第42話 とある侯爵令嬢と侍女、そして王宮は今

 月日を少しだけ遡り、実技試験を兼ねた村での依頼を達成し、フランツたちがハイゼの街に戻ってきた日のこと。


 一時間後に冒険者ギルドでレオナと集合になったフランツたちは、夕食をとるために食堂へと入った。そして二人と分かれたレオナは、ある宿屋の一室に急足で向かう。


 そこはハイゼの街中で最も高級な宿屋で、レオナが入ったのはその中でも特に豪華なスイートルームだった。


「カタリーナお嬢様、ただいま戻りました」


 室内に入ったレオナが声を掛けると、ソファーに腰掛けて別の侍女にお茶を淹れさせていたカタリーナが、前のめりにレオナを迎えた。


「レオナ、やっと帰ってきたのね! それで、何か分かったの?」

「少し情報を得ることはできましたが……フランツ様に近づいて有益な情報をなんて、お嬢様はいつも無茶振りが過ぎます」


 苦言を呈したレオナに、カタリーナは拗ねたように唇を尖らせて視線を逸らした。


「たまには良いじゃない。いつもしっかりとしているのだから。それにこれは大切なことなのよ。フランツ様の婚約者候補に選ばれている私が、真に婚約者として選ばれるためなんだから。私の望みというよりもお父様、いえエルツベルガー侯爵家の望みなのよ!」


 拳をぐっと胸の前で握りしめたカタリーナに、レオナは疲れたように溜め息を吐き出す。


「確かに大切なことだとは思いますが、貴族令嬢はパーティーやお茶会、お手紙や贈り物などでご自身をアピールするものです」

「そんなの分かっているわ。でもフランツ様が長期休暇を取られ、冒険者になってしまったのだから仕方がないじゃない。二年も会わなければ、婚約者候補になったとは言え私のことなんて忘れられてしまうわ」


 カタリーナの言葉に相手であるフランツも普通とはかけ離れていることを思い出したのか、レオナは頭痛がするような表情を浮かべながら、曖昧に頷いた。


「それで、何が分かったの? 何をすればフランツ様に選んでいただけるのかしら」

「今回の調査で分かったことは、フランツ様は冒険小説の主人公に憧れているということですね。深いお考えの下で冒険者になられた……のだとは思いますが、その憧れも突然冒険者になられた理由の一つかもしれません」

「まあ、冒険小説の主人公に? 確か私もいくつか読んだことがあるわ」


 両手を顔の横で合わせて表情を明るくしたカタリーナは、しばらく悩んでから「これよ!」と言ってソファーから立ち上がった。


「レオナ、私は魔物に襲われている貴族令嬢になるわ!」


 カタリーナの突然の宣言に、レオナだけでなく室内にいた侍女や護衛の全てが訝しげに眉間に皺を寄せた。


「――何ですかそれは」

「ほら、冒険小説ではよくあるでしょう? 主人公が街道上で魔物に襲われているご令嬢を助けるのよ。そしてご令嬢と仲良くなり、そのうち恋仲になるんだわ……! 完璧な作戦じゃない!」

「――つまり、カタリーナお嬢様が魔物に襲われているところを、フランツ様に助けていただくということでしょうか」

「ええ、その通りよ」


 満面の笑みでレオナの問いかけに頷いたカタリーナに、レオナはガクッと体を傾かせそうになり何とか耐える。


「えっと……それは少し無謀と言いますか、フランツ様に選んでいただく作戦としては、突拍子もないと言いますか」

「でもフランツ様は冒険小説の主人公に憧れているのでしょう? それならば喜んでいただけるのではないかしら」


 もうこの作戦を実行する気満々になってしまったカタリーナに、レオナは諦めの表情で口を開いた。


「……かしこまりました。しかしどのように実行されるのですか? 魔物に襲われるには、魔物をどこからか連れて来なければなりません。またフランツ様たちが向かう先に、先回りする必要があります」


 その問いかけに、カタリーナはしばらく悩んでから口角を上げた。


「確かうちの警備隊が、レッドボアが好む果物を発見したのではなかったかしら。それを使ってレッドボアを誘き寄せましょう。また先回りは……どうすれば良いかしら」

「――確かにレッドボアならば、そこまで危険はないでしょう。先回りは、私がギルド職員として次に向かっていただきたい場所を伝えることはできます」


 レオナが眉間の皺を僅かに残しながらも、カタリーナの要望を実現するために口添えをすると、カタリーナは嬉しそうに微笑んだ。その表情はとても可愛らしく、レオナは毒気を抜かれたように小さく息を吐く。


