第10話 風は雨から砂へ
透けるような青空に、申し訳程度の雲の切れ端が点々と散っている。
砂漠に近づくにつれて空気が乾燥していくのを感じた。それに風に混じる砂埃がどんどん増えていくのも。道中で見かける街の石畳や石垣の上にも、そこに積もった砂が目立ち始めているし。
このまま、なんだか僕自身も乾いていきそうな錯覚を抱いてしまう。
なのに。
「どうやらひと雨来そうだな」
向こう側に橋が見える街並みの手前まで来たときに、足を止めないまま、大魔術師はつぶやく。
「これから、雨……?」
見上げたそこは相変わらずの紺碧の空。
しかし、初見の一般人からはおぞましく見えるような髑髏のついた杖の先は、横手の山並みの方を指し示す。
そこには確かに、もこもことした雲が連なっていた。そんなに強くは吹いていないけど、風向きはこちらへ流されてきそう。上空の風は地上とは強さが違いそうだし。
「なるほど……荒れると橋が流されないか心配だね」
街並みの奥に見えている橋は木造で、結構、手作り感がある。古そうだしお世辞にも丈夫そうには見えない。
「ああ、でも橋が流されても川は渡れる。しかし嵐の前に橋を渡ると嵐の中で野宿することになりそうだ」
それは確かに。
いくら防御結界を張ったところでうるさそうだし、音を完全に遮断するのも安全上の問題がありそう。
「単純に、できることならベッドで眠れる方がいいな」
「そりゃそうだろうね」
同意しつつも、長く旅をしている大魔術師でもそう思うんだ、と内心僕は面白く思う。
まあ、そこそこいい時間だし。夕食にはまだ早いけれど、昼食をとってからはかなり時間が過ぎている。そんな時間帯。
そういうことで、小さな町に立ち寄る。木の柵で囲われ、畑や牧場の多い素朴な町。エストラメリアやマデルホーンとは比較にならないほど家の数も少ない。
でも、中心部の並びには店もあるし宿もあるみたい。
「おや、変わったお客さんだね!」
露店で果物を売っていた店主が、例によって驚きの声を上げる。
「まさか、砂漠から来た……わけないよね?」
と、ジロジロとこちらを見る。もしかして、砂漠の生き物だと思われている?
「違うよ、僕は妖精竜さ。緑がいっぱいの山奥から来たんだ」
「そう、我々は砂漠に向かうところだ」
店主は僕が口をきいたことに驚き、次にイドラのことばに驚いた様子。
「ガボドック砂漠に行くのかい? 帰ってきた者はほとんどいないよ」
「ほとんど、ということは、いないことはないのか」
「帰った、と言っても伝承とか、入り口を見て戻ったくらいのことだよ。あそこの主人に尋ねれば詳しく教えてくれるさ」
と、彼は宿の看板を示す。
「これは丁度いい。良いことを聞いた」
イドラはお礼としてか、二種類の果物をひとつずつ買った。喉が渇いていて水分の多い果物が欲しかっただけかもしれないけれど。
今のところ買い出しする物もないので、そのまま宿へ向かう。部屋の少ない平屋の宿。旅人が立ち寄ることも少なそうだからなあ。
珍しい客の姿に、初老の主人は歓迎してくれた。年季の入った暖炉と木目の鮮やかな大きなテーブルのある食堂に案内され、地元の名物だというお茶を入れられる。
「この町は意外と歴史が古くて、昔はもっと栄えていたらしい。最初は遺跡発掘や、それを相手にした商売人が集まってできた集落だったとか」
宿の主人は長い白髭を撫でながら、はっきりした口調で話す。この話題について話し慣れてそうな調子だ。果物屋さんも知っていたということは、折を見て誰にでも話しているか、よく話をせがまれているかのどっちかかな。
「遺跡? 砂漠のではないよな?」
イドラはお茶を一口飲んで微妙な顔をしていたけれど、聞き咎めて顔を上げた。
「ああ、昔、ここより砂漠に近いところに町があったらしい。その町の遺跡だよ」
遺物や発掘時の資料のいくつかはこの町に今も保管されていて、祖父に昔から伝わる発掘時の話を聞いて興味を持っていた主人は、残されていたものを調べつくしたという。
資料によると、その町は砂漠の方角にあるという町と貿易をしていたらしい。遺跡の町が手に入れた遺物の中には稀少な金属で作られた工芸品もあったと。
