第53話 子爵邸内は大騒ぎ
屋敷内を走ってはいけないと言われているものの、フーベルトは今日ばかりはそれを守っていられないと、父親であるリウネル子爵の執務室に向けて全力で駆けた。
その途中でフーベルトがエルツベルガー侯爵家の馬車で帰宅したという報告に、エントランスに迎えに出ようと急いでいた執事と鉢合わせる。
「坊ちゃま!」
執事に声をかけられながらもフーベルトが足を止めずに走っていると、執事もフーベルトを叱るのではなく隣を早歩きで並走した。
「エルツベルガー家の方はまだ馬車ですか?」
「うん。まだ馬車にいらっしゃるけど、それどころじゃないんだよ!」
「何かあったのですか? とても急がれているようですが」
「それが……いや、ここでは話さない方が良いかも。とにかく父上に報告するから一緒に来て!」
「かしこまりました」
そうしてフーベルトとリウネル子爵家の執事は、共に子爵の執務室へ向かった。フーベルトはノックもそこそこに、急いで扉を開ける。
すると中にはいつものようにのんびりと仕事をする、日に焼けてガタイのいいリウネル子爵が文官と共に書類を捌いていた。
「フーベルト、どうしたんだ? 廊下を走る音が聞こえたぞ。カタリーナ様との釣りデートがそんなに楽しかったのか? いやぁ、まさかお前がデートの約束を取り付けてくるとは思わなかったぜ。まだ子供だと思ってたが、男になってるんだなぁ……それでどうなんだ? カタリーナ様のお心は射止めたか?」
呑気に笑みを浮かべながらそんな言葉を口にした子爵に、フーベルトは執務机まで一直線に向かい、机をバンっと少し強めに叩いた。
「そんなことを言ってる場合ではありません!」
フーベルトの常にない勢いに、子爵はギョッとして少し体を引く。
「なんだなんだ? どうしたんだよ」
「父上、落ち着いて聞いてください。まず……第一騎士団の団長をされている、フランツ・バルシュミーデ様がいらっしゃっています。さらに港に現れたクラーケンを討伐し、この街を守ってくださいました。またそのクラーケンが他国による攻撃ではないかと見抜いてくださり、そのことについて父上とお話がしたいと!」
突然告げられた帝国の英雄の存在、そして普通なら現れるわけがないクラーケンの出現、そしてその討伐をフランツがしたこと、さらにそのクラーケンが他国が仕掛けたものである可能性。
それらを一気に告げられた子爵は、完全に固まった。しばらく固まり、何も言葉を発さず――
「――はぁ!?!?」
突然叫んだ。
「父上、うるさいです」
「いや、これは仕方ないだろ!? は!? え、どういうことだ!? 全く理解できん!」
子爵は説明を求めるように、フーベルトの斜め後ろに控えるように立った執事に視線を向けた。しかし執事の男も驚愕と困惑を露わにするのみだ。
「私にも、何が何やら……」
「フーベルト、もう一回言ってくれ」
こめかみに指を当てながら眉間に皺を寄せた子爵がそう告げると、フーベルトは焦れたように同じ説明をする。しかし何度口にしても、信じ難い現実がそこに列挙されるだけで、混乱は収まらなかった。
そこでフーベルトは、強硬手段とばかりに執務机を回り込み、父親である子爵の腕を引く。
「とにかく皆様を迎える準備をしてください! エントランス前の馬車で、フランツ様とカタリーナ様、そしてフランツ様の冒険者仲間であるマリーアさんがお待ちなんです! 公爵家と侯爵家の方をエントランスで待たせるなんて、本来はあり得ない暴挙ですよ!」
「そ、それは分かってるが……ん? フーベルト、冒険者仲間ってなんだ?」
リウネル子爵は現実逃避をするかのように、またしても出てきた理解不能な言葉に注目した。
「フランツ様は現在、冒険者をされているようです」
「…………は? い、いや、ますます訳が分からなくなってきた! なんで英雄様が冒険者なんだよ!」
「そんなの僕だって知りませんよ。それよりも早く最上級の衣装に着替えてください! 僕も着替えにいきますから」
そうしてフーベルトは混乱した父親を、これまた混乱しながらもとりあえずフランツとカタリーナを迎え入れるための指示を出し始めていた執事に引き渡し、自分も準備をするため自室に向かった。
「父上、五分で準備してくださいね!」
フーベルトのその言葉が廊下に響き渡り、子爵邸内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
♢
フーベルトが屋敷に入ってからしばらく待っていると、屋敷の中からフーベルトと共に数人の大人が顔を出した。先頭で緊張を滲ませているのがリウネル子爵その人で、後ろに控えているのは執事と、荷物持ちなどの役割を果たす数人のメイドや従僕だ。
その様子を馬車の窓から見ていたフランツたち三人は、子爵らに気を遣わせないようにと、さっそく動き始めた。
「レオナ、馬車の扉を開けてちょうだい」
馬車の外で控えていたレオナにカタリーナが声を掛けると、すぐに扉は開かれた。そして三人が順に馬車から降りる。
リウネル子爵家側は、全員が緊張を滲ませながらその場に跪いた。
爵位は違えど同じ貴族ではあるのだが、この国では帝国によって叙爵される伯爵以上の貴族と、各公爵家により叙爵される子爵以下では全く身分が違うため、この反応は大袈裟ではない。
「リウネル子爵、突然の訪問にも拘らず対応してくれたこと、心より感謝する。無作法を詫びさせて欲しい」
まずはフランツがそう告げると、リウネル子爵はより深く頭を下げた。初対面であるならば特に、身分が上の者が許可をしなければ口を開くことも控えるという決まりがあるため、それに則った形だ。
相当に相手の身分が高いか、よほど相手が気難しい性格でなければ無視されることも多い決まりだが、フランツはこの決まりが適用されるほどには身分が高い存在だった。
「顔を上げてくれ。そしてそう畏まらず、体の力を抜いてくれて構わない。本日は貴殿と大切な話し合いをしたいと思っているのだ」
「……か、寛大なお言葉、誠に感謝申し上げます。ではどうぞ、まずは中へお入りください」
そうしてフランツたちは、港街リウネルの領主邸へと足を踏み入れた。
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