「さすがレオナね! ではそのようにして、作戦を実行するわよ」

「カタリーナ様、作戦にはいくつも問題がございます。まず第一に、レッドボアはお嬢様の護衛ならば一瞬で倒せるということです。……というよりも、お嬢様ご本人でも問題なく倒せるでしょう?」

「そこはほら、上手くやりなさい。私が武術にハマっていたことはほとんど知られていないのだから、気にする必要はないわ」


 上手くやりなさいという言葉に、護衛の面々は困惑の面持ちで互いに顔を見合わせた。しかし主人の要望に応えようと、皆がどうすればレッドボアに苦戦するかを考え始める。


「……かしこまりました。ではその作戦でいきましょう」


 もうヤケクソのようにレオナが作戦の採用を伝えると、カタリーナは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。皆、よろしくね。レオナも今度は私の侍女としてよろしくね」

「いえ、私はフランツ様に顔を知られてしまったため、ここから先は同行しないようにと……」

「それはダメよ! レオナには側にいてもらわないと。そこはたまたまギルドの仕事を手伝っていたとか、色々と理由は付けられるでしょう?」


 かなり無謀な理由づけだと思いつつ、レオナはカタリーナに側にいて欲しいと言われたことが嬉しかったのか、その提案に頷いた。


「かしこまりました。ではそのように。……そうでした、一つお伝えし忘れておりましたが、フランツ様と共に冒険者をやっているマリーアという女性は、フランツ様の婚約者の座を狙っているわけではないようです」

「ふ〜ん、それなら気にしなくても良いかしら。とりあえず友好的に接するわ」

「それが良いかと思います」


 それからも作戦の詳細をいくつか話し合ったところで、レオナはフランツたちの手続きと、次の行き先を伝えるため冒険者ギルドに向かった。


 

 ♢ ♢ ♢



 帝都にある王宮の皇帝執務室では、皇帝と宰相が共に報告書を覗き込み、瞳に尊敬の色を宿していた。


「フランツ騎士団長が冒険者となって、まだ一ヶ月ほどだ。その間にゴブリンの集落を駆逐し、帝都の孤児院の不正を暴き、ハイゼ子爵を狙った暗殺者を撃退し、その黒幕を探るために毒物を採取。さらにはサンダーレパードの討伐に、獣人との交流のきっかけ作り」

「信じられないほど、功績を積み上げておりますね……」


 二人は主にイザークから上がってきている報告書に視線を落とし、感嘆の声を上げた。


「やはり冒険者となったことに、大きな意味があったのだな」

「そうですね……いやはや、天才とはこうも素晴らしいものですか。フランツ騎士団長には何度も驚かされます。冒険者になる理由が分からないなどと言っていた自分が恥ずかしいです」

「本当だな。やはりフランツ騎士団長のような存在には、極力自由に動いてもらうのが良いのだろう」


 国王のその言葉を聞き、宰相は新たな報告書を一枚執務机に置いた。


「陛下、こちらもご覧ください」

「またイザーク副団長からか?」

「いえ、冒険者ギルドからです。定期連絡なのですが、一部の冒険者が急に仕事に意欲的になり、ギルドの荒んだ雰囲気が少しだけ改善しているとか」


 宰相のその言葉に、皇帝は瞳を見開いた。


「まさか、これもフランツ騎士団長の狙いなのだろうか。確かに冒険者という仕事に関する世間の評価には、いつか対処をしなければと思っていたが……」

「上から押さえつけても改善しない事柄のため、後回しになっておりました。そこを自ら冒険者という身分に降りることで、問題を解決しようとしているのでしょう」

「本当に、フランツ騎士団長はどこまで考えているのか……」


 皇帝はしばらくギルドからの報告書を見つめ、信頼のこもった眼差しを窓の外に向けた。


「このままフランツ騎士団長が活動することで、帝国の雰囲気はかなり上向くかもしれないな。冒険者に関する諸問題の改善は、犯罪件数も大幅に減らすだろう」

「そうでございますね……魔物被害も減少することでしょう。それから魔物素材が多く手に入ることで、魔道具研究も進むかもしれません」


 皇帝と宰相は顔を見合わせ、同じタイミングで頷いた。


「フランツ騎士団長の要望には、極力応えよう」

「かしこまりました。そのように手配しておきます」

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