第6話 戦場の異変

 翌日、僕とイドラはしばらく世話になっていた宿に別れを告げた。

 昨日のうちに龍神の新しい棲み処を造り、龍神は魔法で移動している。どうやら、少し高い位置にできたそこは景色も良く気に入った様子だった。

 その龍神からもらった鱗を見せると、町の偉い人たちも納得したらしい。新しい湖には近づかないようにしっかり言い含めておいた。またそこで漁でもされたら、全部が元の木阿弥になるし。

 鱗を渡すと、新しい湖に近づかないという決まりは鱗と一緒に大切に代々伝え守っていくと言っていた。あの鱗、新しい町の名物になりそうだな。

 鱗を我が物にもせず、きちんと知らせに戻ったのは、もちろん王女騎士団に話を通してもらうため。

 この国の王女シェリカ姫は勇敢で剣の腕も一流、自分の騎士団を率いて問題解決に奔走している、とかなんとか。

 でも噂は噂だ。本人は後ろで黙って作戦指示しているだけかも。

 と、思っていると。

「初めまして、漆黒の魔術師さまとお連れさん。よろしく頼む!」

 宿の外へ出るなり、二人の鎧姿の騎士を左右に従えた金髪の女騎士が目の前に現われ、身をのり出してイドラの手首を握りしめた。

 女騎士は長い髪を団子状にまとめ、明るい碧の目をこちらに向けている。年齢は二〇歳前後くらいで、なかなかの美人。武装してるからかもしれないけれど、白い宝珠で呼び出せる三人の少女のうちのサティとかいう娘に似てるかも。

 イドラが無言で怪訝そうに目を細めていると、彼女は勝手に話を進める。

「高名で高齢な大魔術師だというからもっと外見も年寄りなのかと思っていたが、なかなか若くて可愛いじゃないか。連れの妖精竜も」

「……キミは誰だ」

 いつまでも手首を放してもらえないため、イドラが口を開く。

 相手の正体は予想がついたものの、まあ、騎士団にも女騎士が複数いる可能性はある。

「わらわはこの国の第一王女、シェリカ・メルヴィ・ゼステリアだ。気軽にシェリカと呼んでくれ」

 結果は予想通りだったけど。

 彼女が身を引いたのでやっとイドラは解放される。

「知ってるだろうが、わたしはイドラ。こちらはトーイ。……さて、協力する条件は承知しているだろうな?」

 いつもと変わりない、聞く人が聞けば不遜にも思われそうな口調。まあ、国の興亡すら何度も見てきた彼にとっては、相手の地位も出自も関係ないし。

 王女の方もそれを気にする性格ではないらしい。

「ああ、報酬は王宮図書館の利用だろう。それでよければいくらでも、じゃ」

 ただし、ひとつ騎士団側からも条件を伝えられていた。

 妖魔が発生している古戦場はほぼ残骸だけになっているとはいえ、一応、砦や城壁の遺跡が残っている。できるだけそれらに被害が出ないように、ということだ。一気に丸ごと吹き飛ばせばいいとかいう話ではないみたい。

 ちなみに妖魔にも色々と種類があるけれど、大量発生しているのは植物から変異した粘性生物と翼のある小鬼が多いらしい。古戦場自体からの邪気や瘴気が原因になったんだろうか。

「では、さっさと済ませてしまおう」

 とイドラは言うが、ここは騎士たちについていくのみ。

 僕らだけなら魔法で高速移動していくなり飛ぶなりできるけれど、騎士団はそうはいかないし、僕らだけ先行もできないし。

 結果、一団の後方の馬車に乗せられることになった。

「これなら、力を貸すより退治してくる、って言った方が早かったんじゃないの」

 幌馬車の荷台、端に載せられた木箱の上でぼやく。

 イドラは毛布を敷いた上で杖を抱えて座っている。馬車の揺れというのは、なかなか腰に来るらしいと聞いたことがある。

「わたしだけの方が一瞬で終わらせられるのは確かだが……そうはいかないだろう、大金かけて大勢でここまで来たんだ。それに王女は退治した現場を確認する必要があるだろうな」

