第46話 頑張る子息と明日の予定

 困惑を露わにした従業員は、部屋に一歩入ったところで申し訳なさそうな表情で頭を下げた。


「ご歓談の最中にお声がけしてしまい、大変申し訳ございません。実はどうしてもカタリーナ様に来訪を伝えてほしいと仰る方が、下に来ておりまして……それがこの街を治めてくださっているリウネル子爵様のご子息である、フーベルト様なのです。どのようにお答えすれば良いでしょうか」


 その言葉にカタリーナは眉間に皺を寄せ、首を横に振りながら口を開きかけたが……ひと足先にフランツが、善意の気持ちで一言告げた。


「私たちのことは気にしなくて構わないぞ」

「……っ、そ、そうですか。ありがとうございます」


 カタリーナはフランツの言葉を聞き、横に振りかけていた首をさりげなくまっすぐに戻す。そして少しだけ逡巡してから、従業員に視線を向けた。


「では、こちらまでご案内して欲しいわ」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 それから数分で、フランツたちが案内された個室にはもう一人の貴族が加わった。部屋に入ってきたのは、よほど緊張しているのか体の動きがカクカクとぎこちない少年だ。


「お、お、お時間をとっていただき、誠にありがとうございます……!」

 

 緑髪に同色の瞳を持つ少年フーベルトは、十代前半ほどに見えてまだ幼さを残している。


「構わないわ。それで、何の用かしら」


 にこりと綺麗な笑みで笑いかけたカタリーナに、フーベルトは頬を赤らめながら口を開いた。


「カ、カタリーナ様がこの街にいらしたという報告を聞き、ご挨拶をさせていただければと思った次第です……! 僕はリウネル子爵が子息、フーベルトと申します。港町リウネルにお越しくださり、誠にありがとうございます。本来でしたら父上がご挨拶に来るべきなのですが、どうしても外せない仕事があり……」

「別に構わないわ。それにわざわざ挨拶なんて良かったのに。貴族が来るたびに挨拶へ来ていたら大変でしょう?」


 そう言って僅かに首を傾げたカタリーナに、フーベルトは苦笑を浮かべながら告げた。


「この街に貴族様が来ることは稀で、侯爵家の方が来るなんて数年に一度のことなのです。ですから父上も少し舞い上がってしまって……お食事の席にお邪魔をしてしまい、申し訳ございません」


 その言葉でカタリーナは観光に来たというのは言い訳だったことを思い出したのか、僅かに表情を強張らせながら口角を上げる。


「そ、それは気にしなくて良いわ。この街の海鮮料理が美味しいという噂を聞いたのよ」

「そうだったのですね。光栄でございます……!」


 フーベルトのその言葉を最後に室内には沈黙が満ち、フーベルトは焦りを滲ませながら、なんとか次の話題をと頭をフル回転させた。


 ――父上! カタリーナ様に挨拶をして気に入られてこいだなんて、僕には無理です! 良い機会どころか、嫌われたらどうすれば……


 内心でそう弱音を吐きながらも、フーベルトは自分のズボンをキツく握りしめて笑顔を保った。

 まだ大人とは言えない年齢のフーベルトではあるが、貴族として真面目に学んでいるため、焦りながらも礼儀だけは崩さない。


 そんなフーベルトの視界に、やっとフランツとマリーアの二人が映った。これ幸いとフーベルトは二人に視線を向ける。


「お、お二人は冒険者だと聞きました」

「はい。フランツと申します」

「わたしはマリーアです」


 フランツとマリーアが冒険者としてにこやかに挨拶をすると、フーベルトはもう一度二人にも名乗りながら笑顔を浮かべて、それからフランツの顔をじっと見つめた。


「どうしましたか?」

「あっ、いえ、すみません……フランツさんは冒険者らしくないと思ってしまって」


 案外鋭いフーベルトである。


「そうですか? ちゃんと冒険者です。カードをご覧になりますか?」


 どこか嬉しそうな表情でいそいそとカードを取り出したフランツは、それをフーベルトが見えるように掲げた。するとフーベルトはそこに記されたBランクという表記を見て、少し瞳を見開く。


