第5話 陽射しと守り神と桃源郷


 静かに周囲を観察しながら、八重瀬は緩みかけたネクタイを締めなおす。

 季節は、初夏。二人ともスーツだからそこそこ暑い。

 俺は最初から背広なんてめったに着ないし、ワイシャツの襟元もネクタイも日頃から緩みっぱなしだが、八重瀬は対照的に、どんな時でもきっちり着込んでる。

 クソ真面目というか何というか……


 サンサンと照りつける陽射しは確かに夏のそれだが、そこまで不快ではない。湿度が高くないせいか、爽快ささえ感じるくらいだ。

 今の都会の夏なんて冗談じゃなく命を落とすレベルの暑さで、夏こそ外に一歩も出たがらない人間も多い。それに比べれば天と地の差。


 道路で子供が普通に走り回る風景も。

 そこらへんの家や壁を勝手に使ってボール遊びをする光景も。

 人々が平気で地べたに座ってものを食いつつ笑う風景も、商品に触ろうとした子供を店主の婆さんがその坊主頭をはたいて叱る姿も、

 ――今は殆ど、俺たちのいる街では見られないものだ。

 子供が道路で遊べば事故にあうのは当たり前だし、公園ですら子供は自由に遊べないし、そもそも子供自体が少ない。

 そして、赤の他人が子供を叱って頭を叩いたりすれば、たちまちSNSで晒され大炎上だ。


 俺たちの前を歩いていた老夫婦が、呑気そうに呟く。


「内地から来られたかたは、皆さん驚かれますなぁ。貴方がたのように」

「昔はこの島も、内地との交流がそこそこあったのですがねぇ。わたくしどもが生まれた頃は、それももうすっかりなくなってしまって。

 しかし最近になって、わざわざ都会から足を運ばれるかたもいらっしゃいまして」


 恐らくそれは、守備局から派遣された調査員だろう。もしくは課長本人が来ていてもおかしくない。

 俺たちが来る前からたびたびこの島にやってきて、慎重に島の秘密を探っていたんだろう。何も知らない旅行者のふりをして。


「この島はずっと旅行客に恵まれなかったゆえ、ろくな観光施設もございません。

 そのかわり旅のかたには、わたくしどもの家で丁重におもてなしをさせていただいております。

 一応自分たちは、この島――白龍村の村長のようなもんですからな」


 古い木造建築と畑が連なるなだらかな坂道。コンクリの舗装は殆どなく、乾いた土煙が軽く舞い上がり、時折小石の感触が足裏を刺激する。

 そして道沿いに一定間隔で、俺の身長より少し高いぐらいの石像を見かけた。目をカッと見開いた龍の頭をそのまま石にしたかのような――そんな像が、俺たちを偉そうに見下げていた。


「それにしても……

 すごく久しぶりだな。こんな穏やかな感覚」


 誰にともなく呟く八重瀬。

 確かに、日々ストレスまみれの中戦っている俺たちからしてみれば、この島の風景はまるでユートピアに思えた。

 いや――今この国で生きる殆どの人間にとって、この島の空気は生涯無縁のものじゃないだろうか。

 桃源郷。俺の脳のどこかを、そんな言葉が掠めていく。


 どこからともなく聞こえてくる、三味線の楽天的な音色。

 自然のままに咲き乱れる花。風に乗って漂う草いきれ。土煙と、人の汗の匂い。

 のんびりと木にもたれかかって三味線を弾く中年男。仕事は休みなのか、それとも最初から無職なのか知らないが。

 店の軒先で素足曝して呑気に寝ていた若い娘がいたと思ったら、ぴょこんと起き上がって無邪気に手を振ってこちらに笑いかけてくる。



 そんな人々の笑顔が――何故か妙に、引っかかった。

 今の『俺たちの』世界じゃ、決して見られないようなものの気がして。



 本当にここが、魔獣の脅威に晒されている島なのか。

 今この国を苦しめ、俺たちが酷い戦いを強いられている魔獣。それが本当に、この島を――?



 俺がそう訝しんでいると。

 何故か八重瀬はふと、町ではなく全く別の方向をぼうっと眺めていた。

 その視線はどういうわけか、町とは反対側、小高い山の方へと向けられている。

 島のほぼ中心部に位置する山へ。



「巴君。

 ……何か、聞こえなかった?」

「へ?」



 俺も確認してみたが、鬱蒼とした木々に覆われた山と青空以外は何も見えない。

 八重瀬の勘違いかと一瞬思ったが、ヤツだって俺と同じ、神器を操る血を持つ人間だ。

 魔獣に関わる何かを感じ取ったのなら、どんな小さな異変でも見逃しちゃなんねぇ。それは訓練時に耳にタコが出来るほど言われている。

 この島にはそこ以外、山らしい山は見当たらないが、もしかしたらそこが――



 その時突然、背後からのんびりとした声がかかった。


「あぁ……

 晶龍ジェンロン様のお山ですねぇ。わたくしどもは『白龍山』と呼んでおります」


 いつの間にかニコニコ顔で、俺たちのすぐ後ろにいた老夫婦。

 のどかな声は、そのご婦人のものだった。

 顔面いっぱいの笑みによりその目は細く縮まり、殆ど瞳が見えない。


「晶龍……『様』?

 それって……」


 八重瀬が尋ねると、老夫婦はさらに目に皺を寄せ、喜々として語り始めた。

 俺たちにとっては、とんでもない情報を。


「この島は古来より、晶龍様のお力によって支えられておりましてな。

 何百年も昔は荒れ狂っておられた時代もあったそうだが、今ではすっかりこの島の守り神として定着しておられますよ」


 どういうことだ。俺は思わず、八重瀬と顔を見合わせる。

 晶龍とはすなわち、俺たちの目的たる凶悪魔獣そのものじゃないのか。


 そんな俺たちの動揺も知ってか知らずか、奥方も嬉しそうに語ってくる。


「この島の豊かな気候も恵みも全て、晶龍様のお力によるもの。

 ご興味がおありでしたら、一晩中でもお話させていただきますよ? この島は白き神龍、晶龍様そのものですからねぇ~」


 当然のようにそう言ってのける奥方。

 だが俺はいてもたってもいられず、思わず踏み込んでしまった。


「あの、もう少し聞かせてくれ!

 晶龍ってのは、あの山にいるのか。もしかしてヒト――んむっ!?」

「ちょ、巴君!!」


 人柱の娘もそこに……と聞こうとして、八重瀬からいきなり口を塞がれた。

 何で止めるんだ。思わずそう怒鳴りかけたが、ヤツは頑なに首を振って囁く。


「今はまだ早い、巴君。

 この様子を見る限り、島では何も起こっていない――少なくとも表面上は。

 無駄に騒ぎを大きくしたら、逆に動きにくくなるよ」

「だけど」


 それでも俺の口を強引に塞いだまま、八重瀬はにっこり笑顔で老夫婦に答えた。大嘘で。


「この島の守り神――白龍伝説は、僕らの大学でも密かに有名なんですよ。

 僕ら考古学に興味があったので、龍の伝説に惹かれてここまで来たんです。お話を聞かせていただければ嬉しいですね」


 こいつ、ニコニコ笑ったままこんなにスラスラと嘘を並べられたのか。

 八重瀬と老夫婦の笑顔が、俺には一瞬タヌキとキツネの化かし合いに見えた。



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