第19話 引き裂かれて



 二人を包みながら、銀色に輝く水の流れはますますその光を増した。

 ゴウゴウと音をたてながら、八重瀬と寧々を中心として激しくなっていく渦。

 勿論、俺がどう頑張っても、最早近づくことすら出来ない。


「八重瀬……ッ!?」


 濁流に吞み込まれ、どんどん引き離されていく八重瀬たちと俺。

 他の村人どもの絶叫も聞こえたが、今や俺は自分を何とかするのが精一杯だ。



 そんな大混乱の中、出っ張った岩壁に何とかとりついた、俺の眼が捉えたものは――



 ついさっき俺たちが戦った八つ頭の化け物と、ほぼ同じ形の怪物――つまり、龍。

 ぎょろりと輝く丸い眼球、無数の牙。

 双対の角はさっき見た時より一層強く光っている。何かを求めるかのように。

 何より、その身体は最早半透明ではない。大量の水を羽衣のように纏い、目がくらむほどの銀のウロコを煌めかせ、実体をもって俺たちの前に出現していた。

 その威容は――

 まさに、無数の水晶で形成された龍。『晶龍』の名に相応しい。


 その前脚が八重瀬と寧々の二人をわしづかみ、ゆっくりと引き上げる。

 水を呑んでしまったのか、八重瀬のそばで気を失っている寧々。

 そして八重瀬は血みどろのまま、龍の前脚、つまり掌らしき部分の上で仰向けにされる――

 片手で大剣を抱え、生気を失った白い顔で、この怪物にぼんやりと視線を投げかける八重瀬。

 半開きになったその眼に、全く光はない。最早意識があるかどうかも、俺には分からない。


 8つの頭のうちひときわ大きな首がにょろりと蠢き、二人を眺める。

 そのデカめの頭だけふさふさと銀色の毛髪が生えそろい、鱗粉のような光をまき散らしていた。

 ひときわ目立ったのはその眼球だ。半透明の銀色、まるでビー玉みたいだったはずのその眼球が、血で満たされたかのように真っ赤に変貌している。


 その真紅の眼球は、じっと八重瀬を眺めていたが。

 ほんの少しだけ、気持ち悪くニィっと笑った――ように見えた。少なくとも、俺には。

 その瞬間、再び響いた声は。



 ――やっと、見つけた。

 ――ようやく逢えたな、真言。

 ――儂の半身。儂の魂を、宿せる身体。



 さっぱり意味が分からない。

 アイツが、晶龍の半身? 晶龍の魂を宿す?


 だが、次の瞬間。

 伸びきった龍の爪が、八重瀬の胸元を掴み――


「!」


 俺が叫ぶ余裕なんて、全くなかった。

 鋭く尖った銀の爪が、傷つけられたアイツの胸へ、直接ずぶりと刺しこまれていく。


「ぎ……

 ぎゃ、ああ、ああぁああぁああぁああああぁっ!!!」


 これまで聞いたこともないレベルの、八重瀬の絶叫。

 いつも穏やかというか、弱気そうな声しか聞いていなかったから、俺の耳には一層悲痛に響く。


「や……やめ……っ!

