第1話 

 天空ソラが割れる。


 蒼い雲間に出現した禍々しい亀裂の奥に覗くのは、夜よりも昏い闇。


 みるみる、吐息も凍るほどの冷気が、大地に充満していった。その日は真夏の晴天日であったから、外気に晒されていた人々の素肌は、ひび割れるほどに凍てついた。


 恐怖と苦悶にどよめきながら、人々は揃って天を仰ぐ。


 厄災だ、と。誰かが呟いた。


 瞬間、闇の隙間から零れ落ちるように、黒い太陽のようなナニカが、地上を目掛けて堕天した。


 厄災の堕天とは、それ即ち、大災害の事始めである。滅亡の産声である。


 キン……荘厳な鐘の音のような、はたまた、するどい剣戟のような、終末の音色が、大地を揺らした。


 いっそ、寡黙なまでに甚大な衝撃波。人々の営みが編み出した文明の産物たちは、そのひと薙ぎによって、用をなさぬ木くずと帰す。


 人々には、絶望の暇すら与えられなかった。嘆きとは贅沢者の特権であった。


 滅びと言う名の平等だけが、齎される唯一であったのだ。


 本能のまま逃げ惑う人々の悲鳴や怒号が、灰色の混沌を生み出していた。対称的に、どす黒い邪気を振り撒く厄災が歩いた後には、サイケデリックな静寂だけが残った。


 混乱の最中、足の効かぬ老人が、終末を受け入れ、跪いた。


 人の波にのまれ、躓き、転んで取り残された少女が、起き上がりも、表情を浮かべる事すらも出来ず、静かに涙を零した。


 しかし、そんな彼らの前に現れたのは、滅びの権化などではなかった。


 一条の煌星が煌めく。まばゆい光が、灰色も混沌も何もかもを飲みこんでいき、生を諦めて白濁した瞳に光を宿す。


 シャル……と、澄んだ鈴の音のような音とともに、純白の翼が、花開いた。


 救済が、可憐な少女の姿をして、厄災の前に立ちはだかったのである。


 世界の管理者、全能の女神の、生きとし生ける者たちの絶望に嘆き悲しんだ、その吐息より生まれし有翼の超越種……名を、フリリューゲル。


 女神に代わって、世界の秩序を乱す厄災を祓うため、雲上より舞い降りる神秘だ。


「厄災は、キミたちの絶望を糧に肥え太る。キミたちがそこに落とした希望を拾いあげて、ボクたちに託して」


 薄紅の宝石を鋳溶かしたような髪のフリリューゲルは、厄災を見据えたまま、人間たちに語り掛けた。


 寄り添うようにも、奮い立たせるようにも思える、不思議な声色だった。


 自然、膝をついた彼らはふたたび立ち上がり、走りだした。


 ひび割れた地面を蹴る。舞い上がった薄紅の髪を振り払うように身をよじると、純白の翼が旗のように翻り、白昼の夜闇に煌めいた。


 その明星を目印に、さらなる煌めきの数々が、雲を突き抜けて現れ始める。


「聖典の記述は本当だったんだ……厄災が現れた時、人々を絶望から救うために、純白の翼を持った女神の使徒、フリリューゲルが現れるって……!」


「フリルさま、きれい……」


 上空から厄災を取り囲み、7色のフリルが翼を広げた。その翼から零れていく羽毛のような光が、厄災の邪気に穢された大地へと降り注ぎ、みるみる浄化していく。


 虹の柱が天まで伸びているかのようなその光景に、人々は涙した。誰もが、強大な厄災に立ち向かう、美しく誇り高きフリリューゲルたちの勝利を望み、女神に祈りをささげた。


 光の柱のような結界の中で、厄災とフリルたちがどんな戦いを繰り広げているか、人々の目には触れない。


 厄災は、人々の絶望を糧に、より力を強くするから。


 可憐で美しい少女の姿をしたフリルたちが、厄災の魔の手によって、次々に撃ち落される無惨な姿など、見せられたものではなかったのである。

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