第7話 道標の向く山
窓の外はもう、すっかり夜の闇に染まっていた。等間隔に並ぶ木々の向こう、城壁の手前にある街灯にももう火が入っている。
「では、帰るときには司書に一声かけて戻られてください。部屋への道は覚えておられますね? まあ、わからなければその辺の者に案内させるといいでしょう」
鎧姿じゃない王女はそれらしく、しかし動きやすそうではある空色のドレス姿で図書館に入る僕らを見送ってくれた。離れる前にスカートを摘まみ挨拶する姿もとても堂に入っている。こちらの姿の方が〈お姫さま〉としては本来の想像に近いかも。
並ぶ本棚、司書のいるカウンター。奥に長机と椅子も見え、机の上には花瓶に花が飾られている。室内は静かで他に利用者はいないみたい。
「あの格好を見ると、戦場で戦っていたときの姿は想像できないかもしれない。それにしても凄いね、王女なのに」
つい少し前のことなので、戦場でのシェリカ王女の振る舞いもそれなりにはっきりと思い出せる。妖魔へ剣を斬り払うときの鋭い視線、自在に手綱で白馬を操りながら戦場を駆ける勇姿。今別れたばかりの彼女とはかなり、まとっている雰囲気が違う。
「そうか? 百年と少し前には革命家とも呼ばれた女王騎士セドリアがいたし、三百年ほど前には山岳国家でラマの騎馬隊を率いる王女騎士キッシャ・タンダーダが、二千年近く前にも聖女として伝説になっている王女騎士エレトラ・ハラーヤというのがいたな」
「そりゃ、イドラくらい長生きしていたら色々と思い当たるだろうけれどね……」
なんだか、彼と年齢差を実感してしまった。
そうだ、年齢差、と言えば。
「親である王さまや王妃は心配じゃないのかな」
「確か、王女の上に王子が三人いるそうだから、世継ぎの心配はない。自由にさせられてるんだろう」
本棚の間を歩き、彼は本を品定めする。
「そういう意味の心配じゃなくて、世継ぎの心配がなくったって親は心配じゃないの?」
「それは本人にきかなければわからないけれども。彼女には魔法による守護もかなり飛んでいたし、護符も持っているだろう。当然だが装備も一般騎士よりは一流だ。あとは本人の腕が信用できるかどうかさ。いい大人だからな」
確かに、ずっと見張っておくような歳でもないけれど。
「それにしても姫さん、ずいぶんイドラを気に入ったみたいだね」
ここへ送ってくれる間、この後公務があるので手伝えなくて残念だ、もっと色々と話を聞きたかった、とシェリカ王女は悔やんでいた。
「親しくしておけば、また図書館が必要なときにもやっぱり有利かもしれないよ。それに、彼女美人だしさすがに王族の華やかさがあるね」
「必要以上に親しくする必要はないだろう。王女とはいえ彼女は普通の人間だ。次に我々がここに用事ができる前に寿命が尽きている可能性が高い……それに、ああいうグイグイ来るような相手は苦手だ」
「それはキミが逃げるからじゃないの。さっきは彼女の趣味を褒めていたじゃないか」
夕食のときのこと。
夕食もあの部屋で持って来られたものを食べたのだけれど、その際『シェリカ王女が選んだゼクステリアの名物デザート三種』なるものが一緒に運ばれて来て、これは王女も気が利くじゃないか、とイドラも上機嫌で食後のお茶と一緒にそれを楽しんでいたりしたのだけれど。
「それはそれ、これはこれだろう。デザートの趣味一点で親しくしたいと思うほど人との交流に飢えてはいない」
「そりゃ、キミは望むなら誰とでも交流できるだろうしさ」
人間の美醜にそれほど詳しくはないけれど、周りの反応を見ていればイドラが好意的に見られる外見であることはわかっている。
そこで、僕は興味が湧いた。数千かそれ以上に生きている大魔術師に異性への興味というものは存在するんだろうか。彼の好奇心はそういう方向へは行っていない気がするけれど。
――いや、それだけ長く生きてるんだ。実は一度、もしかしたらそれ以上の回数結婚していてもおかしくないぞ。
僕がそんなことを考えてる間に、彼は本棚から三冊の本を抜き出して奥の席へ歩き出す。
「たぶん、イドラは子どもの頃から異性にも人気だったと予想するけれど」
彼が席についた長方形の机の中央には花瓶が置かれ、色とりどりの花が飾られている。嗅覚は敏感な方なので、いい匂いも漂っているのがわかる。
僕はイドラの向かいの席に座った。
「わたしのいた村には、ある決められた日に自分が好意を寄せる相手に赤い花を贈るという風習があったんだ」
