エキストラは望まない

第1話 この奇妙な関係性に終止符を



「遅れたな…………」



小さくそう口の中で呟いた俺————天照あまてる優雨ゆうは、そこから走るスピードを上げる。

カランと心地よいベルの音が鳴ったドアをくぐって、30分も遅刻したのに文句ひとつ言わない――――まあ申し訳なくはあるのだが――――オーナー夫婦に頭を下げた。


エプロンを不器用ながらも結び終えて時計を見たとき、ちょうど時計をさしている針の先を見て目を瞬く。



――――――もう、あいつが来る時間か。



そう思ったのと同時に、閉じられていた扉が先ほど俺が開けた音と同じ音を立てた。

相手は想像していたのとやはり同じで、俺はひらひらと手を振るそいつに声をかける。



「いらっしゃいませ。注文は?」

「店員さんのスマイルで」

「お帰りくださいませ」



すんっと真顔になり親指で出口を指す俺を見て、そいつ—————しずくは、「やだな、冗談だよ」と人好きのする笑顔で言った。



「で、注文は?」

「優雨、ドSキャラは時代遅れだよ」

「よしやっぱり帰れ」



ぐいと背中を押してドアを開く。

窓の外を指さして「ちょっ、外! 外見て!雨だから! 雨!」とさすがに焦ったように叫んだに、俺は小さく肩を落とした。


注文するなら早くしろ、と顔を顰めながら言った俺を見て、カウンター席に座ったそいつは指を一本立てながら言う。



「エスプレッソ。お爺さんブレンドね」

「次郎ブレンドな。てかお前いつもカフェラテだろ」

「いいんだよ、気分なんだし」



その答えを聞いて、相変わらず適当だな、と俺が顔を顰めて呟くと、しずくは別にいいじゃんと口を尖らせた。

とりあえず注文なので棚から豆を取り出して煎り始めた俺を横目に、そいつは文庫本を取り出す。


そしてしばらくは、俺が豆を煎る音と、本のページを捲る音で支配された。


けれどしばらく経った後、静かな沈黙が「ふわぁ」という間抜けな音によって不意に破られる。

その元凶を見ながら煎った豆を移し替えていると、ゆっくりと挽き始めた豆の音を聞きながら、しずくはもう一度大きくあくびをした。



「お前、いつも眠そうだよな」

「しょうがないじゃん、学校で寝れないんだから…………」

「とりあえず学校は寝る場所じゃないってことだけ言っておく」



そしてここ喫茶店もな。

俺がそう言った時にはもうそいつはカウンター席に突っ伏して寝ていて、俺は思わずため息をつく。



「聞けよ俺の話をよ………」

「優雨の話って聞いてて眠くなるんだよ」

「俺の話は昔話か何かですか?」



そんなことを言ったのもつかの間、こうしている間にもせっかく沸騰させたお湯が冷めないように、俺は急いで身を翻した。


寝息を立てるそいつの横を通り過ぎ、俺は黙々とコーヒーを淹れ続ける。


その間にコーヒーをカップに注ぎ終わったけれど、そいつが起きる気配はなかった。


はあ、とため息をついて「しずく。起きろ」と俺が揺さぶると、寝覚めが悪いそいつは少しうめいた後ようやく顔を上げる。


そしてそのまま、顔のほとんどが隠されている帽子の下でにっこりと笑った。



「優雨、やっぱりカフェラテがいい」

「ぶっ飛ばすぞ」






◇ ◇ ◇ ◇ ◇






―――――――俺としずくが出会ったのは、去年の春…………つまり俺がこのカフェでバイトを始めたばかりの時だった。

その時の俺はまだ仕事内容に慣れていなくて、今思えば少しピリピリしていたかもしれない―――――そんなときに、そいつは現れた。



体中が濡れた状態で。



『……………誰?』



今思えば、濡れた人に対してタオルの一枚でも渡してやればよかったものの、その時の俺は警戒心マックスで距離を離して立っていた。

ちょうどオーナー夫婦は買い出しに行った後にこの大雨なので帰ってこれず、しばらく店番を頼むとメッセージで来たところ。


さてどうするか、と考えている間、そいつはいつの間にか移動してカウンターに座っていて。



『カフェオレ。豆は何でもいいから』

『は?』



大好きなコーヒーを「何でもいい」と言われてカチンときた俺は、こんなにうまいコーヒーを飲んだことがないと思わせてやろうと意気込んでいたのを覚えている。

そして冷え切っているだろうそいつにようやくタオルを放り投げ、出来上がったコーヒーをことりと置いた。


それをずずず、とゆっくりと飲んだ彼が小さく口を開けたのを、息を呑んで見つめる。



『…………美味しい』

『だろ』



ぽつりと呟かれた言葉に対しふっと得意げに笑った俺に、そいつはカバンをガサゴソと漁りながらぽつりと言った。



『しずく。…………名前は、しずく。君は?』



最初は何を言われているのかわからなくて立ち尽くしていたけれど、催促したように俺を見つめてくるその瞳に、俺はようやく自身の名前を聞かれているのだと遅ればせながら気づく。



