第53話 生還と、生還せずと



 あの戦いから、約4か月――

 俺はまた、この病室に来ていた。

 あれから何度足を運んだか分からない。


 地獄のような夏がようやく過ぎ、季節はそろそろ冬を迎える。

 昔と比べやたら短く感じるようになってしまった、秋の季節。

 春もそうだが、この国で気候が安定している時期は本当に短くなってしまった――とか、宣兄は言っていたな。

 俺ですらそう感じるんだから、宣兄や課長なんかは余計にだろう。


 涼しい風が吹き抜ける、白い病室で。

 八重瀬真言は今日も、ベッドで身を起こしながら、じっと窓の外を眺めていた。



「おい。

 一応、見舞いに来てやったぜ」

「あ……

 ありがとう、巴君。

 こうまで頻繁じゃなくてもいいのに。もう、身体は大分良くなったんだし」

「バカ。まだ歩くのが精一杯って聞いたぞ、無理すんなって」



 相変わらずの柔らかい笑みを、眼鏡ごしに向けてくる八重瀬。

 その笑顔はあの戦いの前と、何も変わらなかった。

 ただ、額を中心に厳重に巻かれた包帯を除いては。




 俺によるとどめの一撃により、完全に散り散りになった八重瀬の身体。

 それは晶龍の作り出した幻影だと思っていたが、妙に現実感があって――

 俺はあの後何日も、悪夢でうなされた。

 自分が本当に、八重瀬の身体を引きちぎった。そんな感覚が手から離れなくて。



 実際、あの後すぐに七種に懐機、宣兄や課長も、どこにも支障なく無事に復活し。

 戦闘に参加した守備局の人間たちもほぼ全員、1週間後には元の業務に復帰可能なまでに快復した。

 一部、あの戦闘がトラウマになり復帰が遅れたヤツもいるが、その程度だ。



 それでもなお、八重瀬は帰ってこなかった。

 1か月たっても、2か月たっても。



 約束したのに。

 生きて帰ってくるって、約束したのに。

 俺は本当に、自分の手でアイツを殺してしまったのか――


 眠ろうとしても、何度も夢に見た。

 俺の雷で、バラバラに四散していく八重瀬の手足を。

 骨ごと焼かれていく、アイツの腸を。

 爆風の圧力で潰され、分子レベルにまで溶解していく、アイツの身体を。



 しかし、ちょうど3か月目。

 俺が睡眠薬をガブ飲みしても眠れなくなり、本気で自分の魔獣化を恐れ始めた頃――

 白龍島の沖で、不意に八重瀬が発見されたとの報告があった。

 俺がそう知った時にはもう、アイツはこの病院に収容されていたらしい。

 再度の魔獣化を危惧した守備局の連中により、厳重に監視・隔離され、1か月ぐらいは意識もなく、昏々と眠り続けていたようだ。


 そして、何とか目覚めたのがついこの間。

 ごく限られた関係者のみという条件でどうにか面会も許されて以降、俺はこうやってたびたび、八重瀬の見舞いに来ている。

 幸い、ヤツの身体にはどこにも支障はなく、予定通りに快復しつつあるらしい。

 ……ただ一点を除いては。



「もう、読んだか?

 寧々からの手紙は」

「うん。

 大分待たせちゃったみたいだね……彼女は勿論、巴君までも」

「ホントだよ。

 マジで自分が魔獣化するかってくらい、俺はお前を

 ……」

「ふふ。

 やっぱり本気で心配してくれたんだ、巴君」

「ば、馬鹿にすんな。何だよやっぱりって!」

「巴君はそういう人だって、最初から分かってたから」



 穏やかな風が吹く病室で、微笑む八重瀬。

 否定するのも疲れるだけなので、俺はそれ以上何も言えず膨れるしかなかった。

 だがその後すぐに、ヤツは視線を毛布に落とす。



「でも……

 やっぱりもう、聞こえない。晶龍の声は」



 その報告は既に、宣兄から聞いていた。

 ヤツとほぼ一心同体となっていたはずの魔獣『晶龍』は、調査の結果、その痕跡は八重瀬の中からほぼ消滅してしまったらしい。

 どういう調査によるものかは知らないが、宣兄は勿論、課長さえもかなり嫌そうな顔をしたあたりを見ると――お察しというところだろう。



 とにかく、あの戦いで晶龍は八重瀬の中から消えた。

 実際、八重瀬の瞳はほぼ完全に元のエメラルドに戻っている。

 よーく観察すれば、奥の奥に微かな紅の光が閃いている気もするが、それだけ。

 額の包帯の奥には、まだあの水晶の核があるのだろうか。依然として包帯の下からミミズのような血管が幾つも浮かんでいるのが分かるが、晶龍と対峙した時のようなギラギラした恐ろしさは何も感じない。

