未来への責任

結局、レイラは見つからなかった。領地の全ての地区――屋敷のある首都から、北の端の極小さな領地まで――を探したがおらず、周辺の他の貴族の領地も、許可を貰って捜索した。が、しかし、レイラはどこにも居なかったのだ。

居ないどころか、形跡すらない。レイラは絹のような白髪に桜色の瞳と、目立つ容姿をしているから、宿に泊まったり、道を歩いたりしたら、すぐに場所が分かるはずだった。

となると、誘拐と駆け落ちの線が有力になってくる。関所に確認したが、怪しい商隊などは通らなかったという。

また、平民地区を徹底して捜したが、ヴェロニカも含めて、アースラ男爵家の者は誰一人としてレイラの恋人に心当たりが無かった為、捜査は難航した。

レイラの世話係をしていたアーシャは夜な夜な泣いている、とマイアはヴェロニカに話した。

「……諦めないで。レイラはきっと見つかるわ」

そう言って使用人達を鼓舞していたヴェロニカだったが、ついに諦める時が来た。

他の貴族に、自分の領地を捜索されるのは迷惑だから、もう許可は出さない。とキッパリ言われてしまったのだ。

そこでヴェロニカは、エレノアを愛人として囲っていた、ディザール侯爵に頼んでみたが、

「一家臣の令嬢の失踪に構っている暇は無い」

と、取り合っては貰えなかった。侯爵夫人との仲の悪化を懸念してのことかと思ったヴェロニカだったが、彼はあるいは、エレノアにしか興味が無かったのかもしれない。

捜索にはもちろん、ガルシア子爵家の兵も動員されていた。オリバーはレイラ失踪の報を受けると、顔を真っ青にして捜索命令を出したのだ。

オリバーは全ての捜索に参加し、血眼になってレイラを捜した。


レイラの捜索が打ち切りになって、オリバーはヴェロニカに、書斎で話をしようと言った。

気温が最も高くなる正午過ぎ。うららかな春の日差しはしかし、2人の心には届かなかった。

ヴェロニカはいつものように窓辺で庭を眺めており、それが原因で話しにくかったのだろう。しばらくは沈黙が続いた。しかし、オリバーはやっと、恐る恐る切り出した。

「レイラは、その……男爵家が嫌になったから出て行ったんじゃないか?」

「分からないわ。その線も考えたの……。でもレイラは、そんなことするようには見えなかった。それは貴方も分かるでしょう」

ヴェロニカは窓の外に目を向けたまま答えた。レイラは明るくて優しい子だったから、何かを我慢しているようには見えなかった。

オリバーは俯いて唇を噛み、拳を握り締めた。

「レイラは優しいから、君に気を使って、我慢してたんじゃないの?」

ヴェロニカが悪い、とでも言うようだった。微かに嫌な予感がして、ヴェロニカは振り向いた。

「そうだとしても、私には分からなかった。オリバー、貴方だってあの子と仲が良かったじゃない。いつも明るくて優しいレイラが、陰で苦しんでいたとしても、私達にそれを見抜く術はなかった」

「まだ分からないのか?」

オリバーが声を荒らげた。彼は顔を上げると、ヴェロニカを睨みつけた。責めるような冷たい目は、ヴェロニカの心に冷たい空気を吹き下ろした。

「彼女は君に気を使っていたんだ!アースラ男爵の実の娘である君が、自分と義父との不仲を知ったら悲しむと思って……!」

感情を爆発させたオリバーは、そう怒鳴り散らした。

「それは……」

違う、と続けようとして、言葉が詰まった。

レイラとルバートの不仲はオリバーがでっち上げた被害妄想のはずだった。しかし、2人は決して仲が良かった訳では無い。むしろ、父親は義娘を嫌っていた。表に出ていないだけで、それは絶対に被害妄想だとは言い切れなかった。それがヴェロニカには余計に辛かった。