「Bランクなんて凄いですね。強い魔物も倒せるのでしょうか」


 Bランクとなるとさすがに酷い冒険者はあまりいないので、素直な感想としてフーベルトがそう告げると、フランツは一気にフーベルトへ親しみの籠った視線を向けた。


「はい、魔物を倒すのは得意です。もしよければ、同席されませんか? 立って話をするのも微妙ですし、冒険者に関してはいくら語っても話題が尽きませんので」


 そう言って笑顔でフランツが提案すると、これ幸いと思ったフーベルトは前のめりで頷き、カタリーナは内心を悟らせない笑みで頷いた。


「――そうですわね。レオナ、もう一つ椅子を準備して」

「かしこまりました」



 それからすぐに準備が整い、フーベルトも交えた四人での食事が始まった。フーベルトもすぐに注文を済ませたため、他三人と同じタイミングで食事が運ばれてくる。


「カ、カタリーナ様は、明日からのご予定は決まっているのですか?」


 緊張を滲ませながらフーベルトが問いかけると、カタリーナは少しだけ間を空けてから、眉を下げて残念そうな表情で告げた。


「……ええ、厳格には決まってないけれど、大体の予定は立ててあるわ」


 カタリーナの返答にフーベルトは落胆の様子を見せる。しかしすぐ切り替えるようにして、フランツとマリーアに視線を向けた。


「お二人は明日からどうされるのですか? カタリーナ様とは道中で知り合ったということですから、元々予定があったのだと思いますが」

「私たちは魔物討伐のために来ましたので、明日からは海に行ってみようかと思います。まずはやはり釣りですね」


(釣りをすれば強い魔物が現れるはずだ。それを倒すのは冒険者のロマンであるし、強大な魔物を倒せば魔物被害も減るだろう)


 そう考えたフランツは瞳を輝かせ、明日からの釣りに胸を高鳴らせた。


 釣りによって強大な魔物が現れるのは冒険小説の中だけであり、現実では港に強い魔物が出現するのは稀なことであるのだが、海の魔物については今までほとんど関わっていないフランツはそれを知らない。


「わたしもフランツと行動は同じです」


 呆れた表情を浮かべたマリーアが、フランツにチラッと視線を向けながらそう伝えると、フーベルトが頷き口を開こうとして――その前に、カタリーナが笑顔で告げた。


「ぜひ私もご一緒したいわ」


 突然のその言葉に、室内には少しの沈黙が満ちた。マリーアは胡乱げな視線をこっそりカタリーナに向け、フランツとフーベルトは不思議そうに首を傾げる。


「……ご予定があるのでは?」


 ついさっき予定があると言っていたカタリーナにフランツが当たり前の疑問をぶつけると、カタリーナは動揺を微塵も感じさせない笑みで答えた。


「先ほどは忘れていたのだけれど、明日の予定は直前でキャンセルになったの。だから私は一日空いているわ」


 カタリーナのその言葉にマリーアはジト目を向けていたが、フランツは素直に受け入れて頷いた。


「そうなのですね。では明日は一緒に釣りをしましょう」

「本当? ありがとう」


 フランツとの釣りを約束して上機嫌なのだろうカタリーナは、満面の笑みで感謝を口にした。


 そうして明日の予定が決まりかけた時、慌てた様子でフーベルトが口を挟む。


「あ、あの、僕もご一緒させてください……!」


 一世一代の告白のように発されたフーベルトの言葉に、フランツは肯定の言葉を発しながらも微妙な表情を浮かべた。


「別に構わないのですが、皆さんはそんなに釣りがしたいのですか……?」


 そうではなくカタリーナはフランツに、フーベルトはカタリーナに好かれようと必死なだけである。


「は、はい! 楽しそうだなって……」

「ええ、釣りとは大人数の方が楽しいと聞きますもの」

「確かにそうかもしれませんが、危険もあります」

「――はい。私は自分の身を守ることぐらい容易いですから、問題ありません」


 危険という言葉に少しだけ悩んだカタリーナは、力の強さを隠すことはやめたようで即座にそれをアピールポイントとした。


「確かにそうですね。カタリーナ様であれば、心配はいらないでしょう」


 フランツが頼もしげな瞳をカタリーナに向けると、カタリーナは開き直った笑みだ。


「ぼ、僕も護衛を連れて行きます!」

「分かりました。では明日もよろしくお願いします」


 そうしてカタリーナと食事をするだけだったはずが、なぜかこの地の領主の息子も加え、四人で海釣りをすることになった。

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