第24話 寧々と龍神


 静かな世界に響きわたった、声。

 それは八重瀬の声帯から発せられたものではあったが、明らかに八重瀬の言葉ではなかった。


 寧々の背後で交錯する、甲高い悲鳴の数々。


「ひ……ひぃいいぃ!」

晶龍ジェンロン様……龍神様が!?」

「こ、降臨……なされた!!」


 見ると、先ほどまで寧々を引っ立てていた村人たちが、完全に大地にひれ伏している。

 ひたすら額を土につけて、祈るように震え続ける男らの姿は、哀れなまでに小さく見えた。



 完全に崩れ行く洞窟。

 舞い踊る水流。吹き上がる竜巻。

 晶龍を名乗った彼の背後に姿を現したものは



 ――天の雲を貫かんばかりの、巨大な銀龍。



 神々しさまで感じられるほど穏やかな咆哮が、空に響きわたる。

 その響きによって微かに揺れる、大地と空気。

 そんな中、龍の化身とでもいうべきその影は、まるで精霊のように音もなく、寧々に接近していった。


「――なるほど。

 お主が、人柱となりし娘か」


 立ち尽くし、言葉も出ない寧々。その紅い髪にそっと触れる、八重瀬の――

 否、晶龍の指。

 氷のように冷たかったが、何故か不快ではない。



「……全く、くだらん慣習だ。

 500年も経てば、血の性質も好みも、容易に変わるというのに。

 血を継いでいるというだけで、このような幼子を儂への供物とするなど」



 殆ど直感でだが、寧々は気づいた。

 ――この人は、八重瀬さんであり、八重瀬さんではない。

 晶龍様であり、晶龍様ではない。

 もっと言えば、その両方。



 どういう経過でかは全く分からないけれど、とにかく――

 私たちが崇めていた晶龍様は、何故か、八重瀬さんの中に入った。

 その証拠に――


 真っ赤に染まった瞳の奥底に、何かがちかりと煌めいている。

 あの、優しいエメラルドの光が――

 八重瀬さんの瞳の色が、確かにその存在を主張している。



 ふわりと舞い降り、大地にその一歩を踏みしめる晶龍。

 殆ど素足のままの爪先が草地に触れると、不思議な銀の光が次々と葉先から零れた。

 寧々の髪を撫ぜながら、彼はそっと耳元で囁く。


「真言から聞いている。

 寧々――お主は、大層聡い娘だと」

「私が? 八重瀬さんから?

 一体、どうして……」


 そんな寧々の頭を、晶龍はそっと抱き寄せた。


「安心するがいい。儂は決して、お主を喰らったりはせぬ――

 500年の間に薄まった血で儂の力が戻ることなど、まずありえんからな」


 八重瀬よりずっと低い声だが、何故か寧々の心にその言葉は染み入っていく。

 深い安堵のあまり、彼女は思わずその身を彼の腕に預けてしまった。


 ――あぁ。

 もう自分は、贄になることもない。

 多分、父も母も、妹も、きっと助かる。

 八重瀬さんも――まだ、生きている。『彼』の中で、確かに。


「だが、寧々。

 お主には、少々頼みがある。この島を、本来の意味で『守る』為に。

 真言の見抜いたとおり、お主は信用に足る娘と見た――

 協力してもらえるだろうか」


 島を、本来の意味で守る?

 一体どういうことだろう。

 ――いや、どういうことであろうとも。


「晶龍様」


 寧々は顔を上げながら、きっぱりと言った。


「もとより私は、貴方にこの身を捧げる覚悟を決めた者。

 私に出来ることならば、喜んでお手伝いさせていただきます。

 なんなりと、仰ってください。晶龍様と八重瀬さんの決めたことであれば、私はどのようなことでも――!」


 まっすぐに晶龍を見上げる寧々の瞳には、いささかの迷いもない。

 晶龍の紅の眼は、そんな彼女をしばらく黙って見据えた後、ふと何もない空へと向けられる。


「お主にとっては、長い辛抱になるやもしれぬ。

 それでも、良いか?」

「……晶龍様?」


 その言葉と宙に浮いた視線の意味は、寧々にはまだ分からない。

 しかし、やがて晶龍はそっと彼女を見返した。

 何故かその唇は、悪戯っぽく微笑んでいる。



「まずは、そうだな……

 服が欲しい」

「えっ?」

「真言がうるさいのだ。

 血に濡れたこの姿のまま人前に出るのは、若干恥ずかしいとな。

 特にお主の前に出るのは、なかなか抵抗があるらしい。儂は一向に構わんのだが……」



 確かに――今の晶龍八重瀬の服は血みどろ。その上ずぶ濡れで、どちらかと言えば華奢な身体の線が浮き上がっている。

 さらに言えばあちこち大きく裂け、布に覆われている部分より肌の露出面積の方が多いくらいだ。

 簡単に言えば、半裸に近い。

 改めてそれに気づいてしまい、寧々の頬が思わずかあっと熱くなる。


「……わ、分かりました!

 とりあえず私、家に戻って父の服を探してきますね!」



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