こんな話は彼にとってくだらないと一蹴するようなものかもしれない。そうも予想していたけれど、実際は彼は懐かしそうにほほ笑んだ。
「その日になるとみんな花を手に押しかけてくるので、わたしは洞窟や地下室に閉じこもってじっとその日が過ぎるのを待ってたよ」
「それはそれは、大変だね」
ある意味予想通りだけれど、自分で話題を振っておいて少し白けた気分になってしまう。自慢話を聞かされているような。
うーん、でも当然予想すべき返事だったかも。
「逃げなきゃいけないほど追いかけられるなんて凄い人気じゃないか」
「当時、わたしはその植物の花粉症だったんだ」
「……」
なんだか想像していたのと違う話に動きを止めるものの、机の上に置いた本に視線を向けているイドラの方は気がつかない。
「その日が来るたび、わたしは早く高度な魔法を学び体質改善の魔法知識を修めようと決意を新たにしたものだ」
そんな大昔の花粉症の苦労を覚えているんだから、本人としてはそりゃあ大変だったろうけれど。
「べつに、イドラを花粉で攻撃しようと花を持ってきたわけじゃないんだろうしさ……好みの子はいなかったの? もっと知りたくなった相手とか」
今が長命でも当時は普通に少年の年齢の少年なわけで、色恋沙汰に興味がなかったわけではないはず。
「それはいない。そもそも、わたしがその花を苦手としていることを知ることも知ろうとすることもない相手になど、興味が持てるものか。そういうことは都合のいい風習にかこつけて突然近づくのではなく、今で言うと手紙や交換日記でじっくりとお互いを知ってから親しくすればいいんだ」
「古っ」
思わずそう反応すると、彼は心外そうな顔をした。
「古くはないぞ、当時は紙が流通していなかったし。適切な種類の木の葉や皮を代用するくらいだ」
どこかずれたことを言う。
「まあ、そういうことならどうやら、イドラは結婚とかしたことなさそうだね」
「それはそうだろう」
なにを意外なことを、という感じで彼は肩をすくめる。まるで最初からあり得ない選択肢だったみたいな口ぶり。
「そう? 好奇心旺盛なキミのことだから、結婚がどういうものなのか身をもって体験しようとしてもおかしくないと思ったけどな」
「実際に体験しなくても予想はつくだろう、結婚はわたしの性には合わない。わたしの意志にすべて従う相手なら自由に旅はできるだろうが、それは結婚相手というより従者や奴隷のようなものではないか?」
「そういう関係じゃなくても旅に同行できる相手はいると思うけどな」
僕はイドラに同行しているけど、従者でも奴隷でもないし。
「なんだ。トーイはわたしに結婚を勧めたいのかい? 当然キミも結婚したことなどないだろうに」
「うん、結婚したイドラがどんな感じになるのか見たいだけ」
「結婚しても変わらないでいられる、が前提だから、その好奇心が満たされることはなさそうだな」
そりゃそうか。
でも、旅をやめてもいいと思うくらいの相手に出会う想定はないんだな……イドラの世界への好奇心を上回るような相手なんて、存在したらそれこそ見てみたいくらいだけれど。
魔術師は小さく苦笑したような表情で、〈魔法具大事典〉という古そうな本をめくる。
そうだ、ここへ来た目的を忘れるところだった。確か、〈青砂の白宝珠〉――そう、召喚された少女たちは呼んでいた。その正体を調べるんだ。
「量産されたものではないようだし、事典にはないな」
と、イドラは別の本に手を伸ばす。
「同じ作り手による別のものとか、同じような種類の魔法具が多く発見されている遺跡でもあれば何かわかりそうだが」
つまり、未知の場所からの新発見だと正体を予想するのは難しいと。
「生命力を吸うような魔法具と同じ場所から流出したとか……?」
「そういう魔法具というと、大半が魔剣や呪術関係だけども……あの三人に関係がありそうなものはないし」
「じゃあ、あの娘たちに尋ねるしかないんじゃない? また生命力を吸われるかもしれないけど」
「生命力を吸われるとわかってさえいれば対処のしようはあるが、直接尋ねるのは負けた気になる……すでに説明されている以上のことを知っているとも限らず……」
話しながら目と手を動かしていたのが、ページをめくる動きを止める。
そのページの見出しは、魔法具とは関係なさそうに思えた。『ベントレー山に住む天狗との交流、そこで見たもの』。
