第44話 譲れない条件


 え?

 思わずまじまじと、八重瀬を見据えてしまう。


「なかったことになるなら……別に、いいんじゃないか?」

「違うんだ。心の傷が治るわけじゃない。

 傷ついた心の部分が、まるごと消失してしまう。心の一部が消えて、前とは違う精神構造になってしまうんだ」

「前とは違う精神……

 って、どういうことだよ?」

「普通は腕を怪我したら、その怪我を治療するよね?

 だけどこの場合は違う。腕を怪我したら、その腕をまるごと切断する――

 魔獣討伐って、実はそういうことなんだ」


 あまりに衝撃すぎて、内容が頭に入ってこない。

 じゃあ……今まで、俺らがやってたことって、まさか。



「お、お前! いい加減なこと言うんじゃねぇよ!!

 晶龍の受け売りだろ。あいつのこと真に受けてそんな……」

「僕だって!

 どれだけそう思いたかったか分からないよ!!」



 溜めこんできた感情の全てを爆発させたかのような、それは、叫びだった。

 さっきまでニコニコ笑ってばかりだったはずの八重瀬の喉から迸った、悲鳴にも近い叫び。


 膝の上で震え出すほどきつく握りしめられる、ヤツの両拳。

 さっきまで冷静に話をしていた人間とは思えないほど、悔しさで溢れる声。


「僕は……実はこっそり、追いかけたことがある。

 心療課に救出された後、何とか職場復帰できた人がどうなるのかを。

 誰に聞いても、何も教えてくれなかったからね。

 そしたら――」


 一度深呼吸しながら、諦めたように再び話し出す。


「僕が見ていたその人は、何ごともなかったように元の業務に戻っていた。

 一見、無事に復帰できたのかと思ったけれど――

 よくよく観察すると、何を言われても、どれほど理不尽な仕事を命じられても、どれほど殴られても、何も感じなくなってて。

 人としての部分が、まるで何もなくなってしまったみたいで……

 直接話もしてみたけど、人間と話しているはずなのに、機械と話しているような感じさえして。

 ……僕はそれが、すごく怖かった」


 消え入るような声になりながらも、それでも話し続ける八重瀬。


「その人の業務効率そのものは、魔獣に変化する前よりかなり向上していた。

 だから会社としては、ありがたかったんだよ。理不尽な仕事でも文句言わずにこなせて、どれほどパワハラしても抵抗しない。

 電話も一言一句正確に聞き取れるようになっていたし、データ入力のミスも格段に少なくなっていた。人間性を捨てるかわりに。

 それは多分、有益なことだ。会社にとっては勿論、国にとっても」

「八重瀬……」

「ずっと疑問で、すごくモヤモヤしてたけど。

 だけど晶龍に説明されて、その理由がやっと分かった。

 能力が伸びずに苦労する社員をずっと抱えるよりも、パワハラで追いつめて魔獣化させて――

 心療課の手を借りて元に戻し、何も抵抗せず、ミスも遅延もなく仕事をこなせる優秀な社員にする。

 結果、誰も傷つかない。消失するのは、会社や国から不要とされた、その人の心だけ。

 ……すごいよね、心療課って名前」

「八重瀬!」


 唇を嗤いの形に歪めながら、明確な激昂と共にそんな言葉を口にする。

 俄かには信じられなかった。コイツの口から、こんな凄まじい皮肉が出るなんて。


 でも、今の話が本当なら……

 宣兄やあのタヌキ課長が絶対言わないわけだ。

 俺たちが身体張って戦ってきたのは、一体何だってなる。


 思わずこみあげてきた吐き気を、慌てて無理矢理呑みこんだ。

 心療課とかとんでもねぇ。心殺課じゃねぇか!