 何で、こんな……!?」


 意味も分からないまま、ヤツは必死で抗おうとする。

 寧々はといえば、ご丁寧に龍のもう一方の前脚に抱え直され、とうに意識を失っていた。

 逆に、あの子が見なくて良かったかも知れない――こんな光景。


 そして響き続けるものは、龍の声。

 俺ももう分かる。これは、龍自身の声で間違いないと。



 ――待っていた。

 ずっと、待ち望んでいた。

 この島を救える。儂の呪いを断てる者を。



 同時に次々と、八重瀬の身体に突き刺さっていく龍の爪。

 それは胸だけじゃない。腕、脚、腹までも、深々と貫いていく。そのたびに、あまりにも悲痛な叫びが響きわたった。

 それでも――何故か八重瀬は、まだ意識があった。少なくとも、痛みを感じて悲鳴を上げられる程度には。

 むしろ龍に捕らわれる直前より、意識は明白になっているのかも知れない。というかアイツ、気絶すら許されなくさせられちまったような――

 溢れる渦で崩壊寸前の空間を裂く、絶叫。



 痛みに満ちたその叫びを聞きながら、龍の眼球はさらに鈍く光った。まるで獲物を値踏みでもするように。

 無数の牙が細かく生えそろっている口腔が、八重瀬の眼前でゆっくりと開かれていく。

 その奥からちろちろと這い出したものは、やたら長い深紅の舌。しかも見る間に数本枝分かれして、八重瀬の身体の上を這いまわっていく。

 無遠慮にその頬や首筋をべろりと舐め回した上、少し裂けた襟の間へと侵入していく舌。それは血まみれのワイシャツの中にまで、百足のようにごそごそと容赦なく――



 ――吐き気がした。

 あの文字通りの龍畜生が、苦しみ続けるアイツの全てを絡めとるかのように見えて。

 あまりにも一方的な暴力が、アイツをどんどん侵食しているように思えて。

 同時に俺自身まで、心のどこかを踏み荒らされ、汚されていく。そんな気がして

 ――俺は思わず、声を荒げていた。



「ち、畜生……やめろ。

 やめろ、やめろ、やめろぉおおぉおおおぉっ!!!」



 そんな俺の声に反応したか。

 龍の左側の眼球が、ギロリとこちらを見据えた。



 ――邪魔をするな。



 正確にそう聞こえたわけではない。だが、龍の眼球は間違いなく拒絶と敵意を示していた

 ――明白に、俺に対して。


 ヤバイ。

 そう思った時にはもう、8つの頭のうち少なくとも3つが、俺の周囲を取り囲んでいた。

 一斉に襲いかかってくる水流。ぐわっと音をたてて剥かれる、無数の牙。

 終わった。本気で終わった。

 もう俺には、殆ど何の力も残ってな――



 だがその瞬間響いたものは、八重瀬の叫び。



「駄目だ……晶龍!

 彼を、巴君を、殺しちゃ……!!」



 同時に眼前を覆い尽くしたものは、光。

 晶龍の光ではない。これは――

 八重瀬の大剣が放った、深い青の光だった。


 見ると八重瀬は、晶龍に全身を押さえつけられながらも力まかせに右腕で大剣を掴み、俺に向かってその光を翳している。

 あれだけ晶龍の爪に身体を侵食されていながら、まだ明確に意識があるのが不思議だ。



「逃げろ……巴君!

 晶龍の力が、暴発する前に!!」

「や……八重瀬……っ!?」



 俺の眼前で、龍がその動きをぴたりと止めた。まさに今、俺を喰らおうとしていた龍が。

 俺の前髪にまで到達しかかっていた牙。それが八重瀬の声だけで、まるで時間停止の魔法でも発動したかのように静止している。

 同時に青の光は、加速度的に強まっていき――



 俺の身体は一気に、光と水の濁流へと呑みこまれていく。

 天を貫く龍の咆哮。

 その一声だけで大地は激しく揺らぎ、

 輝く水晶で構成された洞窟が、見事に天井から崩落していく。



 八重瀬が、寧々がどうなったのか。

 水流に巻き込まれた村人たちはどうなったのか。

 アイツの持っていたあの大剣は。あの刃が放った、青の光は何なのか。

 そして、『晶龍』があそこまで、八重瀬を求めていた理由は何なのか。



 ――俺は何も分からないまま、激流に身を任せるしかなかった。

 微かに聞こえたものは、八重瀬の声。



 ――巴君。

 どうか、君だけでも、逃げて。

 晶龍が僕を求めているなら、僕が――



 その後に続く言葉は、もうどうやっても聞こえなかった。

 何があるってんだよ。

 アイツと晶龍の間に、何が。

 アイツはただ、クッソ弱いだけの、落ちこぼれじゃ――



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