「全て君の所為だ!君の所為で、レイラは屋敷を去った。もし彼女の意思で屋敷を出た訳じゃなくても、誘拐だったとしたら?君が屋敷の警備を怠った所為になるんじゃないか」

オリバーはもう、ヴェロニカの所為にすることしか考えていないようだった。理性を失った彼は、血走った目で追い討ちをかけた。

ヴェロニカは、オリバーの顔を直視出来なくなり、俯いた。自分の足が視界に入ったが、涙の所為でぼやけて、よく見えない。

レイラ失踪の原因は、少なからず自分にある。ヴェロニカは責任を感じた。オリバーの言う通り、自分がもっとレイラの事を気にかけていれば、あるいは屋敷の警備をもっと徹底していれば、こんなことにはならなかったのに。

後悔が喉元までせり上がって、ヴェロニカは唇を噛んだ。

一方で、ヴェロニカは心の中でレイラに問いかけた。

何故貴女は居なくなったの?

レイラが自らの意思で姿を消したのだとしても、あるいは受け身だったとしても、関係なかった。裏切られたかのような、怒り、悔しさ、悲しみを含む複雑な感情は、ヴェロニカの心の底で根を張った。

貴女が居なくなった所為で……。

レイラに対する怒りがふつふつと湧いてきて、そんな自分が嫌になって、ヴェロニカはぎゅっと目を瞑った。

レイラは今回の事件の被害者なのだ。そう思おうとした。

それでもまた浮かんでくるのは、「レイラが失踪しなければ……」という考え。それは、道徳的価値観の十分に養われたヴェロニカの良心を、深く傷付けた。

下を向いたまま動かないヴェロニカを見下ろして、オリバーは荒い呼吸を整えた。

ため息をついた彼の目には、理性が戻っていた。ヴェロニカの所為にしてもレイラは帰って来ない。

「……もういい。レイラが僕らの前から姿を消した事実は、消えないのだから」

やがてオリバーは、暗い表情でそう呟くと帰って行った。


「レイラとの婚約は無くなったから、お前が嫁ぐしかなかろう」

嫁がせてもらえるようにひたすら謝罪し続けろ、とルバートはヴェロニカに要求した。

「謝罪は受け容れてくれたとしても、婚約は受け容れてはくれますまい」

ヴェロニカは、期待はするなと首を横に振った。

オリバーは、レイラを想っているのだから。

「謝罪だけでもして来い」

ルバートは素っ気なくそう言い放った。


「……僕も言い過ぎたよ」

疲れの滲んだ顔で、オリバーは眉を下げて笑った。

「いいえ。私も、もっとレイラのことを気にかけるべきだったわ。……ごめんなさい」

ヴェロニカが謝罪のためガルシア子爵邸を訪問したのは、昼過ぎ。一日の中で1番気温が高く、暑かった。ヴェロニカは、貴族令嬢としての正装をして行った。

「……もう済んだ事だよ。ところで婚約の話は、やっぱり無しにさせてもらえないかな」

「ええ。それはこっちも承知しているわ」

ヴェロニカは寂しげに笑った。レイラは大事な妹だから、道具として考えたくは無いが、実際彼女は、家門と家門を繋ぐ金具に成りうる存在だったのだ。

そのレイラが居なくなった今、そしてヴェロニカ自身がその代わりになれない今、子爵家とはただの同派閥の家門になってしまう。

「貴方の家に上がるのは、もう商売の話をする時だけかもね」

「そうかもね」

いつでもいらっしゃい、とは、オリバーは言わなかった。

「では私はこれで、失礼するわ」

ヴェロニカは軽く頭を下げて、お辞儀をした。

「うん。騎士試験、上手くいくといいね」

「頑張るわ」

ヴェロニカは最後まで笑顔を崩さなかった。それでも、取り返しのつかないことになったとは、分かっていた。

オリバーとはもう、気軽に話せる仲では無くなってしまった。

この子爵邸訪問は、別れの挨拶のようなものだった。それでもヴェロニカは、自分と領民の為に、男爵にならなければならない。

「……次期男爵として、恥ずかしくないようにしなきゃね」

そう呟いて顔を上げた彼女には、果てしなく広がる紅い夕空が、自分の未来と重なって見えた。

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