「だから、巴君。

 僕はそれも、どうにかしたいんだ」

「え?」

「課長たちが望んでるのは、主に晶龍の結界だと思う。

 だけど僕が実際に晶龍を降ろして、思ったんだ。

 この力を使えば、もっと色々やれることがあるんじゃないかって」


 なるほど……

 魔獣化した人間たちを、きちんとその心まで救うってことか。

 晶龍の力を降ろすことで。


 俺は微妙にえづく喉を押さえながらも天井を眺め、深々とため息をついてしまった。

 八重瀬がいなければ、そのまま嘔吐していたかも知れない。

 視線の先で星のようにきらきら輝くものは、晶龍のウロコ。

 畜生。今告げられた事実に圧倒されてしまい、現実感がわかない。

 あのクソダヌキに、宣兄――

 そんなことまでずっと隠していやがったとは。


 いや。宣兄については違うと否定したい。

 多分宣兄は、話したくても話せなかったんだろう。というか、時期を見て話をするみたいなことはずっと言われていたじゃないか。

 宣兄はいわば、俺たちのリーダーみたいなもんだ。心療課の裏でどれほど汚いことがあっても、黙って受け入れなきゃいけない立場だ。

 汚れ仕事やらせやがってと怒るのは簡単だ。しかし、だからといって全員がぶち切れてストライキでも起こしたら、心療課は成り立たない。世は魔獣の脅威に晒されまくる。

 宣兄のように、ぐっと噛みしめられる大人は絶対に必要だし――


 どうしても我慢できないなら、代替案を出せという話になる。

 それが今、八重瀬が利用しようとしている晶龍の力なんだろう。

 そう思ったら、ほんの少しだけ胸のムカツキも緩和されてきた。



 同時に――

 何故か、俺はほっとしていた。

 さっき思わず、感情を露わにした八重瀬を見て。


 これまで、ろくでもない自己犠牲の化身のように思えていた八重瀬。

 その超絶他己主義がどこからくるものなのか、俺にはさっぱり分からず、正直気持ちが悪かった。

 自分には理解しがたい宇宙人。そう形容しても良かった――さっきまでは。


 でもたった今ほんの少しだけ、その本音が剥き出しになり。

 その感情に、初めて共感できた気がする。

 八重瀬がふと漏らした、心の底からの怒りと嫌悪。

 それは俺も、全く同じだったから。


 ――要は、本人の言う通り。

 コイツの他己主義って単純に、すごく欲張りなコイツの、わがままみたいなもんだ。


「……しっかし、お前……

 思ってたよりずっと、とんでもない欲深野郎だったんだな。

 島も、晶龍も、自分を殺そうとした奴らも……

 それだけじゃなくて、魔獣化した奴らまで助けようって?」

「うん。まぁ、そういうこと。

 だから、巴君……頼めるかな?」


 今更何言ってんだコイツは。

 というか、妙に可愛く上目遣いとかされても、額の水晶が滅茶滅茶目立って気持ち悪い。

 その中から晶龍に凝視されている気がする。


「ここまで事情聞かされて、断れるわけねぇだろ……俺が」

「巴君……!」


 言った途端、子供みたいに目を輝かせる八重瀬。

 それを睨みながら、俺は言い放った。


「ただし!

 一つだけ条件がある」

「なに?」


 深呼吸の後、俺は一言一句、はっきりと告げた。

 これだけはどうあっても、譲れない条件を。


「約束しろ。

 たとえ俺にぶっ殺されても、お前だけは絶対に生きて帰ってくるって」


 すると八重瀬はほんの少し逡巡するように、わずかに視線を逸らしたものの――

 それでももう一度真っすぐ俺を見据え、言い切った。


「うん。

 巴君も、だよ?」


 ――明日になれば恐らく作戦開始と同時に、俺たちは敵同士となる。

 この島の命運を丸ごと賭けた、一大スペクタクル。

 俺たちはその主役となり、互いに血で血を洗う戦いを繰り広げることになるんだろう。

 だけど。



「バカにすんな。

 お前みたいなナヨナヨ野郎どもに、そう簡単にヤられるような俺じゃねぇ」

「あはは。僕はともかく、晶龍にまでそれ言う?」

「てめぇの身体借りなきゃ死ぬことも出来ない軟弱魔獣が、何ほざいたって意味ねぇよ。

 明日は遠慮なく俺のロケランブッパしてやっから、覚悟しろ」

「うん。

 ――ありがとう、巴君」



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