「そうなんだ、集団行動も面倒くさいね」

「国の組織だから面倒なんだろう……案外、トーイは群れるのに向いてないんだな。まあ、今の状況を考えてもそうか」

 と小さく笑う。

 そりゃ、一人が嫌ならこうして外界へ旅に出たりはしない。群れるのが好きな妖精竜は、生まれた山や森で家族と一緒にずっと暮らしていることが多いんじゃないかな。

 そうだ、家族、と言えば。

「あの生け贄の女の子、どうなったかな」

 人買いたちを追い払い、宝石と食事とともに送っていった先で、家族もとても驚いて喜んでいた。供物は有無を言わさずイドラへの報酬になったので、それをどう使おうと勝手だろう、と町のお偉いさんたちも納得させた。まあ、もともとの依頼料もかなりの値だったし。

「あの芸のない連中と同じ類の者たちに宝石が盗まれたりしないよう護符をいくつか渡した。金の使い方を間違えなければ大丈夫だろう。後のことは知らん」

 彼はいきなり大金を手にしたせいで誰かに目をつけられたり、金に溺れることがないようにも色々と助言してきていた。

「そこまで手厚い割に気にならないの?」

「人助けがしたいわけじゃないからな。生け贄のような理性のない行動、意味のないことが嫌いなだけで」

 本当にそれだけなんだろうか。相手が子どもじゃなかったら、あるいは打算のある人間だったりしたら、護符一枚書くのにも対価を求めそうだけれど。

「ま、気にしても仕方がないか」

 そう言って、馬車の後方のドア代わりの厚手の布を巻き上げて外を眺める。町を出てしばらくは草原の道を進んでいたけれど周りに木が増えてきた。離れたところには岩が転がっていたり、崖の岩肌が見えていたりする。

 古戦場については昨日のうちに調べておいた。大きな戦いのあったらしい遺跡で、五〇年余り前にも戦場になったという。

 この国の軍と、国の宮廷魔術師になって裏から支配しようとしていた魔術師につけ込まれた領主の率いる軍が血で血を洗うような戦いをした。狡猾で強大な魔力を持つ魔術師は、それでも勇気ある騎士と、領主の振舞いの小さな違和感に気がついたメイドの活躍により陰謀をさらけ出された――この国では誰もが教えられる英雄譚らしい。

 もっと古い伝承もいくつか存在した。

 一番古い部類だと、邪神をあがめる異教徒の集団が立てこもるために造った砦が最初であり夜な夜な恐ろしい儀式が行われていた、とか。

 異説にはここにはかつて巨人族が隠れ住んでいたが、彼らは優れた技術を持ちその証となる宝石や装飾品をため込んでいたため、侵略者に虐殺されて石畳も建物も血に染まった、とか。人間を誘い込んでは食べる妖精族の一種が群れで住んでいたとか……なにせ一番古いころを辿るとなると千年近くかそれ以上前にもなるようで、色々な説があるらしい。

 まあ、どうにしろ沢山の血が流れたようで……そんな場所だから瘴気や邪気が発生したりするんだろうな。

 眺めているうちに、ピピーッ、と木製の笛の音がした。蹄の音が止み、馬車も止まる。どうやら、目的地に着いたらしいや。

「降りようか」

 なにか気配を察したか、イドラが立ち上がる。

 外から大勢が動く気配や音。僕もイドラに続いて馬車の外に出て馬の前へと回った。

 ここはどうやら丘の上のようで、下りの坂の道の先にある灰色の遺跡らしき地帯が一望できた。大きな長方形の石が大地に敷き詰められ、壁も少しだけ残っている。奥の方には途中からポッキリ折れた塔らしきものや石造りの建物が半壊している残骸も見える。

 そして、その風景のあちこちに黒い影を立体化させたようなものや、ヘドロのようなうねうねした黒い塊、そして鋭い牙や爪を持つ大きなコウモリに似た妖魔や同じく翼ある小鬼が飛び回る。