『ゆ、優雨。優しい雨で、優雨。』

『…………優雨。…………また、来る』



そう言っていつの間にか見ていたのか、きっちりとコーヒー代を残していった彼を見送った次の日、また同じ場所に座ってそいつは言った。



『優雨。昨日と同じコーヒー』



そこから、俺達の奇妙な関係性は始まった。







◇ ◇ ◇ ◇ ◇







―――――――今思えば、あの時から現在に至って1年ほど、この奇妙な関係性に名前は付けられないでいる。


そんなことを考えていると、ゆったりと座っているオーナーの奥さんに声をかけられた。



「もう誰もいないから、喋っててもいいわよ」

「ありがとうございます」



お言葉に甘えてするりとエプロンを解き、隣の席を叩いているしずくのそばに座る。

…………いつの間にか、ここも俺の定位置になってしまった。



そして俺が座ったのを確認してから、そいつはいつも通りカウンターへと周り、「おばさん。今日もキッチン借りていい?」と断りを入れる。

きちんと許可が下りたのを確認してから、しずくはうんと頷いた。



「よし、オムレツにしよう」

「俺のもよろしく」

「働け店員」



その言葉をスルーして、ぶつぶつと呟いているしずくへと百円玉をぽいと投げる。

それを確認したそいつは、自分の財布から50円出すと「卵代です」とオーナー夫婦に渡した。

手慣れた動作で卵を割ってかき混ぜているしずくを横目に、俺はぺこりと小さく頭を下げる。



「すみません、いつもお世話になってます」

「いいのよいいのよ。二人がいると、とても賑やかで楽しいしねえ」

「…………」



オーナー夫婦―――――もとい、柔和に笑う仁美ひとみさんと、無言で頷く次郎さんに向かって苦笑をする。

そんな間に背伸びをしながら皿を出そうとしているしずくを見て、俺は椅子を引いて立ち上がった。



「お前、本当に背低いんだな。本当に同い年か?」

「これから伸びる予定だから」



つん、とむくれているしずくの横から食器を取り出し、俺は完成したオムレツを皿へ移す。

ほかほかと湯気を立てるそれに舌鼓をうった彼は、先ほどまでコーヒーが置いてあった場所にそれを置いた。








「ごちそうさま」

「お粗末様でした」



箸をおき、立ち上がって食器を片付ける。

「じゃ、そろそろ帰るね」と言った彼に頷き、俺は自分の食器と入れ替えに洗剤を取り出した。


――――そしてこの時間が終わったら、俺達は別々の場所で別々の時間を過ごす。

人間というものは、いついなくなってしまうのかわからない。

それが例え生死によるものであれ、――――――人の意志である、人為的なものであれ。



ならば。

それならば、今がこの奇妙な関係性に終止符を打つ時なのではないか、と。



なぜかこの時、俺の頭をその考えが占めた。


今考えれば、その判断を俺は全力で止めるべきだったのだ。

けれどそんなことを知らない俺は、あくまで自分の思考に従うままで。



「しずく」



いつもはただ見送るだけの背中に声をかける。

「雨降ってる」と呟いていた彼は俺の声に振り返ると、不思議そうな顔をして首を傾げた。



「どうしたの、優雨」

「俺と」



すう、と小さく息を吸う。



「俺と、友達になってください!」



―――――――きっとそれは、俺が人生で一番勇気を出した瞬間。



手を差し出したままその姿勢で固まる俺に、彼がふっと笑った気配がして顔を上げた。



「うん、いいよ」

「…………本当、か」

「もちろん。友達になった記念に、何かしてほしいことをしてあげよう」



そう言って悪戯っぽく笑うしずくに、俺は小さく考え込む。

それならば、ずっと気になっていたことがあったな、と。



「帽子を、取ってほしい」



ふと口をついて出た言葉に、俺自身が驚いた。

顔を隠す事情があるかもしれないのだから、そんなことを簡単に言うべきではないと考えていた自分が、こんなに無神経なことを言うとは思っていなかったから。


けれど戸惑う俺に、彼は意外にも―――逆に俺が驚いてしまうほどあっさりとそれに頷いた。



「友達には、ちゃんと顔を見せなきゃね」



彼がそう言って帽子を持ち上げた瞬間、ふわりとアイスブルーの長い髪が風に掬われて宙を舞う。


そして目を瞬いた一瞬の隙に帽子という障害がなくなり、彼——————いや、『彼女・・』のその瞳の色さえもはっきり見えた。



アイスブルーの髪に、どこか人間離れした神聖さすら感じる、アメジストの大きな瞳。



「—————改めまして、姫宮雫と申します」



「言うのが遅いなあ」と微かにほおを膨らませた彼女を見て、俺はなんとも間抜けに口を開いた。



しずく、シズク、…………………雫?



「…………なっ、」



開いた口が塞がらない、とはまさにこのようなことを言うのだろう。

だって俺は現に、今この瞬間に口を閉じるどころか瞬きさえもできていないでいる。



―――――姫宮雫。


『眠れる姫を起こすことなかれ』

授業中こそは寝ていないものの、周りの視線を気にせずに眠り、また周りの言葉に耳を傾けることなく眠り続ける冷徹さ。

けれども彼女を目にした日には目を離さずにはいられないと思うほどの、圧倒的なカリスマと美貌。

それが、姫宮雫―――――もとい、『眠り姫』に対する一般の認識だった。


だから、違う。

眠り姫ヒロインはこんな風に、どこにでもいるエキストラに美しく、まさに大輪の花のように微笑むいないはずがないのだ。


けれど、そんな俺のそんな想いも虚しく。



じゃあ、『友達』として、これからも・・・・・よろしくね、優雨。



そう言ってとても嬉しそうな顔をした彼女—————姫宮雫ヒロインは、誰よりも何よりも美しく微笑んだ。




――――――――――――――――――――――――――



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