第23話 降臨
ほぼ同時刻、白龍島――
割れた大地から姿を現した、銀の龍。
その出現に伴い島は大きく揺さぶられ、島民たちはひたすら恐怖に慄いた。
龍に向かってひたすら祈りを捧げる老夫婦、ぽかんと見上げるばかりの子供ら、慌てふためいて食糧や家財道具を集める女たち。
そんな中、若い男らはどうしたかというと――
「嫌ですっ!
私、もう、納得できません!!」
ほぼ崩壊し、天井が割れている洞窟――晶龍の聖地。
そこに響きわたったのは、寧々の悲鳴。
彼女は巴由自と同じく、あの水流から奇跡的に助け出されていた。やはり八重瀬の剣の光に守られて。
しかし――
巴と違って不運だったのは、寧々を救出したのは守備局ではなく、島の男たちであった点だ。
それも、執拗に八重瀬たちを追いかけた、則夫たちを中心とした一団に。
当然のように寧々は再び白装束を着せられ、半壊している洞窟まで無理矢理連れてこられたのである。
強引に腕を掴もうとする則夫の手を、必死で振り払う寧々。
そんな彼女の態度に、男たちはほとほと困っていた。
これまで素直に自分たちに従っていたはずの巫女が、何故――?
「寧々! こ、この……
全く、いつからこんな強情なアマになった!」
「離して!」
則夫から逃れ、寧々は敢然と村人たちを睨みつける。
「私の家族のみならず――
八重瀬さんや巴さんを、あんな目に遭わせてまで!」
その瞳には、涙まで浮かんでいる。
彼女の胸に去来するものは、懸命に自分を助けようとした、二人の青年の姿。
――寧々さん。
この島から――出るつもりはないかい?
殊に八重瀬の姿と言葉は、寧々にとって決して忘れられなかった。
生贄として捧げられた自分に、迷うことなく手を差し伸べてくれた、どこまでも優しい眼鏡の青年。
初めて島へ足を踏み入れたばかりなのに、時代から取り残された島の状況を的確に分析し、寧々に真実を教えてくれた。
既に戦争は100年前に、日本の敗北で終わった――その真実を。
眼鏡の奥で柔らかく煌めく、不思議なエメラルドの瞳。意外に大きな手のぬくもり。
――生贄としての運命を当たり前のように受け入れていた少女にとって、八重瀬の言葉はあまりに強烈なカルチャーショックであり、その心情に大きな変化を齎していた。
「優しかったんです。八重瀬さんたちは……!
会ったばかりだったのに、何の迷いもなく私を助けてくださって。
私に、色々なことを教えてくれた。何も知らなかった私に!」
崩れかけた洞窟の前で、思わず両膝をついてしまう寧々。
その脳裏をよぎるものは、どれほど撃たれても敵意を向けられても、最後まで必死に島民の説得を続けた青年の姿。
「なのに何故、皆さんはあの方たちをあんな目に……
とても、とっても、いい人たちだったのに!」
だがそんな彼女の腕を、則夫は強引に引っ張り上げる。
彼を始め、口々に寧々を責め立てる村人たち。
「いつまでもワケ分からんこと、言うでねぇ。
奴らは侵略者だ。何も知らんお前を連れ出して、晶龍様を汚そうとした」
「そうそう。きっと晶龍様を戦争に利用しようとしてるに決まってるさね!」
「龍神様は島の宝。決してよそ者に触れさせちゃいけねぇよ」
「ずっと島を守ってこられた晶龍様だ。今度は我らが守る番さ」
「今まさに、お空に晶龍様がおられる。今こそお前が、役目を果たす時ぞ」
駄目だ。どんなに言葉を重ねたところで、この人たちは聞かない――
寧々の心が、絶望に沈んでいく。
たとえ今、既に戦争は100年近く前に終わっていると彼女が言ったところで、誰も信じはしないだろう。お前は子供だからよそ者に簡単に騙されると、一蹴されるだけだ。
寧々には決して思えない。あの真剣な八重瀬の言葉が、眼差しが、嘘だなどと。
男たちに無理矢理引っ張り上げられながら、彼女の眦からひとしずく、涙が落ちた
――その時。
「……!?
