文化祭準備の準備
第11話 『呪い』
―――――なぜか、昔住んでいた家にいた。
昔と言っても、2年半ほど前までは毎日そこで暮らしていたところだけれど、俺にとっては、思い出したくない…………思い出してはいけない『昔』の家。
最初は、5歳ごろの記憶。
父も母もいつも笑っていて、俺も笑っていて。
毎日毎日が楽しくて、休日は海など行ったり、平日でもたまに早く帰ってきてくれるときは、母と二人で父の帰りを待っていた。
父の誕生日には母と一緒にケーキを作って、母の誕生日には父と一緒にプレゼントを選びに行って、自分の誕生日には父と母がこれ以上ないほど祝ってくれる、そんな毎日。
次は、8歳ごろの記憶。
その時も家族全員笑っていて、父の仕事は少し忙しくなったけど、その分空いた時間はたくさん遊んでくれてうれしかった。
8歳から9歳になった時はペンダントをくれて、それに家族みんなの写真を入れた。
それを肌身離さず身に着けて、少し落ち込んだことがあってもそれを見るだけで元気が出た。
―――――そして、14歳。
今でも鮮明に思い出すことができる。
その日は父の誕生日で、俺は例年通り母と一緒に父が仕事に言っている間にケーキを作っていた。
『父さん、いつ帰ってくるかな』
『そろそろだと思うから、優雨は落ち着いてね』
スポンジも出来上がって生クリームも縫って、あとはデコレーションするだけだ、とそう言って母と笑っていた時、――――電話が鳴った。
今思えば俺は、もうその時点で嫌な予感を感じていたのかもしれない。
何となく背筋に悪寒が走って、「今は忙しいからあとにしようよ」といつもなら言わないことを言った俺に対して母が呆れたように笑う。
そんなことしちゃだめよ、と微笑んだ母が受話器へと駆け足で向かっていくのをただ見送っていた。
そして――――最初は笑顔で対応していた母の笑顔が、見る間に真っ青になっていって。
母の手から滑り落ちた受話器が、『ゴトン』と鈍い音を立てた。
落ちた受話器から、微かに漏れ出てくる声に耳を澄ます。
『天照さんの家で間違いありませんよね。聞こえましたか? 旦那さんが――――――』
その日から、笑顔が溢れていた家から表情が消えた。
病院に駆けつけたときにはもうピクリとも動かない父の姿を見て、俺も母も最初は涙すら流れなかった。
寝起きの悪い父のことだから、いつものように俺が起こしたら「おはよう」と言って何事もなかったかのように起きてくれるんじゃないか、と思った。
けれど俺が何度声をかけても、一言も声を返してくれなくて。
ずっとずっと呼びかけて、揺さぶって、それを引き留める病院の人達を引きはがして、声が掠れたまま父の名前を呼んで。
それでも返事をしない父の姿に、やっと俺は――――――父がもう帰らぬ人になってしまったのだと、理解した。
――――――父は数年前からずっと、会社でパワハラを受けていたらしい。
原因は嫉妬で、父と一緒にいた母を見て好きになった上司からの嫌がらせだった。
それはパワハラと訴えるにはあまりに証拠を残されていなくて、訴えるにも訴えられない状況だったらしい。
ここ数年父の帰りが遅かったのは、その上司のせいだということも後から知った。
そしてその日も当たり前のように残業させられていて、ずっと積み重なった疲労が一気に襲い掛かって倒れた、というのが父が死ぬさまでの経緯。
上司はそのことを聞いても知らぬ存ぜぬを突き通し、挙句の果てに母へとプロポーズをしたらしい。
母は最後までそれを聞かなかったらしいけれど、俺はそんなことよりも母自身のことが心配だった。
母は父が亡くなってから表情が消えてしまって、嬉しさも、楽しさも、悲しみも―――――亡骸となった父を見て涙を零した以来見ていない。
父がいなくなってから働き始めた母は、どの記憶も無表情で、やつれてしまって、昔の母の面影なんて少しもなかった。
母の代わりに家事をこなして………まあ料理だけは唯一出来なかったが…………母が帰ってきた時、少しでも落ち着けるような家にしたかった。
そして、もう一度母に笑って欲しい、と。
ただ、それだけだった。
それ以外、何も望まなかった。
『………母さん?』
それなのに、学校から帰ってきたある日、母がナイフを取り出しているのが見えて。
無表情でそれを見下ろした母の顔が、やけに切羽詰まっているような、追い込まれたような顔をしてるのが気になって駆け寄ると、母は俺の顔を見て恐怖の表情を浮かべた。
『いや、やめて、離して…………』
『母さん、母さん!』
『もうやめて!』
—————俺はその日、父が死んだ時から無表情だった母が感情を乱すのを、初めて見た。
『私をもう、母だなんて呼ばないで!!!』
血の繋がった唯一の肉親は、言い訳をすることが出来ないほど、はっきりと俺を拒絶していたのが嫌でもわかって。
そして、次の日の中学校の卒業式の後、そのまま家に帰ることなく、元々叔父が住んでいたというマンションの部屋にいくため、5kmほどの距離をずっと歩いていく。
俺は、母のそばに—————今はそう呼ぶことすらも許されないけれど————居てはいけないと、そうわかった。
だから俺は、離れる選択をする。
――――――この『呪い』は、一生消えることはないのだから。
◇◇◇◇◇
「……………また、この夢か」
はっと目が覚めたときには、ここ二年ですっかり見慣れてしまった天井があって、それを見てやっと俺は我に帰る。
そしてゆっくりと起き上がって息をついた時、自分の服が汗でぐっしょり濡れていたことにも気づいた。
それを洗濯機に放り投げ、俺はいつも通り朝の支度をする。
洗濯機を起動させた後、ご飯を食べて、制服を着て。
そしてすべてが終わって家を出る時間になった時、俺はふと懐からペンダントを取り出だした。
所謂ロケットペンダントというそれをパカリと開くと、まだ9歳だった俺と、母と父の笑顔が目に入る。
「――――――行ってきます」
―――――――――――――――――――――――
少し早めに投稿です。
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