 一度同じ種族の大人に習ったことがあるけれど確か……黒い影のようなものがシャドウ、粘液のようにうねうねしたのがジェリー、大きな蝙蝠に似たのがバット、小鬼はゴブリンという通称で呼ばれていた気がする。

 妖魔は生き物を見つけると、その生命力を吸い取ろうと襲ってくる。こちらの百人くらいの生き物の集団を察知したのか、ざわざわと全体がうごめいて近づいてくる様子。

 騎士団も遅れることなく、陣形を展開したようだ。王国の紋章を付けた甲冑を着て剣や槍を手にした騎士たちが並ぶ。その先頭で白馬にまたがっているのはあの王女。

「戦闘準備!」

 今朝とはまったく違う、凛とした顔と声でシェリカ王女が指示する。

 騎士団の中にも、何名か魔法の使い手がいるらしい。王女とその脇を固める十数人が掲げた剣に魔力の赤い光が宿る。

 ――魔法騎士、ってのもなかなか格好いい。英雄物語の挿絵で見たような光景だ。

 僕が見とれているとなりで。

「少しは仕事をしないとな」

 イドラが魔杖を軽く掲げる。

 一瞬、空中にまるで騎士団全体を守るように巨大な光の盾の紋章が描かれる。妖魔の攻撃を防ぐためのものだろう。

 それを騎士たちも目にして、さらに士気を上げたようだ。

「よし、恐れるものなどない。攻撃開始!」

 王女が号令をかけ、騎士団は馬を駆り坂道を下る。

 突撃する土煙を前方に、イドラは急ぐことなく追い始めた。離れていることは彼の魔法にとって、大した不利にならない。むしろ状況をしっかり目視していることが重要になる。

「思ったより入り組んでいるようだし、やはりまとめて吹き飛ばす、とはいかないな」

「それやったら報酬はもらえなくなるよね」

「目的はあくまで王宮図書館だからな。王女には無事でいてもらわなくては」

 騎士たちはもう、迫り来る妖魔の群れに自ら肉薄するところだ。

 イドラは坂を下りきる前に次の魔法を放つ。

 魔杖の先端の三日月状の周囲から、数十の黒い小鳥が湧き出して羽ばたいていく。空中を、妖魔めがけて。

 いくら馬上でも、騎士たちだって頭上や背後から飛来する妖魔相手には不利となるだろう。鳥はそういう空中の敵を狙って体当たりしては小さな爆発となり、巻き込んでいく。

 直後、接近戦が始まる。

 ある程度近づくと、馬のいななきや蹄の音、金属音に悲鳴やうなり声、ときの声――そんな生々しい戦いの音が聞こえてくる。それなりに長生きしているけれど、こういった集団戦の場に居合わせるのは初めてだ。

 空気が氷のように張りつめて、斬りつけてくるほど固くなっている気がする。命のやり取りをする緊張感のせいか。

 たまに騎士の悲鳴のような声、呻き声を聞く。妖魔の爪にのけ反る騎士、落馬して追撃されそうになる騎士の姿もあった。それでもどうにか、仲間やイドラの鳥に助けられる。守りの魔法の力で、怪我も深くはないようだ。

 できれば、誰かが命を落とすのは見たくないのは確か。

「皆、恐れるな。確実に数は減っている!」

 自ら剣を振るう王女騎士のことば通り、敵は半分くらいにはなっているだろう。

 しかし、そのとき。

「新手だ、気をつけろ!」

 誰かが叫ぶ。

 奥の、半壊した建物だ。今度はどんな妖魔の群れでも現われるのか――そう思って眺めていたところに飛び出してきたのは、たったひとつの姿。

 青白い顔、蝙蝠のような形の大きな黒い翼、赤く光る目、先のとがった耳。服装は黒尽くめながら貴族風で、品を感じないことはない。

 物語や伝承で見る、吸血鬼を思い出す。とにかく、見た目だけでも周囲の量産型みたいな妖魔たちとは一線を画している。

 しかも。

 僕は少し驚いていた。これほど強力な魔力を放つ人間型の生き物に出会ったのは初めてかもしれない。イドラは強力な魔力を持っているだろうけど、杖の魔力の方が強過ぎるのかほとんど感じられない。高等な魔術師は大抵、自分の魔力量を隠したがるというのもある。