な、なんだ? 洞窟の中から……!」
未だ微かに揺れ続ける大地。
崩れかけた洞窟の入口に積み重なっている大量の岩。その奥の闇から――
奇妙に青白い光が、漏れ出していた。
一瞬の後、盛大な爆発音と共に、入口を半分がた塞いでいた岩が、ほぼ全て弾け飛んでいく。
洞窟の内部から不自然なまでの突風が吹き荒れ、人々は全員まともに立っていられないほど狂暴な風に晒された。
「こ、これも、龍神様のお怒りか!?」
「し、鎮まりくだされ、晶龍様! 今すぐに巫女を……!」
小石混じりの嵐の中、さらに大量の水流が洞窟内部から間欠泉の如く噴き出していく。
眼も眩むような青の光と共に、洞窟を完全に崩壊させて。
まるで幾匹もの巨大な蛇の如く空をうねり、嵐の中を自由に踊る水流。
激しい風に晒されながら、寧々はいつの間にか目を奪われていた。その水流の、奇妙な美しさに。
青い光の中、飛沫を巻き上げ銀色に輝き舞い踊る水流はまさに、神々しいという形容が相応しい。
銀の水流と、青い光の中心――
そこに静かに浮かび上がったのは、一つの影。
人の形をしたその影の背に負われているのは、どこまでも青く輝く大剣。
その刃は影の2倍以上の長さにまで伸びきり、鋭い煌めきを放っている。
――あれはまさか、八重瀬さんの剣?
じゃあ、あの人は――!?
すぐに寧々は思い当たり、よくよく目を凝らす。
生きていたのか。あの状況から、もしかして八重瀬さんが――
しかし彼女の位置からでは影の表情は暗く翳り、はっきりと見えない。
だが数秒も経過すると、その強い瞳の輝きが次第に見えてきた。
――違う。
あの眼は、恐ろしいほど、澄み切った紅。
八重瀬さんの眼は、あのような色ではなかった。
そして次第にはっきりしてくる、影の輪郭。
顎のあたりまで伸びている、透き通るような銀髪。
だが、『それ』が身に着けているものは、ほぼ全て八重瀬のものだ。
背広は原形を留めぬほどぼろぼろになり、右袖の一部しか残っておらずボロ布のように風に舞い。
穴だらけになったワイシャツは、白い部分がほぼ見えないレベルで真っ赤に染まっている。
途中から引きちぎられ先端が消失し、力なく風に靡くネクタイ。
左脚は革靴が脱げてほぼ素足。膝まで裂けたズボンの破れ目から、ふくらはぎが露出していたが
――服装自体は、何故か、一致していた。行方不明になった時の八重瀬と。
彼の象徴とも言える眼鏡だけは、どこかへ吹っ飛んでしまっていたが。
――ただ。
服の裂け目からちらちらと覗く肌は、どこも、傷ついてはいなかった。
撃たれたはずの胸も、腹も。傷ついていたはずの左肩も。
衣服こそ激しく損傷し真っ赤に染まり、身体中に血塊がこびりついてはいるが、肌自体は綺麗なものだ。
「え……?
や、八重瀬……さ、ん?」
嵐の中、茫然と立ち尽くしてしまう寧々。
そんな彼女を、ぎろりと睨む紅の瞳。
空に浮かび上がったまま、その人影はどこまでも冷たく、下界を見渡した。
――その額に燦然と輝くものは、
どこまでも深い青をたたえた、水晶。
血塊が黒くこびりついた唇が、静かに動いた。
水流も荒れ狂う嵐も一瞬静止し、まるで一枚の絵のように、影の周りの世界がぴたりと止まる。
そして、響きわたった声は。
「我は、
魔と人を繋ぎ、その均衡を図る調停者。
何人たりとも、我の前で融和を乱すこと、許さぬ」
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