薫風翔ける町

佐倉 るる

薫風翔ける町

 


 俺は、この街が嫌いだ。


 俺の住んでいる調布市は、東京の多摩地区の東端に位置し、東京二十三区と隣接している〝東京郊外〟の街だ。二十三区と接しているくせに、どことなく田舎感が漂うのは、〝区〟ではなく〝市〟という響きのせいだろうか。それとも、東京都のくせに、山が見え隠れするせいだろうか。


 以前、この話を向かいの家に住む同い年のコウキにしたことがある。


「お前、なんで調布が嫌いなんだよ。いいとこじゃん。自然もあって、ショッピングモールもあって、都心への交通の便も悪くない。お前が言うほど、田舎臭くないと思うんだがなぁ」


「そりゃ、お前が地元の高校に進学したからだろ。地元から出ると、世間の目は冷たいぜ?二十三区民は『二十三区以外、東京じゃない』ってバカにしてくるし、都外の奴には、調布市出身って言うと、田園調布と間違えられたり、『調布市って東京にあるんだ』って言われたりするんだぜ?〝東京出身〟を背負うなら、俺は、東京の区民になりたかったわけよ」


「よくわかんねぇけど、要するに、お前の見栄ってことだろ?気にしなきゃいいだろ、そんなくだらない地域マウント」


 俺は黙った。コウキの言うとおり、調布市がそこまで悪い街じゃないことはわかっている。だけど、都心の高校に通ってわかった。二十三区以外の東京の市は、ダサくて田舎くさいのだ。


 十七の俺には、地元愛なんていうのも暑苦しく思えて、余計に地元に反発したくなる。


 そんな俺は今、嫌いな調布市の深大寺周辺をクラスの女子と、デートしている。


「案内してよ。調布市」


 そう同じクラスの加藤ユカリに言われたのは、先週の木曜日だった。


「は?なんで?」


「水木しげる、好きなの。調布市って水木しげるの聖地でしょ?」


「いや、まぁそうだけど。なんで俺なんだよ。友達と行けば?」


「それも考えたんだけど、その土地について詳しく知ってる人の方が案内役に適任かなって。だから、ね?来週の土曜!お願い!」


「いや、そうは言ってもさぁ…」


 ユカリは大きい瞳をキラキラと輝かして、期待の眼差しで俺を見つめる。頭を掻いて、難色を示して見せるも、同年代の女の子とデートということに、悪い気はしていなかった。


 だから、ユカリの熱意に負けた、というていで、俺は彼女と深大寺周辺デートをすることになったのだ。


「いやぁ、深大寺って、調布駅から意外と遠いんだね。プチ旅行気分だ」


 彼女は深大寺前のバス停を降りると、大きく息を吸い込んで、吐いた。


 梅雨入り前の六月の十二時ちょっと前、気温と湿度が高く、ジメッと暑い日であった。ユカリは、七分袖の飾り気のない水色のワンピースを着ている。シンプルだけど、緑によく映える。いつもは結っていない短めの髪を、二つに結っているからか、どこか幼い印象があった。見慣れた制服姿ではないから、なんだか新鮮だ。


「空気、綺麗だね。…あ、すごいすごい、みて!あのお店そばまんじゅうなんて売ってるよ!…って、やばっ!鬼太郎茶屋だ!えー、バス停のこんなにすぐそばにあるんだ!」


「あー、もう。そんなに急がなくたって、その店はなくなんないだろ」


「そうだけど、せっかく来たんだもん。時間は有効活用したいじゃん?」


 ユカリは、ピョコピョコと跳ねるように走りながら、スマホと財布くらいしか入らないんじゃないかと思うくらい小さなポシェットから、スマホを取り出して、茶屋の外観や妖怪のモニュメントの写真を撮る。


 一通り撮り終えて満足したのか、


「よしっ、鬼太郎!いざ、鬼太郎茶屋へ出発じゃ!」

 と、似ても似つかないゲゲゲの親父の真似をして、俺の腕を引っ張り、茶屋の中へと誘導した。


 茶屋で腰を下ろしてからも、ユカリは興奮した様子で、調布駅の周りにも鬼太郎の聖地があるだとか、妖怪ポストがあるだとか、得意げに語った。その様子があまりにも楽しそうだから、俺も思わず笑顔になってしまう。こうして二人で出かけていなければ、ユカリがこんなに饒舌(じょうぜつ)で、子供っぽい一面があるということを知らなかっただろう。


 茶屋やその周辺を十分に満喫し、時間を持て余した俺たちは、深大寺を軽く回って、神代植物公園を散策することにした。


 しかし、それが失策だったことを、一時間後に痛感することになる。


「いやぁ〜、神代植物公園、地図で見たときも広いって思ったけど、本当に広いね。運動不足の私には、歩き続けるのしんどい…」


「だな…。俺も小学校の時、遠足で来て以来だが、こんなに広かったの忘れてたよ…」


 公園の中を一時間近く歩き、疲れきってしまった俺らは、せせらぎの小道付近のベンチで休んでいた。


「たくさんお花が咲いてて綺麗だったなぁ。まだ半分以上のエリアがあるわけでしょ?全部見回りたいのに…軟弱な足め……」


 ユカリが不満そうに小さく頬を膨らます。その様子がどこか愛らしく思えて、俺は芽生え始めた気持ちを誤魔化すように、「そうだな」とだけ、言葉にした。


 少しの間の沈黙。ユカリは、俺に目線を合わせず、

「いいとこだね」

 と、つぶやいた。胸がドキリ、と音を立てる。彼女の横顔の雰囲気が変わり、急に大人びて見えたのだ。


「本当にいいところだね。公園も、神社も、ここら辺一帯も。ビルだらけの都心と空気感が全然違うもん」


「……そうか?田舎臭いだけだと思うけど」


「いいところだよ。深大寺は神秘的だし、周りの草木が生き生きとしてる。都心にはない、生命の息吹ってやつを感じるんだよね。それになにより、『ゲゲゲの鬼太郎』のグッズや像がたくさんあるのが、本当に最高」


 ユカリがニカっと無邪気な笑みをこちらに向けた。胸が跳ねる。彼女のコロコロ変わる雰囲気に、翻弄される。


 日の光を浴びた彼女の漆黒の髪はキラキラと艶めき、白く透明感のある素肌は柔らかな光を放っていた。


 ユカリは、こんなに美しい少女だっただろうか。


 草木の香りと土の匂いが鼻をくすぐる。馴染みのある優しい匂いだ。嗅ぎ慣れた匂いなのに、胸がギュッと苦しくなる。


「…また来たいな。植物園を制覇したいし、他の鬼太郎のほかの聖地も回りたい。あとは、バラフェスタの時にも来てみたいな。すごくバラが綺麗なんだって。……ねぇ、また付き合ってよ」


 ユカリが小さく微笑む。彼女の美しさを引き立てるのは、この人工物と自然物が入り混じったなんとも言えないこの公園独特の空気感なのだろうか。それともこの街の草木の匂いなのだろうか。


「ダメ、かな?」


 木漏れ日が彼女の顔をさす。そよそよと風が吹き抜ける。口の中にじんわりと嫌じゃない苦味が広がり、胸がざわざわと騒ぎ出した。


 ああ、やっぱり、俺は、この街が嫌いだ。


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