第43話 運命が変わらないなら


 少しだけ困ったように笑いながら、淡々と呟く八重瀬。


「僕も、巴君と同じだよ。

 目の前で困っている人を助けたい、って思うのは」


 いや、それは違う。

 俺の親切とお前のそれは、明らかに圧倒的に違う。


「あのな……

 お前の場合、度を越してんだよ。

 俺は命かけてまで、他人の為に自販機の小銭取りに行ったりしねぇし。

 というか自分の為であっても、んな真似するヤツはただの馬鹿だろ」

「そう……かな?

 巴君はそれでも基本的に、困ってる人がいたら助けるでしょ。

 だからこそ、心療課の激務にも耐えられるんだと思う」

「そりゃ、仕事だからだよ」

「僕だって、仕事だよ?」

「いや、だから!」


 何の堂々めぐりしてるんだ、俺たちは。

 俺の苛立ちに気づいたのか、八重瀬はふとうつむいた。


「……僕だって、自分が少しおかしいとは思ってる。

 何でそこまでやるのかって、これまでも何度聞かれたか分からないし。

 親にも何度も叱られた。必要以上に誰かに親切にしたら、いつ騙されるか分からないって」


 少し安心した。

 親の顔が見てみたいとは若干思っていたけど、至極まっとうな親みたいだ。


「でも……やっぱり、僕には無理なんだ。

 目の前で困ってる誰かを放っておくことが、どうしても出来ない。

 たとえ、その相手から拒絶されたとしても。それがどれほど、途方もない相手だったとしても――

 どうしても、手を伸ばさずにはいられない。

 それを放っておくのは、僕からしたら、呼吸止めろって言われるくらい辛いんだよ」


 申し訳なさそうに、俺を見上げる八重瀬。

 その額に植えつけられた『核』。周囲に醜く浮き上がった血管。

 透き通った碧の瞳を汚すように、その奥で禍々しく光る紅。

 俺が家族だったら、息子や兄弟がこんなんなったら発狂するかも知れない。

 たとえそれが、間違いなく本人の意思だったとしても。


「どうしようもなくメンドイ性分だな。

 親も苦労するわけだ……」


 俺は思い出す。

 最初にこの島に来る直前、コイツは言ってたな。


 ――島の人たちが魔獣に苦しめられて、年端もいかない女の子を無理矢理差し出す事態なんて、放っていられないよ。


 この言葉を聞いた時の俺の直感は、間違ってはいなかった。

 コイツはまさしく、目の前に財布なくした老人がいれば何が何でも助けようとするタイプであり。

 さらにそこには、「たとえ自分が、会社の命運に関わるレベルの大事な取引パァにしたとしても」という恐るべき文言がくっつく。

 あの時の俺の脳内ツッコミは、偶然にもコイツの本質をついていたのか。


 そして八重瀬はもう一度、はっきりと俺を見据える。

 その表情にはもう、微笑みは欠片も残っていなかった。



「それに――

 巴君は、一つ見落としてる。

 これ、僕がやらなかったら、他に誰もやれる人いないよね?」



 ――その指摘はまさにその通りで、俺には何も反論できない。

 晶龍を降ろすのは八重瀬以外に出来ないし、晶龍と共に死ねるのもコイツだけだ。

 仮に八重瀬が拒絶し逃げ出したとしても、いずれ心療課から晶龍に対する贄として捧げられる運命は変わらないだろう。

 それを考えれば八重瀬の選択は、実は精一杯の抵抗なのかも知れない。

 自分の、どうしようもない運命。それにどうにかして抗う為の。


「いずれにしても、僕が晶龍に捧げられるのが変わらないなら。

 僕は晶龍にも、島の人たちにも、巴君たちにも、

 ――勿論僕自身にとっても、最良の選択をしたい。

 要は、助けられるのなら、みんな助けたい。

 巴君には分かってほしいんだ。これは決して、世にも献身的な自己犠牲なんかじゃなくて――

 単純に、すごく欲張りな僕の、わがままみたいなもんだってこと」


 素直にそう吐き出してから、再び八重瀬は朗らかに笑った。

 状況に比して、爽やかすぎるほどの笑顔で。


 しかしもう、俺には何にも反論が出来なかった。

 八重瀬の言葉を聞いて、何となく納得いってしまったから。


 今のヤツの話に、何もウソはない。

 虚飾一切なしの、八重瀬の本音。

 晶龍というトンデモない化け物と一つになる。その運命が変わらないのなら――



「それに――

 巴君は、知ってる?

 一度魔獣に変化した人間が、心療課の手で救出された後、どうなるのかを」


 不意になされたその指摘に、胸がズキリと痛んだ。

 そういえば俺は、それについて何も知らない。

 ただひたすら魔獣を成敗して、人間に戻したら救急隊の手にゆだねる。その先は――

 いくら宣兄や課長に聞いても、のらりくらり逃げられるだけだった。

 真鍋兄弟も、知らないと答えるだけだったし。


「――お前は、知ってるのかよ」

「うん。

 もっとも、ここに来る前は僕も、何も知らなかった。

 晶龍から聞いて、初めて知ったんだよ」


 だろうな。

 俺も真鍋兄弟も知らないのに、八重瀬が知っているはずがない。

 もしコイツが知ったとすれば、晶龍経由以外はありえない。


「で? どうなるんだよ。

 魔獣から元に戻った人間は」


 静かに脚を組み直し、八重瀬は呼吸を整える。


「人間が魔獣に変化する時って、その原因となる過重なストレスが常にあるよね?

 例えば、パワハラで受けた心の傷。加害者への恐怖、理不尽な行いからくるストレス。

 ――それらが全て、なかったことになる」

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