「残された目録によると大部分は食料だけれどね。珍しい植物のピクルスとか、干した小型のトカゲとか」
「植物……まあ、砂漠に生えるものもあるが」
「あとは変わったものと言えば、どうも兵器に利用するための鉱石を大量に求めていた、という資料があるな」
「兵器か……」
いきなり物騒な流れになってきた。でも確か、砂漠の二つの国は魔法兵器を作っていたんだっけ。それに宝珠もそこで作られたわけだから、結構な技術力だ。
「兵器が外に持ち出されたという記録は?」
イドラはそれが気になったらしい。
「それはないな。残っていないだけかもしれないけど、持ち出されたなら兵器そのものや、その行先にも資料が残りそうなものだね」
「なるほど、ほかの国や町で出自不明の魔法兵器について見聞きした覚えはないな」
イドラは記憶力がいいから、これまでの長い旅でも見聞きしていればなにかしら思い出しそうではある。
「あとは、砂漠へ行ったという話も集めたけどね。ほとんどマユツバだよ」
砂漠竜が生贄を要求し、生贄とされた無関係の旅人が逃げ帰ってきた冒険譚。この話では砂漠に黄金の城があるらしい。
古い伝承のひとつは、かつて砂漠には七つもの小さな国があったが、長い歴史の末にふたつの大きな国になった、というもの。これは天狗の書に書かれた歴史につながっていそう。
ふたつの国の名が出てくる資料もあったという。きちんとした考古学者が色々と資料を突き合わせてみたところ、遺跡の町が貿易を重ねていた町はいくつかあり、イスリス、ギモヴというふたつの国のどちらかに所属していた。
ほかは、もっと夢物語みたいな話。両親を亡くして絶望した少女が砂漠へ向かうと青い砂嵐の中に親の姿が浮かび、帰るように諭された。あとは、砂漠に一歩だけ足を踏み入れて砂を瓶に持ち帰った商人が一晩で姿を消し、ベッドには砂だけが残されていた――というような。
「この辺りの人々にとって昔から、神秘と未知の領域の象徴みたいなものだったことは確かだね」
話が一段落して辺りが静かになる。すると。
パタパタ。
外から小さな、弱くなにかを叩くような音。
「ああ、降り出したか」
主人の視線につられて窓の外を見ると、いつの間にか空は黒っぽい灰色の雲に埋め尽くされていた。そして建物の屋根や木の葉の上に水滴が落ちているのがわかる。最初はかすかにまばらな音がするだけだったのが、すぐにザーッと絶え間ない連なりになる。
「少し前に雨漏りしないよう直しておいてよかったな。風読みの話じゃ今夜は風が強くて寒くなるようだから、温かくして寝るんだよ」
風読みの予報は的中して、日没辺りから風がうるさくなってきたし、夕食は温かいシチューに焼き飯と、この地方の名物だという果物を葉で蒸したものだった。お茶が渋かったそうでイドラは心配していたけれど、食事は美味しかったみたい。
それに宿の主人とは気が合う方みたいで、遺跡や考古学の話をさらに聞いていた。あのお茶は遠慮していたけど。
朝は焼き立てのパンに豆と山菜のスープ、鶏の燻製。食事の後で多めの代金を払って出ようとすると宿の主人は、
「橋は水の流れに耐え切れなくて穴が開いてしまったようで、通行止めになっているよ」
と教えてくれた。
しかし、こちらとしては想定内。
「橋がなければ飛んでいくまでのことだ」
「はあ、魔法使いは便利だね。でも気をつけてな。竜の坊やも」
「うん、どうもね」
挨拶を交わして宿を出る。
景色は昨日この町に来たときとは変わっていた。ひとつは、家のそばに水がめや桶を出している家が多い。水を集めるためかな。川は近くに流れているものの、普段はそれほど水流が多くないみたい――だからこそ、古い橋をそのままにしてあったのか。
他に変わった部分も一目瞭然。朝日を照り返す木の葉に家々、道端の花。雨で洗われた世界はキラキラ輝いて見えていた。ドロドロでグチャグチャの土肌の道以外は。
イドラは地面を見て一瞬だけ嫌そうな顔をしたものの、かまわず歩き出した。泥跳ねは彼には当たらない。魔法で防ぐことにしたらしい。
その点、最初から飛んでいる僕は泥跳ねとは無縁。と思っていると。
「冷たっ」
泥には当たらないけど、木の葉から垂れた水滴が飛んできて思わず驚く。となりで大魔術師は小さく笑った。