 つまり、高度な魔力を持ちながらそれを隠そうとしない人間型の珍しい生き物に出会った、ということになるか。

「騒がしいな。我が眠りを妨げる愚か者どもはお前たちか」

 地面に降り立つと、彼はマントをなびかせながらこちらへゆっくり歩いてくる。

「貴様がこの軍隊の大将か? 随分と立派な杖を持っているようだが、杖に負ける程度の、群れなければ襲撃もできぬ魔術師では齢三〇〇年を超える吸血鬼の貴族たる余の敵ではないな」

 どうやら、魔杖の魔力に気がついてイドラを大将だと誤解したらしい。

 強大な相手かもしれない、と少し緊張していたのが一気に醒めた。たぶん、イドラについて詳しく知らなかったらこんな気分になることもないんだろうけどさ。

 それにしても、この吸血鬼は本当にイドラのことを知らないんだろうか。ずっと辺境で寝ていて世俗のことには無関心だったとか?

「わたしはこの軍勢の大将ではない。お前のようなぼんやりと生きている生き物と違い、わたしにも世俗の人間とのつき合いというものがあるんだ」

「色々と面倒なものだな、このような雑魚とつき合うとは」

 吸血鬼はイドラから視線を外し、武器を手にかまえたまま様子をうかがう騎士の一団に目をやった。

 その途端、なにかに気がついたらしいイドラが振り返る。

「目を逸らせ!」

 突然の警告に、あっ、と驚きながらも、僕もほとんどの騎士たちもすぐに目を逸らすことができた。そう、ほとんどだけだ。

 逸らすことができなかった数人が誰なのかは即座にわかる。急に身体の向きを変え、剣のめざす先も変え。

「うわっ、なにをする!」

 頬を浅く斬られた騎士が血を散らしながら叫ぶ。別のところでも似たような声が上がり、仲間からの攻撃を打ち払ったりなんとかかわしたりしている。

 操られている……?

「精神操作魔法か」

 妖魔たちもまだ辺りをうろついているし、このままじゃ騎士たちが危険だ。

 魔杖カールニフェックスが軽く掲げられると、手のひら大の小鳥の形をした光が十羽くらい一斉に飛び立って、仲間を攻撃し始めた騎士たちの後頭部をつつくような形で消える。

 すると、操られていたらしい騎士たちも正気に返ったらしい。

「ほう」

 腕を組んで眺めていた吸血鬼は感心したような声をあげる。

「少しは高度な魔法の御し方を知っているようだ。もしや、名の知れた魔術師なのか? よく見れば知った顔かもしれん。我の目を見るがいい」

 もしや、イドラの名前や外見について思い出したんだろうか、なんて思っていると。

「わたしにはその手の魔法は通用しないぞ」

 そうか、目を合わせると精神を操られてしまうのか。でも、当人の言う通り、イドラはしっかりと相手の目を見て話している。

 それでも、なぜか吸血鬼の余裕は崩れない。

「操ることができなくても、百年磨き上げたこの魔眼は精神の壁をつらぬく。たとえば、わずかな光の色の変化しか見えない場合でも、どういう感情や動機に対応しているのかを探り当てれば次の行動を予測できるだろう?」

「ふうん……」

 と、相手のことばを受けたイドラは少し思案顔。

「今の発言は少し面白みはあったかもしれん。吸血鬼よ、生き永らえたければ住処を変えろ。ここは人間たちにとって歴史ある遺跡だ。人里離れた山奥にでも暮らせばいいだろう」

