第7話 昭和115年
さらに淡々と語り続ける奥方。
「わたくしの父母は、日本がだいぶ有利だとしか聞かされていなかったそうですが。
この島にも敵の手が迫っているとの噂もあり、当時は島中、かなり混乱していたそうです。
生活に必要な物資も、それまでは本土からの輸送に頼ることも多かったそうで」
太平洋戦争によって日本がどうなったかも、その後どんな歴史をたどったのかも、島の連中はまるで知らない。
奥方は比較的冷静に話しているが、島民の中には多分、日本が勝利したと信じて疑わないヤツもいそうだ。
この島は位置的に、奄美群島にかなり近い。そして奄美といえば戦時、本土防衛の最前線とされた場所。
ということは当時、相当の激戦地となってもおかしくなかったはずだ。
――島の存在が知られていれば、の話だが。
思わず八重瀬を見ると、やっぱりヤツもじっと唇を噛んだまま黙っている。
それなりに覚悟はしていたものの、その覚悟を現実は大幅に超えてきやがった。
俺たちの世代は祖父母まで含めてみんな、ほぼ戦後生まれだ。
だが当時の戦争がどれだけ酷かったかは、俺も子供の頃から学校やら何やらで嫌というほど聞かされている。
無差別の大空襲、凄惨を極める地上戦。そして落とされた原爆。
あらゆる命と生活が犠牲になり、あらゆる街が廃墟と化し、迎えた敗戦――
まさかそれを、この島の連中は、全く知らない?
急に目の前の老婆が、得体の知れぬ魔女のように思えてきた。
俺たちにとって、当時の歴史はほぼ常識。だがそれを今彼女に話したら、一体何が起こるのか。
そもそも、どうやって信じさせるのか。
日本は戦争に負け、その後高度成長期を迎え信じられないほど急成長を見せたが、2000年代に入って以降は徐々に力を失い、災害や疫病に苦しめられ人々は余裕を失いストレスにまみれ、少しずつ衰退の道をたどっているなど。
この島と、周辺の時間を大きく分断したのは、やはり晶龍の力なのか。
戦時中、軍部は当然、血眼になってこの島を探したはずだ。本土決戦の礎とする為に。
そして戦後は米軍も、ありとあらゆる手段で島の存在を探ったはずだが
――それでも島には誰の手も届かず、誰の眼にも触れられなかった。
そこまでとてつもない力を持つ魔獣なんて……
そんな風に俺が頭でぐるぐる考えている間にも、奥方は静かに語る。
「ですがそれでも、晶龍様だけはわたくしどもを見捨てはしなかった。
島に閉じ込められたわたくしどもの為に、晶龍様はその身をあの山に隠し、自らの身を削り取って我々に資源として分け与えてくださった」
その一つが、島のエネルギー源となっている晶龍のウロコってわけか。
俺も八重瀬も、あまりにとてつもない話に茫然としてしまっていたが。
「そう。
だから我々も、晶龍様に命がけで御恩を返して当然さね~!」
と、突然襖を開け放ちながら部屋に入ってきたのは、着流し姿の若い男。
酒をたらふく飲んだのか、顔は真っ赤。陽気に歌まで歌いながら、無遠慮に俺の腕を掴んできた。
「ほらほら~、お兄さんたちもこっちで飲もうねぇ。
食事はみんなで食べるのが、一番おいしいよ~!」
「え、ちょ、おい……!」
やべぇ、俺の一番苦手なタイプ。
ワイシャツの袖をぐいぐい引っ張られながら、俺は思わず奥方に目線で助けを求めてしまった。
「これこれ、則夫。お客様に失礼ですよ。
せっかく内地からのお客様だから、わたしも色々お話を伺っているのに」
と奥方はやんわり止めてくれたが、則夫とかいうこの男は止まらない。多分息子か何かか。
「もったいないねぇ、話をするならみんなの前で堂々とやりなよ~!
ほら、お兄ちゃん。若いんだからこの島の酒た~っぷり飲んで、元気つけなぁ!! せっかくの晶龍様のお恵みだよ~!」
「いや、俺、酒は飲まねーし! ていうか俺未成年だから飲めねーし!!」
思わず大声で抗議してしまう俺。しかし則夫は止まらない。
「おカタイこと言いなさんな、この島じゃみんな子供も酒なんか勝手にじゃんじゃん飲んでるさね。お兄ちゃんも見たところ、15ぐらいかね? だったら……」
「冗談じゃねぇ! 島の常識なんて俺ぁ知らねぇよ!!」
「まぁまぁ~」
それでも有無を言わさず、俺を引っ張っていこうとする則夫。ロケランブッパしてやろうか。
見かねたのか、八重瀬も割って入る。
「すみません。この島ではどうか分かりませんが……
本土の法律では、彼の年齢じゃ飲酒は出来ないんです。
未成年の飲酒は身体に悪影響を及ぼすので、固く禁じられているんですよ」
そんな八重瀬の介入に、思い切り不満げに口をすぼめる則夫。
「えぇ~? じゃ、バレなけりゃーいいだろ?」
「まぁ、落ち着いてください。
巴君のかわりに、僕が一緒に呑みますので」
にっこり笑いながら、則夫をなだめる八重瀬。
それに気を良くしたのか、則夫も呵々大笑してヤツを引っ張っていく。
「ワーッハッハ、そうこなくっちゃね! みんなも内地の話、聞きたがってるよぉ」
あまりの笑い声で頭が割れそうだ……
って、ちょっと待て。則夫にノコノコついていこうとする八重瀬の背広の裾を、俺は慌てて掴んだ。
「おい、八重瀬。お前もまだ未成年じゃないのか」
「あぁ、大丈夫。
僕この間、二十歳になったばかりだから」
笑顔でそう答える八重瀬に、俺は思わず固まってしまった。
こいつ、俺よりそんな年上だったのか。いや、年上ってのは知ってたけど、同期な上にいつもの態度があぁだしで、今まで平気でタメ口で話してたぜ。
俺がぽかんと口を半開きにしている間に、八重瀬はさっと立ち上がり、則夫を追って階下に向かおうとしたが――
その時何かに気づいたのか、ヤツはふと奥方を振り返った。
「あの、奥さん。
ちなみに現在は……何年です?」
「何年?
年号でしょうか?」
「えぇ。年齢の話から、今年が何年だったか思い出そうとしたんですけど、ド忘れしてしまって」
八重瀬がトボけたふりをしているのは、俺にも分かった。
そう言われて俺も周囲を見渡したが、カレンダーらしきものがどこにもない。それどころか、時計も見当たらない。
困ったように答える奥方。
「あぁ……
すみませんねぇ、暦を記すものがここには少ないもので」
「時計とか、カレンダーとかありませんか? どこかに」
「そういったものはよく分かりませんで……
そもそも時計の読み方が分からない者も大勢おりますし、わたくしどもにはあまり、日にちや時間を決めて行動するという習慣がないものでねぇ。
前に内地のかたが来られた時にも聞かれたものですが」
のんびりとした口調ながら、奥方は少々考え込み――
そして答えた。当たり前のように。
「そうそう。
今は確か、昭和115年でしたっけ」
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