————
ピコンッ!
「………なんだ?」
机の上に無造作に置いてあったスマホが鳴り、俺は裏返しにしていたそれをひっくり返す。
『まだ、起きてる?』と簡潔な要件だけ書かれたメッセージの宛名を見て俺は思わず口元を緩めた。
『ああ』
『何か用か』
『用がなきゃメールしちゃいけないの?』
端的なメールを送ると、むくれているむくれている雫の姿が容易に想像でき、俺は思わずふっと笑う。
からかい半分で『ああ』と送ると、『そこはそんなことないって言おうよ』というなんとも雫らしい返事が返ってきた。
しばらくたわいもない話をダラダラとしばらく続けていたが、俺はふとカチカチと僅かに音を立てながら進む針に視線を移す。
そろそろ日を跨ぐから寝ようかな、と思った瞬間、途切れなく続いていた会話がぷつりと途切れ、なんの脈絡もないメールが届いた。
『優雨、明日の授業参観なんだけどさ』
『今までの話題ぶった切ってくるじゃん』
『優雨のお父さんとかお母さんくる?』
そのメールに、俺は返信しようと動かしかけた指がピタリと止まる。
はっ、と吸った息は妙に途切れ、俺は視線を無意識のうちに机の上へと動かした。
『学校開放日のお知らせ』
そう書かれたそれには、保護者が出席するか否か、どちらかを囲む欄がある。
本来なら一瞬で終わってしまうその作業の場所は空欄で、俺はぐっと唇を噛み締めた。
何故だか動かない手から目を逸らし、俺はしばらく放置していたスマホを手に取る。
『わからない』
そう打ってしまったとき、「しまった」と反射的に思ってしまったけれど、何故かそれを消すことができない。
息を止めてじっとスマホを見ていると、『そっか』という言葉に続けて『そろそろ寝ないとね』というメッセージが返ってきた。
それに小さく息を吐きだして、俺は自分自身に嫌気がさしながらも、なんとか何事もなく会話を終わらせた。
「…………お母さん、か」
母が————もう母と呼ぶことすら許されない人が来てくれるはずがないと、分かっているのに。
期待するだけ無駄だと、頭ではきちんと理解してるはずなのに。
どこかで「もしかして」と思ってしまう感情と、「そんなわけがない」と極めて冷静に客観的な決断を下す理性。
けれど、提出期限は明日…………正確に言うと、今日まで。
俺は覚悟を決めてペンを持つと、何も書いていなかったその場所に――――――丸を付けた。
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