 これはある意味、最後通告だ。でも、普段は最後通告すらしないことが多いだろうから、破格の対応と言える。

 でも、吸血鬼は。

「くくく……ふざけた話だ。人間の都合など知ったことか。優れた生命体が優先されるのは当然のことだろう?」

「それはそうだな」

 あまり期待はしていなかった風だけど肩をすくめ、漆黒の魔術師は包囲網を少しずつ縮めようとしていた騎士たちに下がるよう、手ぶりで伝える。また操られてこちらに向かってこられたりすれば面倒臭いだろうな。

「だから、ここから消えてもらおう。代わりにお前の欲しいものを渡してやるよ」

 真っ直ぐ相手の目を見たまま、イドラは合図をするように左手を開く。

「なにをおかしなことを……」

「いくらでも覗くがいい」

 いったいなにが起きているのか。

 外見上はただ、お互い目を見合わせているだけだ。でも、間もなく吸血鬼が退け反り驚きの表情を見せる。

「そんな馬鹿な……!」

 目を剥き、脂汗すら流して。

「嘘だろ……」

 その一言を残し、吸血鬼の姿はそれを足もとから包み込むような黒い炎に包まれる。

 いったいなにが起きてる?

 ふたたび、頭の中は〈?〉に占められる。たぶん、僕だけでなく周りで成り行きを見ていた騎士たちも同じだろう。

 イドラが吸血鬼を消滅させたのだろうか。黒い炎に包まれた姿は、炭のような黒い砂埃になって風に散らされていく。

 それを見届けると、魔術師は身体の向きを変える。どうやら眼前の敵はいなくなったと判断したらしい。

「いなくなった? なにをしたの?」

 直球できくしかないと、僕はそうした。

「なに、見せてやったのさ。わたしの精神とやらをな」

「それに耐え切れないで死んじゃった……? 吸血鬼も魔力が強大な生き物だけに、精神への衝撃で魔法が暴走でもしたのかな」

「ある意味ではそれで合っているが、やつは自分の意志で命を絶っただけだぞ」

 はあ。つまり、イドラの精神は吸血鬼にとって、自害したくなるような内容だったってことだろうか。

 もしかしたら、残虐な拷問の末に命を奪うことを思い描いて、それを見た吸血鬼が自分の未来を知りそれを実現されるくらいなら、と自ら……とか?

 それならまだ理解できるけれど、イドラの深層心理そのものに畏怖したとか、知ってはいけない世界の秘密を見せられたとか、想像もつかない内容を目にした末に自害したという可能性もある。

 ――そんな秘密があるなら覗いてみたい、とちょっとだけ思わないでもないけれど、命を絶ちたくなるならやめておこう。

「ほら、まだ戦い終わっていないぞ。新手の大群がいるようだ」

 もしかしたらあの吸血鬼が妖魔たちを従えていたのかもしれない、とさっきまで少し思っていたけど、そうだとしても吸血鬼が消えても周囲の敵は消えるでもない。大魔術師は唖然としていた周囲の騎士たちに注意を促す。杖の先は半壊した建物の裏側から移動するいくつもの気配へ向いた。

 生き物の鳴き声と息づかい、そしてはばたくような音が重なってざわめくのは、屋根の下やがれきの山の隙間。そこに潜んでいたのか、コウモリに似た翼と長い尾を持つ一ツ目の球体が十数体、空中に飛び出してくる。

