第8話 予兆とカミカミ敬語とその笑顔


 2時間後。

 とっぷりと日が暮れ、青白い月光が窓から射し込む中、階下の三味線の音はまだ続いていた。

 俺は敷かれた布団に寝そべりつつ、月を睨みながら考える。


 ――昭和115年。


 奥方のありえない答えが、俺にはかなり衝撃だった。

 勿論これを聞いた瞬間、八重瀬の表情も若干凍りついたように見えた――

 そのままヤツは則夫に引きずられるように、宴会に連れ込まれてしまったが。


 部屋の外、廊下の電灯はまだほのかに点いているが、それ以外の灯はろくに見当たらない。俺のいる二階全体が、暗がりに包まれていた。

 日が暮れたら、さっさと寝てしまう連中も多いのだろう。もしくは明るい光を求めて宴会に集まるか。


 俺も八重瀬も浴衣を勧められたが、未だ着替えていなかった。いつ、どのように状況が動くか分からない。

 ワイシャツのままでも一応仮眠をとるつもりで寝ようとしたものの、どうにも落ち着かない。


 昭和のまま、戦前のまま、時が止まった島。

 この島を時の牢獄に閉じ込めた魔獣――晶龍。

 そして――


 何より俺の心に残ったものは、ストレスとはほぼ無縁に生きる人たちだった。

 時間に追われることはほぼなく、鬱陶しい規則にも縛られず、歌いたい時に歌い、食べたい時に食べ、休みたい時に休んでいる。

 現に今も、俺のことなど何にも気にしない三味線と、やや音痴な歌声は村に響いている。興が乗ってきたのか、そこに太鼓まで混じり始めた。

 農作物も、エネルギー源も、晶龍のおかげで尽きることはない。

 本来なら島民が対策すべき災害からも、晶龍のおかげでほぼ完全に守られている。



 ストレスまみれで魔獣に変化する人間なんて、ここには存在しない。



 俺は何となく、ワイシャツのポケットにしまっていた神器を取り出し、眺めた。

 今は拳大の、半透明の勾玉のような形状になっている神器。ミニサイズになっても神器は持つ者によって色と形がそれぞれ違い、俺は橙色の勾玉。八重瀬は青い剣だ。

 そして、いつもの形にするにはやや手間と時間と――結構な痛みを伴うシロモノ。正直、俺は今でも慣れてない。

 魔獣殲滅の為に作られた神器。魔獣殲滅の為に青春を捨てた俺。

 なのに――

 魔獣に支配されていながら、島の連中は殆どストレス知らずだ。



 畜生。暗闇の中で何とか眠ろうとしても、逆にぐるぐる考えが回り続けて止まらねぇ。

 下からは笑い声に混じって、怒鳴り声まで聞こえてきやがった。喧嘩でも始まったのか。

 俺はイライラしながら寝返りをうっていたが――

 それから、しばらくして。



「巴君。

 ……起きてる?」



 いつの間にやら宴会から戻ってきた八重瀬が、俺を上から覗き込んでいた。

 さっきまでの笑顔は全くなく、眼鏡の奥の大きな瞳が月光の中、妙に煌めいて見える。

 俺は慌てて身を起こした。


「な、何だよ」

「ちょっと……話があるんだ。

 さっきまで色々、島の人たちに詳しい話を聞いてたんだけど」


 そこそこ呑まされたのか、八重瀬の頬が若干赤くなっている。

 それでも酔い潰れるまでは至ってない。結構なドンチャン騒ぎやってたような気がしたけど、コイツ意外と酒には強い方か。


「奥さんが話していた、島のエネルギー源のことだけど。

 晶龍の力を、電気やガスに変換してるっていう……」

「それがどうしたんだよ?」

「則夫さんがさっき、酒の勢いでこぼしてたんだけど。

 最近になってその力が徐々に弱ってきて、皆頭を抱えてるらしい。農作物も海産物も、以前より収穫量が落ちてるって……

 これまで起こっていなかった台風や地震も頻繁に起き始めてて、島民の間で不安が広がっているみたいだ」


 それってつまり……


「晶龍の力が、衰え始めてるってことか?

 だけどさっきの婆さんは、そんなこと一言も」

「言うはずがないよ。

 あの奥さんは島の責任者の一人だ。そんな重大事を、そう簡単に外部の人間に漏らすわけがない」

「じゃあ、人柱のことは……」

「しっ」


 自分の唇に指を当て、俺の言葉を制止する八重瀬。

 眼鏡の奥でエメラルドの瞳がチカリと煌めく。うんと声を潜めながら、ヤツは続けた。


「誰が聞いているか分からないし、発言は慎重に行こう。

 さすがにその件までは聞けなかったけど……多分、島の人たちの不安は本物だ」

「あの様子じゃ、そこまで追いつめられてるとは思えなかったけどな。少なくとも、生贄捧げるレベルじゃ……」


 そんな俺の言葉に、八重瀬は首を横に振る。


「ここ数年、今後の蓄えが不安になるレベルで収穫量が減少しているのは事実らしい。

 エネルギーにしてもそうだ。少し前は夜でも村は明かりでいっぱいだったらしいけど、今は節約の為に、村長宅以外は電気の供給を止めているみたいだよ。

 それで、今こそ内地との交流を再開する時だって声も一部から起こったって、誰かが口に出したけど……

 その話が出た途端、内原うちばらの話はするな!って村長が怒鳴って、みんな黙っちゃってね。

 それ以上詳しいことは聞けなかった」

「内原……って?」

「家の名前だと思う。多分、贄になってる子の」


 そんなところまで突き止めたのか、この短時間で。

 八重瀬の話術がすごいのか、島の連中の口が軽いのか分からないが。



「それに――」



 八重瀬は少し言いにくそうに、スーツの左袖をぎゅっと握りしめた。

 指先がかすかに震えている。



「さっきからずっと、感じるんだよ。巴君は何も聞こえない?