「ベントレー山には天狗を自称する巨漢が気ままに暮らしている。鼻の長いお面をつけたその男はさまざまな宝珠を集めており、宝珠の資料も多数所有している」
イドラは文章の冒頭の部分を読み上げた。
天狗、とはまた珍しい。神話伝承にまれに出てくるのは知っているけれど、具体的にどこに実在しているとかいうのは初めて聞いた。森や山奥で隠居して暮らしている魔術師をそう呼んでいるだけだとか、否定的な話を耳にしたりもするし。
「天狗っているんだねえ……本当に」
「いるぞ。正体は妖精だったり、独自の魔法開発を行う魔術師の一門だったりすることが多いが……ベントレー山の天狗か」
なにかを思いついたようにその目が天井のシャンデリアの方を向く。でもそこに注目した訳じゃないらしい。
「確か、会ったことがあるぞ。あれは百年近く前……マグニア王国で毒竜退治のために多数の有力な魔術師や英雄が招集されたことがあった。その中に確か、ベントレー山の天狗だという男とその養女もいたな」
マグニア王国、っていうのはこの国より古いとなりの国だ。ベントレー山はこのゼリスター王国との国境付近にある。
「天狗も山に住んでいるってことは、それで毒竜の被害も受けそうだからっていうのもあって退治に参加したのかな」
「毒竜が住むのはかなり山奥の、それも岩山だからな。山とはいえ天狗とはかなり環境の違う山だよ」
それはそうか。
妖精竜もそうだけれど、植物も生えないような岩山では生命力や気と呼ばれるようなものもほとんどないだろうし、法術が使える環境にもなっていない。
「それに、毒竜退治の原因は毒竜が増え過ぎて町に流れてくる下流までが毒に汚染されたからだが、もとはと言え人災だからな」
「人災? なんで?」
人里離れた山奥にいるはずの毒竜が増え過ぎたことが人間のせい、というのはよくわからない話だ。
「当時のマグニア王国は英雄王と呼ばれた国王と第一王子が事故で急死し、次男だったまだ若い少年王が突然即位して数年。有力貴族の争いが絶えない時代だ」
領地争い、領地の開拓、領地に巣くう妖魔や魔獣退治での武勲争い――当時の貴族たちは私兵を集めて国にも引けを取らないような軍隊を作っていたという。
しかし兵も武装も数を増やすにも限界はある。そこで一部が目をつけたのが毒だ。特に妖魔や魔獣を相手にすることが多い領地の者は強力な毒を求め、高名な傭兵たちを雇って毒竜の幼体数体を捕らえて毒を抽出し、毒矢に使った。
この威力が評判になり大金を積んで求める者まで現われて、貴族は毒竜を交配して増やし毒を売るなど商売にする者も現われた。
でも竜なんて成体になれば捕らえてなんておけない。手に負えなくなると、貴族らは毒竜を傭兵らに捨てさせた。間に合わなくて屋敷ごと踏み潰された貴族や、岩山へ毒竜を捨てに行ってそのまま帰ってこない傭兵たちなど、数多くの事故や事件が起きた。
「その極めつけが川の汚染だな」
説明の最後に、イドラは肩をすくめる、。
「ある村で、川の水に触れたり飲んだりした者が三人ほど体調を崩して、数日後に飲用していた一人は亡くなった。でも、もともと川の水は村全体であらゆることに利用されていたから、その数日の間にも次々と村民が倒れ、結局十日の間に村はほとんど全滅した」
領主の行動の結果、領地の村が壊滅したわけか。その尻ぬぐいのために国が多くの英雄や大魔術師らを招集した、と。
「まあ、川が汚染されれば天狗も困るだろうが、そもそも毒竜の巣が影響を及ぼす範囲には住まないだろう。社会経験と純粋な人助けだろうな」
そうだ。漆黒の魔術師と一緒にいると忘れそうになるけど、世の中には人助けを動機として行動する人がそれなりにいるんだった。
とにかく、知り合いだというなら話は早い。人助けをするような、イドラよりは常識的な相手の可能性が高いし。といっても、イドラとその天狗がどれくらい交流があるのかは知らないけど。
でも、まったくの赤の他人よりは取っ掛かりがあるはず。
「どこかに宝珠があると聞けば調査に行き記録していたともある。この宝珠の元の持ち主を訪ねていたかもしれない」
「ベントレー山ならそう遠くもないし、決まりだね」
ここからでも馬車を使って東の方へ二日といったところ。急ぐ旅でもないし。
それから一応、ベントレー山やマグニア王国、天狗について調べてみたりした。僕も一応、現代の人間の文字はかなり読める方だ。群れを離れた後、出会った人間が色々な本を読ませてくれて教えてくれた。
