愛しい人

「ハッ!」

ヴェロニカは大きく息を吐き、斬撃をくり出した。日光を受け、刀身は銀色に光り輝いている。渾身の力を込めた斬撃だったが、しかし、相手はそれを軽々と受け止めた。

カキン!

刃と刃がぶつかり、金属音が響く。午前の柔らかい日差しが、ヴェロニカの暗い金髪を明るく照らしていた。

「ここまでにしよう」

ヴェロニカが剣をふるった相手――ブラント・レーン・ルーアン――が額の汗を拭いながら言った。彼は、ヴェロニカと同じ第二騎士団の団員で、ルーアン男爵家の三男だ。黒い短髪は精悍さを放っており、濃緑色の瞳は、深林を想起させる。彼は、第二騎士団の次期団長に内定されている程の実力者で、第二騎士団の中で彼の右に出る者は居ない。だからといって、それをいばることもなく、騎士らしい真っ直ぐな性格で、同期だということもあってか、ヴェロニカは彼に好感を抱いている。

ふたりは、剣を打ち合う練習をしていたのだった。ヴェロニカは三ヶ月の療養を終え、騎士の仕事に復帰した。ノアールのお陰で、傷痕も後遺症も無く、ヴェロニカは彼女にとても感謝している。

サディーを始め、第二騎士団の仲間は、復帰したヴェロニカを喜んで迎えてくれた。

ヴェロニカが水を飲んでいると、ブラントがらしくもなく、何か言いたげに視線を送ってくるので、ヴェロニカは眉をひそめて口を開いた。

「何か言いたい事でもあるなら――」

「俺と婚約して下さい!」

ヴェロニカの声を遮って、ブラントは勢い良く言い放った。迷いを断ち切ったように、真っ直ぐとヴェロニカを見つめて。

「貴方と?」

驚いたような態度をとったヴェロニカだったが、彼女にとってこれは、予想外の話では無かった。

男爵家の三男である彼なら、次期アースラ男爵の婿養子となる為に、婚約を申し込んで来る可能性は十分あったからだ。

「あぁ、俺と」

緊張した様子で、しかし、ブラントははっきりと答えた。断られないか心配しているのだろう。

「……少し考えさせてくれる?」

ヴェロニカは保留することにした。彼女は騎士になれたが、まだ武勲を立てたことはない。それどころか、深手を負ったり、足でまといになることが多かった。これではまだ、世間に認めてはもらえない。ブラントにその意思がなくとも、世間がブラントに爵位を継がせることを強要するかもしれない。ヴェロニカにはそんな危惧があり、まだ、婚約を考えるには時期尚早な気がしていた。

「即答で断られなかっただけでも感謝するよ。まあ、結婚は人生の一大行事だしな。親に色々言われたんだ。そろそろ結婚を考える歳だろって」

ホッとしたように、ブラントは表情を緩めた。そこでブラントは一呼吸おいて、こうつけ加えた。

「俺はお前なら、結婚してもいいと思うけど」

そして彼は、ちらりとヴェロニカの顔を見やった。

「お世辞でも嬉しいわ」

ブラントはさり気なく、気がある事をほのめかしたつもりだったのだが、ヴェロニカは気付かなかった。或いは、無視したのかもしれない。

「快諾とは行かないけれど、父とも相談してみるから」

もっとも、ヴェロニカの父ルバートは、じっくりと話し合いの時間が持てる程、意識が長続きしなくなっていたが。ヴェロニカは表面上、爵位を盗られることを危惧している様子を出す訳にはいかなかった。

ブラントは気にした様子を見せずに、「さ、練習を再開しよう」と明るく言った。

青白い月明かりが、うっすらと辺りを照らす頃。夏とは言えど、夜は冷え込んでいた。

晩の祈りを済ませて、ノアールは自室に戻った。そこは、壁が石、床が木でできており、机と寝台が有るだけの、質素な部屋だった。冬はとても冷えるので、毛布を十枚、床に敷き詰めた年もあった。

ひとつしかない窓から差し込む月明かりが、机の上を照らしている。ノアールは、机の上に手紙が置いてある事に気付いた。

「一体誰から……」

ノアールは差出人の名前を見ると、黙って開封した。


"拝啓   ノアール様。この度は、私を助けて下さり、本当にありがとうございました。貴女に助けて貰えなかったら、私は私の居場所を失っていたかもしれません。それ程に感謝しています。もう定期診療の期間は終わりましたが、お茶とお菓子を用意しているので、今週の土曜日、うちに来て下さいませんか。敬具   ヴェロニカ・スティカ・アースラ"


ヴェロニカからのお茶会の招待状だった。ノアールは嬉しくなり、すぐに引き出しから紙とペンを取り出した。

"拝啓   アースラ卿。この度は、お茶会へのご招待ありがとうございます。もちろんこの招待、謹んでお受け致します。丁度、お借りしていた本を読み終わったので、ついでにそれもお返しします。"

そう書いて、ノアールはふと手を止めた。貴族令嬢のお茶会と言うからには、他にも客が来るのではないか。お茶会を開くのは貴族令嬢の嗜みだし、感謝の意を込めて、他の令嬢に自分を紹介してくれるのだろう、とノアールは思った。招待されるのは、自分だけとは限らないのだ。ノアールはため息をついて、再びペンを動かし始めた。


