罠
秋も深まる頃。紅と黄に染まる景色に寂しさを感じ、冷たくなってきた風に身を縮める――視界は鮮やかなれど、何故か漠然とした孤独感に苛まれる――ようになってきた。
ガルシア子爵が病死した。彼は1年前に発病したのだが、彼より長く病に侵されているルバートは、未だ生き永らえていた。地道に商売をし、家門を支えたガルシア子爵の死を、ヴェロニカは意識の無い父の分まで悼んだ。もちろん、爵位を継いだのはオリバーで、彼は父の事業を引き継ぎ、堅実に商売をするつもりだった。
しかし彼は、次々と失敗した。今更ながら、彼には商才が無かったのだ。アースラ男爵家の事業は、ルバートが執務を出来なくなった頃から、ヴェロニカが継いでいた。
今年流行ったのは、バターをふんだんに使ったお菓子。もちろんヴェロニカは、早いうちからバターを買い占めて、それを高値で売ろうと考えた。
ガルシア子爵も、共にバターを買い占めたが、それがオリバーに変わった途端、彼はタイミングを間違えてバターを売ってしまったのだ。まだバターが最高額にならないうちに、何をどう間違えたのか、彼はバターをほとんど売り捌いてしまった。
ヴェロニカの方は、バターが最高額になった頃に売り、利益を上げたが、オリバーの方はその半分程の利益にしかならなかった。
これはまだ損が無いからマシなのだが、彼は、アースラ男爵家を初め利益を上げた他の家門との差を埋める為に、別で事業を起こそうとして損をした。
彼が売れると予想してデザインした派手な首飾りは、全く売れなかった。所有する鉱山で採れた宝石をふんだんに使ったのだが、見事に失敗してしまい、多額の損失を出した。オリバーは知らなかったが、その首飾りのデザインは若い世代に好まれるもので、その世代で流行っていたドレスが派手だったのだ。
一方で、上の世代の間では、無地でできた地味なドレスが流行っていた。つまり、もっと上の世代向けのデザインにしていれば、成功したのだ。
オリバーがもう駄目だ、と思った時だった。救世主は、突然現れた。
「オリバー様が全て任せて下さるのなら、私めがこの状況を打開させてみせましょう」
度胸ある救世主は、鮮やかな藍色の髪に紺色の瞳の青年、オリバーの従弟のリーク・メンダシウム・ガルシアだった。
秋が風のように過ぎ、冬が無彩色の景色を描き始めた頃。
とある夜、突如として事件は起きた。
寝室で寝ていたランテ伯爵は、物音で目を覚ました。
ドタドタドタ、という足音に加え、何やら人の悲鳴が聞こえる。彼の横で寝ていた伯爵夫人も目を覚まし、ふたりは顔を見合わせた。
執事を呼ぼうとして伯爵が灯りをつけた時には、剣の打ち合う音、悲鳴がはっきりと聞こえた。
「大変でございます!覆面を被った怪しい輩が、お屋敷に侵入しました!」
執事長がドアを乱暴に開け、無礼を承知でずかずかと主人の寝室に踏み入った。
「何……!?」
伯爵は目を見開いて、夫人は顔を青くした。執事長の無礼など、咎めている場合ではない。
「旦那様、奥様、こちらに!」
メイドや執事に案内されて、ふたりは裏門からなんとか脱出したが、屋敷内は侵入者によって荒らされ、惨殺されたメイドや執事の死屍が積み重なっていった。
そんな中、伯爵家の兵は善戦し、侵入者達を追い返し、幾人かを捕虜にした。
「……お前ら、どこの出身だ。」
尋問しようと執事長が覆面を剥ぎ取ると、明らかに異国のものである褐色の顔が露わになり、その中のひとつが狼狽の色をして口を開いた。
「お、俺らは、あいつに頼まれて……!」
質問に答えてすらいないが、前置きも無しに本題に入ることになっただけなので、執事長は気にしなかった。
「"あいつ"とは一体誰の事だ?」
「俺らは字が読めねえから分からねえが、そいつの署名が入った契約書が右のポケットに入ってる」
もう1人がそう答えて、顎で自分のズボンの右ポケットを示した。縛られた体勢の異国人のポケットから、ひとりの兵士が一枚の紙を取り出して、執事長に渡した。"オズ傭兵団"と書かれており、執事長は署名を読み上げた。
「ヴェロニカ・スティカ・アースラ」
「あぁ、思い出した。そいつだよ。確かそんな名前だった」
褐色の男は冷や汗をかきながらそう答えたが、執事長はもう、褐色の男のことなど頭に無かった。
「アースラ男爵令嬢が……」
義理の妹をいじめていたと噂された、道徳心の欠片も無いらしい、あのアースラ男爵令嬢が……。自分の主人を殺そうと、傭兵を雇ったのか。
そういえば、アースラ男爵家とランテ伯爵家は商売敵だ、と執事長は思い出した。商売に邪魔だから、排除しようとしたのか…。
冷血だと噂の令嬢への恐怖が半分、主人を殺そうとしたことへの怒りが半分、彼の頭の中を占領した。
「だ、団長は俺達を見捨てはしない……!」
「あぁ、団長ならきっと助けにきてくれるはずだ……!」
彼の横では、褐色の男達が、口々に"団長"と言っていた。
「その団長は今何処にいる?」
我に返った執事長は、まずはこの者達の処遇を考えなければ、と褐色の男達に冷たく問うた。この場合、団長とやらの居場所=傭兵団の拠点だ。
「まだ初めの質問にも答えていないだろう」
執事長の薄茶色の瞳に鋭く睨まれて、ひとりを除いて、男達は皆震え上がった。
「だ、団長は……!」
「馬鹿かお前、団長を売る気か?団長だけじゃない、仲間をだ!!お前は仲間を売る気なのか!?」
ひとりが団長の居場所について話そうとしたところを、もうひとりが物凄い剣幕で遮った。
「黙れ。お前らが仲間を売る?そんなのはどうでも良い。早く答えろと言っているのだ」
男達の喧嘩に執事長が割って入り、彼らの争いは静まった。
「……俺は仲間を売るようなことはしない。」
さっきから落ち着いた様子の男が、執事長の目を見据えて言った。
「なんだと、この――」
横に居た兵士が、斬り掛かろうと腰の鞘に手をかけたが、執事長は右手を挙げてそれを制した。
「腰抜けの多い組織のようだな」
執事長は嘲笑して、
「取り引きをしないか」
と言った。
数日後、ヴェロニカはランテ伯爵に裁判を起こされ、一ヶ月後の裁判に備えて準備をしておくよう、告知された。
署名の他にも、ヴェロニカにはランテ伯爵を殺そうとする動機があると言われた。
アースラ男爵家とランテ伯爵家は商売敵で、ヴェロニカは邪魔者を排除しようとした、という噂はたちまち貴族達の間で広まった。
「……ノアール様」
「はい。ヴェロニカ様の言いたい事は分かっております」
「私は一体、誰に嵌められたのでしょう」
青ざめた顔でそう言って、ヴェロニカはノアールの腕の中にくずおれてしまった。
「こんなに優しい方を、一体誰が……」
ノアールは奥歯を噛んだ。彼女は、ヴェロニカに手を出す者には、それ相応の報いを受けさせるつもりだった。ひとまずその日、彼女は気を失ったヴェロニカを寝台まで運び、すぐに神殿に帰った。その日のヴェロニカの執務は、執事長のボリスが代行した。
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