イドラが言うには天狗は色々と種類があって特定の種族ではないようだけれど、魔法とは違い自然の法則を極力曲げずに利用した、法術とか方術と呼ばれる術を使うという。
魔術師は魔力を使って肉体を維持することで寿命を延ばすことが多いけれど、天狗のような法術使いは自然の持つ気を取り込むことで肉体にも力を受け取るとか。なんだか、妖精竜に近いものかも。
「イドラは法術は使えるの?」
ふと、そんなことが気になった。
伝説に名を残す魔術師にも向き不向きはあるんだろうか。
「昔、少し興味を持っていくつか法術の基礎を修めてみたことはあるけれどな……使えないことはないだろうが深入りしなかった。役立ちそうな初歩の魔法を数個習得したくらいだ」
「へえ、それはどんな?」
興味が湧いて質問する。すると、彼は丁寧に説明してくれる。
ひとつ、清浄な水と空気のある場所で少しの間瞑想すると周囲のみなぎる気を自分の体内に取り込むことで、数刻の間、身体能力がいつもの数倍は向上するという〈集気の法〉。
「旅をするにも役立つのでは、と思ったのだけども……瞑想に適した場所を探して瞑想する手間と時間を考えたら、普通に魔法で障害物などを避けたり高速移動しながら旅をした方が早いということに気がついた」
そりゃそうだ。肉体労働をする機会があれば違うんだろうけど、彼はそれも魔法でこなすだろうし。
イドラが習得した法術その二は、指先に気流を集めて、それに乗せられた羽虫たちを集めるという〈蟲寄せの法〉。
「なんでまた、虫を呼び寄せようとしたの?」
この質問には、彼は一瞬なにかためらたっような様子だ。
「それは……珍しい昆虫がいる山奥でこれを使えば簡単に捕まえられるかと思ったのだけれども、集まって来る昆虫の種類は選べなくてな……指先をしこたま蚊に刺されて、それはもう痒くて仕方がなかったぞ」
相変わらずそそっかしい。
そして、最後のみっつ目。
周囲の気温と磁場を操りどんな毛皮でもふかふかにして毛玉のない状態にするという、〈木漏れ日の法〉。
「ああ、これはたまに使っているぞ」
と、少し満足げな表情。
「野宿が続いたときでもいつでもふかふかの毛布で眠れる訳だ」
「なるほど、それはいいかもしれないねえ」
と、調子を合わせてみたものの、野宿が続く機会もそれほど多くはない。町に寄れば宿を取り、洗濯して干しておけるし。
「しかしまあ、それくらいか。魔法で大半のことが代替できるので面倒になってね」
「魔法が使えないけど法術が使える状況、ってないの?」
「思いつかないな。今までそういう場面はない」
少し考え、彼は首を振る。
まあ、魔法が使えなくても魔法の効果を付加した道具や護符をたくさん持っているし、今までの長い長いイドラの人生で困ったことがないのなら必要ないんだろうな。
「山については……かつて山を領地におさめようとした軍隊が何度登ろうと分け入っても入口に戻されてしまうということが複数回あり、長く手出し無用の幽玄の地とされていた。今は地図の上ではマグニア王国内とされ、ふもとの町の人々には山の天狗らと交流がある者もいる、だそうだ」
「天狗も町で買い物くらいするのかな」
「山の薬草や、粘土を焼いた器などを作って物々交換している山の住人がいる、という話は聞いたことがあるな。大体そんなものだろう」
もっと天狗は野性的な生活をしているのかなあ、と思っていたけれどそういうわけでもないらしい。そう言えば、ベントレー山の天狗には娘がいるんだっけ。
「宝珠を探し求めるような天狗だからな。外とはそれなりに交流はあると思うよ」
「なら、ふもとの町に行けばそれなりのことはわかりそうだね」
山で迷子になるくらいなら、町で天狗を待ち受けてもいいかもしれない。天狗が人を迷わせる術を使うとして、それがイドラに通じるのかは微妙なところだけれど。
「ふもとのアスカベンの町に行って、しばらく天狗が来そうにない様子であれば山に向かうとしよう」
そう決まると、本を抱えて立ち上がる。
本を棚に戻しながら、彼は小声でつぶやいていた。
「天狗はあのときすでにかなり高齢だったが、今も健在だといいが……」
――心配性だなあ。
と思っていた。このときは。
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