ヴェロニカは、小さいが、多彩な植物が生ける庭で、ノアールを迎えた。小さなテーブルに、お菓子の籠とティーカップ、ティーポットが置かれている。水色のワンピースを着て椅子に座っていたヴェロニカは、ノアールが執事長のボリスに案内されて来ると、立ち上がってお辞儀をした。

「ようこそお越し下さいました。こちらにお座り下さい」

「ご招待いただきありがとうございます」

挨拶を返して、勧められた椅子に座ると、ノアールは訊いた。

「……他に招待された方はいらっしゃらないんですか?」

小さなテーブルの端と端に配置された椅子に、ヴェロニカとノアールが座るのみ。他に人は居なかったし、また、来るとも思えなかった。

「ええ、そうですよ。この前のお礼ももちろんですが、私がノアール様とお話ししたかったんです」

ヴェロニカは微笑んで答えた。

「私と……ですか?」

驚いて、ノアールは聞き返した。フードを目深に被り、シャールまでつけて顔を隠すノアールは、外で気味悪がられるのはもちろん、神殿内でもあまり好かれていなかった。フードを目深に被るのがルールの司祭でも、基本、シャールをつけたりはしない。

「ノアール様は自分のことを低く見ていらっしゃるようですが、他人の事を深く思いやれる貴女はとても優しい人です。私はそんなノアール様が好きですよ」

ノアールには、ヴェロニカの笑みが物凄く眩しく見えた。暗闇を照らす太陽のような笑み。ノアールは胸の奥で何かが疼く感じがしたが、表面に出さないように細心の注意を払って表情を作ると、

「ありがとうございます」

と言った。

ふたりはしばらく他愛ない話をしながら紅茶を飲み、お菓子を食べ、お茶会を楽しんでいた。

「そういえば、婚約を持ちかけられたんです」

この時、ノアールはシャールの陰で眉を動かしてしまった。

「お相手はどなたですか?」

そして、思わず訊いてしまった。

「ルーアン卿ブラントです。騎士仲間でうちと同じ派閥なので、丁度いいかな、とは思っているんですけど」

ノアールの内心を知らずに、小首を傾げてヴェロニカは答えた。

恥じらう様子もない平然とした態度のヴェロニカを見て、ノアールは彼女がブラントに恋愛感情を持っている訳では無いと気付いて、安心した。

内心、そんな自分に呆れてくるノアールである。ヴェロニカの行動で一喜一憂するなんて。

ヴェロニカに向けたはずの彼女の笑顔は、心ならず自分に向けた嘲笑になってしまった。

それからしばらくして、急にヴェロニカが切り出した。

「あの、ノアール様。今度ピクニックに行きませんか?」

「ピクニック……ですか?いいですが、どうして私と……?」

ノアールが聞き返すと、ヴェロニカは微笑み、

「私が、ノアール様と行きたいからです」

と答えた。

――レイラがいた頃は、ヴェロニカは他に友達を作ることに興味が無かった。レイラはいつも、愛する妹で、気の合う友達だったのだから。

ヴェロニカの中に、レイラとピクニックに行った時の記憶が蘇った。

エレノアが亡くなってすぐ、ヴェロニカは元気の無いレイラを元気づけようと、ピクニックに誘った。

暖かい春の木漏れ日の下で、持ってきたお菓子を食べ、自然を慈しんだ、平和なひとときだった。

「私、お姉様が大好きです」

その時レイラは、はにかんでこう言ったのだ。彼女の白い頬は軽く上気し、天使さながらだった。

「私も、貴女のことが大好きよ。だって貴女は私の大事な妹だもの」

レイラを守る、という誓いを新たに、ヴェロニカはそう答えた。

「私しか、ですか」

ノアールはヴェロニカの表情に憂愁を感じ取り、遠慮がちに言った。素直に喜んだらいいのか、それともヴェロニカに寄り添って悲しんだ方が良いのか。とっさに判断がつかず、ノアールは戸惑ってしまった。

ヴェロニカは、ノアールとピクニックに行きたいと言った。ただ切実に、一緒に行きたいと訴えているのだ。だとしたら、相手の気持ちが自分に伝わった、と示すのが妥当だろう。

「アースラ卿のお誘いとあらば、もちろん、お供致しますよ」

そう答えたノアールの口元は、いつものように優しげな笑みをたたえていた。

「ありがとうございます」

ヴェロニカの顔がみるみる明るくなった。

「ノアール様も、ご無理をなさらないように、気を付けて下さいね」

空のオレンジ色を反射する海が、大きく口を開けて太陽を飲み込もうとする頃、ノアールは馬車に乗り込んだ。笑顔で見送るヴェロニカに、ノアールは小さく手を振った。

やがてヴェロニカの姿が見えなくなると、ノアールは大きくため息をついた。

「今日のヴェロニカ様も、大変お美しゅうございました。それにまさか、お出かけのお話まで持ち掛けて下さるなんて」

頬杖をついて沈み行く夕日を眺めながら、彼女は愛おしそうに目を細めた。

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