 空中に浮かぶ不気味な目にたじろぐ騎士団へ、目から赤い光線が放たれる。それは、光の線が描き出した盾に受け止められた。イドラが使った防御魔法はまだ有効なようだ。

 騎士の一部が弓矢をかまえ狙い撃つものの、より高く逃げられてしまう。

「ここからでは、全部は狙えないか」

 イドラが杖の先を遺跡の建物にかからない方へ向けた。空中の妖魔めがけて炎の矢の雨を吹き付ける。それで半分は消滅した。

「もう少し近づこうか」

 妖魔を真上にすれば、遺跡を壊すことを恐れることなく魔法が使えるわけだ。乱戦のさなかへ歩き出す。

 が、すぐ止まる。

「どうしたのさ?」

 一瞬彼の背中にぶつかりかけ、抗議の声を上げる。

 魔術師は気にせず、懐からなにかを取り出す。あの白い宝珠だ。どうやらそれを役立てることを思いついたらしい。

「これを使ってみてもいいかもしれないな」

 ――あの三人、ちゃんと言うことを聞いてくれるだろうか。空気を読んでくれるといいけどなあ。

 そんな心配をしている間に光が宝珠の周囲へ放たれる。

 そして現われるのは見覚えのある姿。

「はあっ? なに、戦場!」

「妖魔の気配よ!」

 三人の少女たちは突然目にした戦場に驚きはするものの、すぐに状況は把握したらしい。それぞれに槍や懐から取り出したナイフをかまえ、本を開く。

「ご主人、アタイら〈青砂の白宝珠〉の精霊は持ち主の指示に従うよ。呼び出した目的を教えてくれ」

 ミクモ、とか言ったか。一番大人びた黒目黒髪の少女が早口で指示を仰ぐ。時間がないのは理解しているらしい。

「妖魔を駆逐しろ。ただし、建物や騎士たちに傷はつけるなよ。ここは保存すべき遺跡らしいし、騎士団は味方だ」

 妖魔を討伐するのはいいけど、そうだ、遺跡を壊されないとは限らない。イドラの不足のない説明はきちんと伝わったようだ。

「御意!」

「了解しました」

「承知したよ」

 それぞれに応じて宙へ舞う。精霊、というだけに皆飛べるらしい。僕はまだ高くは飛べないため、少しうらやましい。

「アジーラ、あの小さいの頼んだよ!」

「お任せを!」

 アジーラと呼ばれた眼鏡の少女は、手にした本を開いて大型コウモリに似た妖魔の群れに向ける。

 ザザザザッ!

 青白くきらめく氷の矢の雨が、本の中から具現化したかのように吹きつけて空中に影の塊のように群れていた一団を消し飛ばす。その間にミクモは建物から出てきた新手の連中にナイフを投げつけ、サティは地上の騎士らに混じるように戦う。

「ありがたい。もう敵も少ない。気を抜くな!」

 王女が自ら妖魔を斬り捨てながら叫ぶ。

 精霊たちの助力にさらに勇気づけられたようで、騎士たちはさらに一気に相手を追い詰めていく。

 相手は人とは違う妖力を持った厄介な生物ではあるものの、力を合わせるとか統率された動きなんてものはない敵だ。気がつけば、辺りから異質な姿は見かけなくなっていた。

「これで最後だ」

 上空、ミクモの放つナイフが大きな目玉に突き立ち、この戦場の妖魔は消えた。一瞬、辺りは静けさに包まれる。

「任務完了」

 少女たちの声だけが響き、その姿は光となって散る。持ち主の指令を果たすと宝珠に還る仕組みになっているみたい。とりあえず、きちんと指示通りに動いて任務を完遂することはできるみたいだ。