 あの時は包帯の間からさえ溢れ出ていた光も、今は皆無だ。


 何より、八重瀬自身が晶龍の存在を感じ取れていない。

 窓の外の空に何となく視線を移す八重瀬。その仕草と横顔に、どうにもならない寂しさがほのかに浮かんでいるように思える。



 それでも八重瀬はふと振り返ると、笑ってみせた。

 俺からしたら、微笑とも苦笑ともとれる何ともややこしい笑顔にしか見えなかったが。



「だけど――

 晶龍はいなくても、確かに彼の力は感じるんだ。

 この力をうまく使えれば、多分僕はもっと、たくさんの人を助けられる。

 きっと、巴君たちの戦いも楽になる。

 例えば、あの島で使った晶龍の結界。あの力はきっと、神器を通してみんなも使えるようになると思うんだ」



 そう。それがまさしく、八重瀬の元々の願いだった。

 恐らくその為にコイツも、守備局によるキツイ『調査』を進んで受けたに違いない。

 そういう倫理的にもヤバそうなことは八重瀬に対して、これからも行なわれるのだろう。魔獣殲滅のお題目の元に。

 ――それでも多分、コイツは進んで身体を差し出すだろうが。



「晶龍だってきっとまだ、完全に消えたわけじゃない。

 今は力を使い果たして、眠っているだけだ。何かのきっかけで、ふっと起きてくるはず。

 ――僕はそう思ってる」



 俺の背筋に、思わず寒気が走った。

 あんなヤバイ魔獣が、万が一にも本格的に東京で目覚め、暴れ出したら――

 恐らく俺たちは誰も勝てない。

 そんな事態は当然、守備局も推測しているだろう。だからこうして八重瀬を厳重に隔離し、調査を続けているんだ。

 ――そんな俺の心情に気づいたか。八重瀬は少し決まり悪げに肩をすくめる。


「あ……巴君、誤解しないで。

 晶龍の消滅は、彼本人の願いでもあった。

 自分が消えることで、島に本来の時間を取り戻させる。それが晶龍の望みだったから。

 その望みは叶い、島は彼の呪いから解き放たれた。それは間違いない。

 そのことは調査員の人たちにも、何度も伝えてるよ。

 微妙に納得してもらえてない感あるけど……」


 そりゃそうだろう。

 あれだけの力を目の前で見せつけられて、仲間も自分も何度も即死させられ(る幻を見せられ)て。

 いくら八重瀬がもう大丈夫と主張したところで、そう簡単に納得できるわけがない。

 今でもきっちりヤツの額に核が残ってるなら、なおさらだ。

 ――それでも八重瀬は、きっぱりと言った。


「僕は断言できるよ。

 晶龍はああ見えて、とてもいいヤツだって」

「へ?」

「彼が再び目覚めることがあっても、決して僕たちに危害を加えることはない。

 島の未来を想い、僕を引き込んでまで自分の消滅を願ったのは、彼なんだから。

 もしも彼が、もう一度目覚めたら……

 もしかしたら逆に、僕らの力になってくれるかもね。

 目覚めることがあれば……だけど」


 そう言いながら、八重瀬は肩を落とす。

 その可能性が限りなく低いことは、ヤツもどこかで理解しているのだろう。

 晶龍のことを思えば、ヤツが本格的に俺たちに牙を剥く可能性も低いと言えるが。



 病室に流れる沈黙。

 穏やかな風の音。

 何にも追われずゆったり流れる時間は、あの島で感じたほんのひとときの平穏を思わせた。


 だがその平穏も、のんびり流れていた島の時間も、今やこの日本に存在しない。

 俺たちが壊したから。


 現実では今も、魔獣化して暴れ続ける人間や――

 これから魔獣化してしまうであろう人間も、未だ後を絶たない。

 もし助けられたとしても、その人間は心を失う。

 この世は今、どこもかしこもそんな地獄だ。



 それでも俺の口からは、自然とこんな言葉が溢れた。


「心配すんなって。

 晶龍がお前の言うとおりのヤツなら、俺たちに牙を剥くことはねぇよ。

 実際、晶龍の力は残っているし、その力は研究に使われてるんだろ? 

 で、そのことは晶龍本人だって了承してたはずだ」

「だけど……」

「あーもう、相変わらずお前はウダウダと悩みやがって。そーいうとこは全然変わってねぇな。

 万が一晶龍が暴れたとしても、俺が何度だって倒してやるよ。

 ヤツも、お前も」



 それは八重瀬を励ます為とか気休めとか、そういうわけじゃない。

 今の俺の、正直な気持ちだった。

 自分でも不器用だと思った言葉だったが。



 実際、晶龍がどうなったのかは俺にもさっぱり分からない。

 晶龍が再び目覚めた時何が起こるのか。そもそも、再び目覚める時なんて来るのか。

 俺たちの戦いはどうなっていくのか。それすら全く分からないままだが――



 それでも、俺たちは進んでいく。

 八重瀬の中で眠る災厄を、ひたすら抱え込んだまま。



 そんな俺の言葉で、八重瀬は少しきょとんとしたツラになったが。

 それでも一瞬ののち、何かが吹っ切れたような笑顔になった。


「うん。

 ……これからも迷惑かけるけど、よろしく。巴君!」


 その額の包帯の奥――

 何かがチカリと煌めいた気がしたのは、俺の気のせいだったろうか。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る