 誰かが、……呼んでるのを」



 そういえばここに泊まる直前も、八重瀬は何か聞こえたと言っていた。

 その声はもしや、ずっとコイツを呼んで……?



「あの山を見た時からずっと、僕を呼ぶ声が聞こえるんだ。

 最初は空耳かと思ったけど、だんだん声は強くなってきて……

 行かなきゃ、って気がしてたまらない。自分の意思とは無関係に、身体が熱くなってて……」

「酒飲んだせいじゃないのかよ」

「勿論それも考えたけど、僕は元々そこまで酔わない。

 だから、どうしてこうなってるのか……自分でもよく、分からないんだ」



 そう呟く八重瀬の声自体、かなり震え出している。

 頬が赤くなっていたのはそのせいか。よく見ると額から玉のような汗も噴き出している。

 さすがに放っておけず、俺は思わずヤツの両腕を掴んだ。


「おい。しっかりしろって……

 ただの飲みすぎ。調子乗って、いつもと違う酒でも飲んだからじゃないのか?」

「僕もそう思いたかったけど、でも、違うんだ!」


 意外なほど強い力で俺の手を振りほどく八重瀬。

 そしてヤツは、とんでもないことを言い出した。


「だから、今からあの山――白龍山へ行ってくる」

「え!? ちょ、今、夜中何時だと……」

「巴君は寝てていいよ。というか、ちゃんと寝て休養してて。

 僕だけでも行ってくるから」


 戦闘能力皆無に近い八重瀬が、たった一人で魔獣の潜む山へ? しかも災害級にヤベェ魔獣の元へ? 飲まされてフラフラな状態で?

 冗談じゃねぇ。死にに行くようなもんだろが。


「バカヤロウ……俺も行くって」

「え?」


 俺は神器を軽く握りしめつつ、えいやと身を起こした。

 今は小さな勾玉と化している神器を。


「そもそも最初からそのつもりで、俺たちはこの島に来たんだ。魔獣の正体を調べるために。

 もってこいの機会じゃねぇか」

「だけど……危ないよ」

「アホ。お前一人で行かす方がよっぽど……!」


 思わず八重瀬と目が合い、俺は思い出した。

 そういやコイツ、俺より……そこそこ年上だったっけ。

 そう気づいた途端、いきなりしどろもどろになる俺の言葉。


「だから、えっと……

 あ、アナタを一人で行かせる方が、よっぽど危ない……デス。

 あの、八重瀬……サン」


 それを聞いた途端、ぽかーんと目を見開く八重瀬。

 一瞬の沈黙の後、思いっきり噴きだされた。


「ぷっ……あは、あははは!」

「なっ……わ、笑うなって!!

 じゃねぇ、笑わないで……クダサ……ぃ……ョ」


 その言葉づかいにあまりに慣れなさ過ぎて、ついつい真っ赤になるわ視線が明後日の方に向くわ語尾がやたら小声になるわ、もう尋常でなく情けない俺。

 それを見て、八重瀬はさらに大笑いしていた。


「ちょ、笑わせてるの巴君じゃないか!

 何でいきなり、急に? 

 ……あ、もしかして、さっきのこと? 僕が二十歳過ぎてるって言ったから?」


 ハイ、図星デス。舌嚙み切りたいレベルで恥ずかしい。

 そんな俺に、八重瀬は肩の荷がおりたかのようにほうっと息をついた。


「ごめんごめん。でも今更、巴君に敬語使われても困るよ。

 僕も調子狂っちゃうし、何より巴君自身が嫌だよね?」

「あ……

 あぁ、そーだよ! お前のせいで思いっきり舌噛むトコだったぜ!!」

「そうそう、巴君はそれでいいって。余計な気を遣ったら、戦闘にも支障出るからさ。

 でも、ちょっとほっとした。あぁ……面白かった」


 何が面白いんだ。そう怒鳴ろうとしたが、眼鏡外して笑いの涙拭いてる八重瀬見ると何も言えない。


「正直、さっきまでちょっと不安だったんだ。

 自分自身に何が起こってるのか、分からなかったから」


 そこまで深刻なものだったのか。八重瀬を呼ぶその、声ってヤツは。

 神器を操る者としての血がそうさせるのかも知れないが、だったら何故、俺は何も感じない?


「だけど、巴君のおかげで少し安心したよ。

 ありがとう」

「バカ。別に、てめぇの為にやったわけじゃ……!」


 これはマジだ。決してツンデレなんかじゃねぇ、断じて。

 それでも、心からほっとしたような八重瀬の笑顔は――

 月明かりの中、妙に俺の心に焼きついた。



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