第4話 地球人だって宇宙人



引っ越したい。


切実にそう願ったのは、姫宮雫—————通称『眠り姫』と呼ばれている彼女と同じマンションの上に、部屋が隣という事実に気付いた翌日である。


けれど現実としては俺にそんなことをする権利はないし、そもそも引っ越すためのお金がない。

つまるところは不可能ということだ。



「…………起きるか」



現実逃避をしている脳から無理やり思考を逸らし、わざと声を出してベッドから起き上がる。

昨日は、片やわざとらしくドン引きし、片や無言で扉を閉めているせいで話にならなかったけれど。


スーパーで買ってきた食パンをトースターに入れて温めながら、俺は焼きあがったそれをもそもそと食べた。



『ありふれたような平凡な人生を歩む』



それが俺の座右の銘であり、俺の唯一の願いでもある。

たくさんある中でただ一つ、それだけは守らなくてはならないものだ。



『優雨、カフェラテちょうだい』



―――――いつもカフェに通っていた、学校とは全く違う雫の顔を思い出す。

一瞬動きが止まりかけた腕を無理やり動かして、俺はぶんぶんと首を振った。


彼女が学校とあの場所喫茶店の態度が違うのに何か理由があったとしても、俺には関わる義務もなければ権利もない。

だから、俺には関係ない。…………関係ない、はずだ。



『学校、話し相手いなくて寂しいなー』



昨日の、ふざけた口調で寂しそうに笑う雫の横顔が思い浮かんだ、けれど。

先ほど無理やり動かしていたはずの手が、また止まる。


知らぬ間に考え込んでいたのか、思っていたよりも針が進んでいる時計を見て、俺は慌ててバッグを手に取った。


例え、あいつがどんな状況に陥ってたとしても。


それでも、俺は関わらない。

俺はただ、エキストラとしての役割を全うするだけ。



—————お姫様を助けるのは、いつだって王子様と決まっているのだから。



バッグに筆箱を入れながらそう考えた瞬間、不意にインターフォンの音が鳴る。


不審に思いながらも取り敢えず制服を着終わった時、もう一度催促するように同じ音がした。



「はいはい」



制服に腕を通しながらガチャリと鍵を開けた時、さらりと風に靡くアイスブルーの髪が目に入る。

それはもちろん、まごうことなく昨日会ったばかりの少女であって。



「おはよう、優雨」

「マジかよお前」



数秒前の俺の葛藤を返せ、と呟いた俺に、彼女はなんのことだと首を傾げて見せた。






◇◇◇◇◇







「…………なあ、雫。俺、昨日学校では関わるなって言ったよな?」

「でも私頷いてないよね」



俺が笑顔でそう言うと、彼女はにっこりと笑顔を返しながら返事をする。

その言葉で昨日の会話を思い返すが、確かに彼女は承諾をしたわけでもなければ頷いたわけでもない。


まんまと手のひらの上で転がされていたことに気づいた俺は、早々にこの虚しい思考から離脱したが……………すぐに今の状況を思い出してを見た。



「あなたは宇宙人ですか?」

「いいえ、地球人です」



まるで英語の定型文みたいな会話を交わす。

しかし、彼女が宇宙人じゃないのなら、なぜ俺たちは同じ時間に同じ道を歩き、一緒に登校という小学生や恋人同士しかやらないことをしているのだろう。


…………ああそうだ、地球人だって宇宙人だった。


語弊があるようで悪いが、俺は雫と登校すること自体が嫌なわけではない。

嬉しいわけでもないが、今まで喫茶店で一緒に過ごしてきた時間がなくなるわけでもないし、女ということに抵抗がない……………と言ったらウソになるけれど、別に普通の女子だったらそこまで気にすることはない。



だがしかし。

ここにいるのは、『普通の女の子』ではなく、我らがヒロイン『眠り姫』である。



現実にいることが信じられないくらいの絶世の美少女と、平凡な見た目であるただの高校生男子が一緒にいたらどうなるかって?



―――――注目を浴びるに決まってる。



「逃げるぞ」

「え? なんで」

「なんでもだ」



そろそろ同じ制服の人たちが増えたことで、人の視線……………というよりどこか殺意すら感じるそれがきつくなってきた。


戸惑うというより心底わからない顔をしている雫の手を握り、俺達はその場から駆け出す。



「へえ、優雨って意外と走るの早いんだね」

「俺の前を走っている奴がそれを言うか?」



最初は俺がリードしていたはずが逆に引っ張られている状況を見て、俺は呆れたようにため息をつく。

「でも、本当にこんなことする必要あるの?」と言った雫に向かい、俺は駅の方面―――――つまり学生たちがたくさんいる方へ指を向けた。



「なんであいつ眠り姫と一緒に登校してんだよ」

「というか、なんで手握ってるんだ?」

「それよりも名前呼びだよ。誰だあいつ」



…………スリーアウト。


何か言われるだろうと思っていたけど、思ったよりもひどい。

どこか死んだような目で遠くを見つめる俺と、その後ろで黒いオーラを放っている生徒たちを交互に見て、雫はひくりと顔を引き攣らせる。


俺は、死んだ目のままにこやかに雫に笑いかけた。



「なにか言うことは?」

「すみませんでした」



―――――どうやら、打者の交代はできないようである。

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