――自分は魔法で雨も泥跳ねも避けられるからって。
なんて内心でひがんでいると、彼は予想外のことを言った。いや、これから向かう先のことを思えば予想してしかるべきなのかもしれないけど。
「その感触もいまのうちかもしれないぞ、トーイ。水の感触を恋しく思うことが遠からずあるかもしれない」
ギーギー、とひしゃげたような鳴き声を上げながら、細長い鳥が頭上を飛び越えていく。
この谷間は幅が狭い上に、草木や刺のある蔦なんかも延び放題。長年人間なんて分け入ったことはないんだから当然か。
今のところ、まだ身体の水分が干上がりそうな渇きとは無縁の景色。周囲にはたまに谷を形作る岩肌が見えるけれど、大半苔むしていたり周りの草に覆われている。近づいてみると小さなトカゲが岩の隙間に隠れていった。
「身を隠すには良さそうな場所だな」
一歩踏み出すたび、大魔術師の目の前では雑草や蔦が切られて脇に飛び散る。そうでもしないと道がないので仕方がない。
「それができる人は限られるだろうね、この先も危険だし……ということは、邪神退治もここは見逃したのかな」
「あまり必要性はなさそうだ……と、思っていたが。夜にあの町の宿で聞いた話では、数百年前に下級神らしいのを含む調査部隊が結成されて送られていたそうだぞ。誰も帰って来なかったようだ」
「へえ……」
それだけ危険な砂漠が目的地。でも、その部隊よりはイドラと一緒の方が安全だろうな。
砂漠へ続く谷は細長い。しばらく歩くうちに小型の狼に似た獣が遠巻きに唸り声を上げてきたけれど、イドラが魔法の炎で脅かすとすぐに逃げていった。
この先の砂漠はどうか知らないけれど、ここは生き物の気配が多い。鳥に小動物、虫に爬虫類。なんだか、あまり見かけない姿かたちの種類みたい。
動く生き物だけじゃない。植物も見覚えのないものが多い。ボウボウ生えた細い茎に丸い玉が連なったみたいな植物や、薄暗い中で揺れながら発光している三ツ又状の葉、照りのある肉厚の赤い植物。
「お、懐かしいな」
イドラが見上げたのは、谷の道の脇から生えた木。家くらいの高さの木は大きな緑の葉と、楕円形の黄色い実を沢山つけている。その実のひとつを大魔術師の手がもぎ取る。
「わたしが生まれ育った山でもよく生えていたものだ。今ではほとんど見かけないな」
袖で実の表面を拭き、一口かじる。水気の多い淡い黄色の実がのぞく。
「おぉ、甘い。帰りも少し持っていこう。……この谷は古い動植物が保存されているな」
「そういや、僕が生まれ育った辺りで見かけた植物もあるや。地上では見かけないけど」
妖精竜は本来、空を飛べないと行けないような山の上で暮らす。僕みたいなまだ飛べない幼体は大人の背中に乗せもらっていた。だから当然人間は入って来られない領域で自然もほぼ手つかず。
天狗にちょっと似た生活の仕方かもしれない。
「どうやら、保存されていたのは自然だけでないようだな」
そう言ってイドラは木の根もとに屈み込んでいた。地表に出ている太い根が少しねじれながら浮いている部分に手を伸ばすと、取り出したものを木の葉で拭いてから掲げてみる。
谷の上、細長い空から差し込む日差しを受けて半透明な青白いナイフが輝く。ナイフと言っても実用的ではなさそう。人間の大人の指より少し大きいくらいで、綺麗な装飾が彫り込まれていた。飾りか、使い道があったとしてペーパーナイフかな。
「誰か、ここで亡くなった昔の人の遺品とか?」
今ここを訪れたのが別の誰かなら、獣や毒虫にやられているかもしれない。昔も条件は大した変わらないだろう。
「それなら他にも痕跡がありそうなものだ。落としていっただけかもしれないな。調査部隊の所有物でなさそうなのは確かだ。貿易商が落としたものかもしれない」
彼はそれを懐に仕舞う。
珍しい金属でできた工芸品、も遺跡の遺物にあったんだっけ。
「価値が高いものだといいね」
「歴史的価値がな」
再び歩き出す。行く手から強い光が洩れてきている。
なんだか空気がどんどん乾いてきているのも、気のせいではなさそうだった。
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