 直後。

 一瞬確かめるような静寂の後、戦いの終わった戦場にさまざまな声の重なりが広がる。安堵の声、勝利の叫び、喜びのざわめき。

「皆、良くやった! 我々の勝利だ!」

 王女も馬の脚を止め、そう宣言する。

 勝利を分かち合い、騎士たちは怪我人の手当てへと移ろうとしている。

 コン、と乾いた小さな音が聞こえて、僕はとなりを見た。

 イドラの前の地面にあの白い宝珠が落ち、転がっていく。彼の手からそれがこぼれ落ちたということらしい。

 なぜ。

 と思っていると、彼は石畳に膝をつく。

「イドラ……?」

 なにか異変が起こっている。絶対に。

 イドラは顔を上げ、転がった宝珠を拾ってそれをじっと眺める。その頬には汗が流れ、唇は紫に近い色。

「だ、大丈夫……?」

「ああ……ただ、この宝珠」

 宝珠を懐に戻すと、杖を頼りにするようにして立ち上がる。

「やけに大量の魔力を吸入する、と思っていたが違うらしい。どうやら、魔力以上に生命力を吸われるようだ」

「生命力?」

 驚いた。それじゃ、使い続けると命が危ういんじゃないだろうか。

「どうしてこういう仕様なのか……これでは使い勝手が悪くて仕方がないと思うが、こうすべき理由がなにかあるのか?」

 顔色の悪いまま、彼はいつも通り目の前の未知の存在に好奇心を掻き立てられてしまったらしい。

「イドラ、今は休むのを優先した方がいいと思うよ?」

 僕の指摘に彼は一瞬止まり、さすがに納得した様子。

「このままじゃ考えもまとまらないからな……先に馬車に戻っていよう」

 見たところ、魔法でないと治療できないくらいの大怪我を負った騎士などもいないようだ。皆、応急処置で済む範囲。でも人数はそれなりにいるので少々時間がかかりそう。

 それを背後に坂道を登るが、イドラは高速移動の魔法で丘の上までを短縮した。生命力を吸われた状態では歩いて登るのも骨が折れるんだろう。

 ――それにしても、確かにおかしな話だなあ。

 あまり難しいことはわからないし、魔法の道具についてもまったく詳しくはないけれど、異常なことなのはわかる。初めてあの三人娘を召喚する前にイドラは言っていた。ああいった魔法具は普通は使い手に害が及ばないようになっているはず。

 なのに、使い手の生命力を吸い取るってどういうことなのか。魔力も大量に使うみたいだけれど、それだけ強力な力を秘めてるってこと?

「わたしは寝ているから、トーイ、誰か来たら適当に受け流しておいてくれ」

「わかった、おやすみ」

 馬車の内部につくと、イドラは鞄から出した毛布に包まって眠り始める。

 受け流すというか、そのまま疲れてるみたいだから、と伝えることにした。実際王女が様子見に来たけれど、無理に起こそうとはしなかったし。

 怪我人の手当てや退治洩れがないことが確認されると、隊列が再構成されて一団は丘の上を離れ移動する。目ざすのはマデルホーンではなく王都ゼスクリアだ。

 途中の村で小休憩を挟みつつ進んで三刻くらい。石の壁に囲まれた大きな都市が石畳の道の向こうに見えてくる。

 それくらいになってようやくイドラは目覚める。

「そろそろ到着か」

「着いたら祝勝会をやるとかいう話だったけど、ご馳走が食べられるんじゃないかな」

 もう昼食時は過ぎている。騎士たちは途中の村で簡単な携帯食を口にしていたようだ。

「あまりパーティーのようなものに出る気分じゃないんだが……食事は必要だろうけれども、重くないものがいい」

 普段なら王都の名物でも見繕うところだろうけれど、まだ本調子ではないみたい。

 そのうち、一団は門をくぐり大きな通りを進む。

 出入口の布を少しずらして外を覗くと、白い石造りの建物や木造の家々が並ぶ綺麗な街並みに、沿道に並んで笑顔で歓声を上げ手を振る人々。老若男女さまざまな身なりの大勢の人々が王女騎士団の凱旋を喜んでいる。

 普通はできない体験の中にいることは嬉しいけれど、なんだかとっても場違いな気分。都の人々も、高名な魔術師はともかく、妖精竜が騎士団の馬車の中にいるなんて予想できないだろうな。

 市街地を抜けて王宮への門をくぐると周りは静かになる。一団は騎士たちも拠点とする兵舎や厩舎のある広場で動きを止め、王女の指示で解散する。怪我人は医務室へ、馬は厩舎へ、無事な騎士らは一旦それぞれの部屋へ。

 そのさまを離れて眺めていた僕らのもとへ、王女が駆け寄る。

「イドラどの、体調の方は大丈夫ですか?」

 言ってることはまともだけど、一気に間近まで距離を詰められてイドラは少し身を引く。その動きはいつもよりやや鈍い。

「少し疲れているだけだ。できれば、祝勝会とやらは遠慮したいところなんだが」

「わかりました、部屋を用意しましょう。そこに食事も運ばせます。どうぞ、なんなりと言ってください」

 少し困り気味の魔術師を、シェリカ王女は目を輝かせて見つめる。どういう類の輝きかはわからないけれど、たぶん、憧れの色だろうか。そう言えば、口調もなんだか変わっているような。

