第30話 その額で煌めくものは



 何だ。何が起こっている。

 あまりの事態に、俺は殆ど状況把握が出来ず、ボロボロの翼をそのままに甲板に突っ立っているしかない。

 全く信じがたい出来事が一度に起こると、恐怖に慄くより先に、脳が現状把握を拒絶する。まさしくそんな状態。

 七種も、懐機も、一人で十分魔獣と戦えるくらいに強かったはずだ。なのに――



 いつの間にやら、そんな俺の頭上にふわりと浮かびあがる、影。

 八重瀬の姿をしたそいつは、音もなく龍の頭上から離れ、自力で空中に浮かんでいた。

 羽のように舞い上がる白いマントの下からちらりと見えたものは、整えられたグレーのスーツと革靴。いつもの八重瀬の恰好と、そこまで変わらない。

 なのに――


 俺をギロリと睨みつけたものは、揺れる銀髪の奥に輝く、氷のように冷たい紅の眼球。

 額を覆った包帯の中で、生物のように蠢く青い光が、恐怖を増幅させていく。

 知らなかった。眼鏡を外したアイツの表情が、こんなにも冷酷になるものだなんて。


 そこへ響きわたったものは、宣兄の絶叫。


「巴ッ!

 お前のかなう相手じゃない、逃げろ!!」


 同時に俺の前に覆いかぶさった影は、斧を振りかぶった宣兄の背中。

 その一瞬の後、空に銀色の光弾が無数に浮き上がったかと思うと――

 一斉に、嵐の如く宣兄に襲いかかった。



「ぐ……お、あぁあぁっ!!?

 か、課長……っ!!」



 叫びをあげ、艦橋にいる課長を気遣えただけ、七種や懐機よりも宣兄はまだマシだったかも知れない。

 あれだけ大きかった斧が一瞬で空を舞い、続いて両腕が甲板に飛び散り、肩にも腹にも太ももにも大穴が空いていく。

 それでもなお背後を気遣い、振り返ろうとした宣兄――

 その首にまで光弾が見事着弾し、宣兄の声は断たれた。

 辛うじて頭が吹っ飛ばされずにすんだのは、宣兄の鍛えられた首回りの筋肉が何とか、文字通り首の皮一枚で身体と頭を繋いだおかげか。


 俺のすぐ隣へと、血みどろ穴だらけの宣兄の身体がずしりと倒れていく。

 一瞬で血と内臓の海と化した甲板へ、何事もなかったかのように難なく降り立ったのは――

 八重瀬の姿をした『化け物』。

 まるで体重を感じさせず、フィギュアスケート選手のような優雅さすら漂わせ、音もなく甲板の血に触れる、奴の爪先。


 俺が全く動けずにいる間、

 奴が放った無数の閃光は既に護衛艦のあちこちに着弾し、いつの間にか甲板は炎上していた。

 燃え上がる海。ガタガタ揺れる足元。時折空に大きく響きわたるのは、爆発音か。

 艦橋の方がどうなったか。

 課長たちがどうなったのか、俺は振り返ることすら出来ない

 ――ただ、あまりの恐怖に震えあがって。



 駄目だ。俺はそれでも、忍び寄る畏怖に耐えながら頭を振り、両脚を踏ん張った。

 アイツはたった今、七種を殺した。懐機を殺した。宣兄までも。

 俺の仲間を、あんなにも呆気なく――!



「ち、畜生……

 八重瀬エエエェェエッ!!!」



 絞り出すように叫びながら、遮二無二翼を羽ばたかせ、よろよろ飛翔する俺。

 だが勿論、そんな攻撃がヤツに通用するはずもなく。



 ドンッという重い破砕音と共に

 俺の右横腹が、大きくえぐられた。


 宣兄と同じ、銀色の光弾の嵐を喰らったと分かったのは、その直後。

 畜生。それでも俺は――!!



「じ、神器、解放ッ……!」



 空中で気絶寸前になりながら、俺はボロボロの翼へと、残った力を注ぐ。

 バチバチと音をたてながら、プラズマの如き光を発生させる翼。

 何度も試しているけど、結構集中力を要しなかなか成功しない技。それを今こそ――!



雷騰らいとう……雲奔うんぽんッ!!」



 プラズマとなった光が砲口へと一気に収束し生み出されたものは、強烈な雷光。

 俺の今の力で、どこまでヤツに通用するか分からない。それでも――!



 収束した雷が、俺の全気力を振り絞って撃ち放たれた。

 それは無数の光輝く粒子となって、一気にヤツの元へと飛んでいく

 ――だが。



「……その程度か、小僧」



 八重瀬の声帯を使って放たれた、ぞっとするほど低い声音。

 それと同時に、ヤツは難なく上空へとすいっと浮き上がり、雨のように撃ち放ったはずの全ての光弾をかわしていく。


 しかし――俺は確かに見た。

 無数に放たれたその光のわずかな一閃が、ほんの少しだけ、ヤツの額を掠めたのを。



「――!」



 わずかにヤツの表情が変化した気がしたのは、一瞬。

 月光の下舞い散る、数本の銀髪。

 同時に切り裂かれたものは、額を覆い隠していた包帯。



 だが、その下から現れたものは――

 俺を一層、打ちのめした。



「な……

 なん、で……?」



 八重瀬(の姿をした化け物)の額に、隠されていたもの。

 それは、見間違えるはずもない――燦然と輝きを放つ、碧の水晶。

 青空のようにどこまでも澄み切った煌めきが、紅の瞳のすぐ上にある。

 ――つまりそれは、俺たちの『殲滅対象』たる、魔獣の核。



 何で。

 何でアイツが、魔獣に。



 それ以上の言葉を発せず、最早全ての力を出し尽くした俺は、思い切り甲板に転げ落ちた。

 そんな無防備を曝した俺の上に、容赦なく降ってくる光弾。

 それは俺の脇腹のみならず、右肩、左太もも、両足首、次々と穴を開けていく。

 右こめかみを、脳みそごと閃光に抉られたと思った瞬間、殆どの痛覚さえも消えた。

 まさに血と肉の桶の如くになった甲板に、ひたすらぶっ倒れるしかない俺


 ――それでも何故か、まだ、意識はあった。


 どう考えても、俺は死んだ。

 脳みそを半分引きちぎられ、思考中枢さえも消失した


 ――と思ったけど、俺の意識は何故か――捉えていた。

 炎の坩堝と化した甲板へ、ゆっくり舞い降りる八重瀬(だったもの)を。

 ヤツはゆっくり歩みを進める。その先には、既に炎上中のブリッジがあった。

 俺が何にも認識しない間に、いつのまにかブリッジの屋根までが根こそぎ、豪快に引き剥がされ。

 中のオペレーターや自衛隊員たちまでも全員四肢をもがれ、血へどを吐いてぶっ倒れていた。


 ――ただ一人、心療課課長・円城寺を除いて。

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