「王宮図書館への案内は夕食後になると思うが、いいでしょうか。よろしければ、夕食は一緒にいかがですか」

「……あいにく、食事は一人の方が落ち着くんだ」

「そうですか、それは残念。イドラどのには本当に助けられた。わらわの力が及ぶことならいかなる礼もしましょう」

 幸いと言うべきなのか、王女は無理には誘おうとしなかった。彼女が去るとイドラはあからさまに安堵の溜め息を吐く。

「もっと愛想良くした方が得があるかもよ」

 僕がちょっとおもしろくなって言うと、

「王宮図書館さえ利用できればいい。他は間に合ってるだろう」

 彼は面倒臭そうに応じる。確かに、お金に困ってる訳でもないから他のなにをもらっても手に入らないものにはならないか。

 王女に指示を受けた使用人の一人が迎えに来て、僕らを王宮の西宮にある部屋へ案内した。

 王宮に入るのは初めてだけれど、思ったよりキンキラな感じじゃない。緑の絨毯、壁の燭台や絵画、模様の彫り込まれたドアや白い天井も、どれも質は良さそうだけれども。

 見た目の豪華さよりは、居心地を重視してるのかな。

「こちらです。すぐにお食事をお持ちしますので、どうぞごゆっくり」

 育ちの良さそうな青年の使用人を見送り、部屋へ入る。

 木目のテーブルに大きめのソファー、ベッドに棚に暖炉。窓は大きくて明るい。飾り気は必要最低限だけどベッドもソファーもフカフカそうだし清潔そう。

「なんだか、王宮というより高級宿みたいだね」

 というのが素直な感想。

「ここの王家は実用重視らしいな。昔は金使いの荒い王が生まれて反乱が起きたこともあるらしいが」

 イドラは鞄をサイドテーブルに置きベッドに座る。その感触には彼も満足したらしい。またすぐに寝たそうにするが、ドアがノックされ、あの使用人のお兄さんが食事を運んでくる。

 木製のカートに載せられているのは数種類のパンと果実、ビーフシチュー、鶏の燻製、チーズと葉野菜のサラダ、川魚のムニエル、この辺りの名物の豆の甘露煮。それとお酒を含む飲み物。

「とても食べ切れる量ではないな」

「わたしはドアの外におりますので、呼んでいただければお下げします。もし長期保存できそうな料理をお持ちになりたければ、遠慮なくどうぞ」

 カートには保存向きの滑らかな植物製の袋もいくつか用意されていた。至れり尽くせり、という感じだ。

「それにしても量は多過ぎるけどな」

 お兄さんが去ると、イドラは先にパンや果物、鶏の燻製を保存袋に入れて旅の食料にすることにしたらしい。彼はまったく旅費には困っていないけれど、できる限り無駄というものを出さない主義のようだ。

「ちょっともったいないね……あのマデルホーンの生け贄の子の食事事情とは大きな差があるな」

 思わず昨日のあの少女のことを思い出してしまう。

「ここで質素な生活をしたところで、貧富の差が埋まるわけではないからな。これでも必要をかなり超えるほど豪華とは言えないし」

 料理をテーブルに移動し、イドラはビーフシチューをスプーンですくって口にする。満足できる味だったようだ。

 王族も贅沢はしてないし、王女を見る限り仕事はしっかりしているし、経済というのは難しいものだ。

「慈善活動をしているわけじゃないんだから、行く先々で会うものの経済事情なんて気にしていられないぞ。その者の人生を背負うのはその者だけだ」

「でも、僕はご飯にありつけないなんて経験したことがないから気になっちゃうんだよねえ。キミはあるの?」

 飢えを経験したことがない。それはきっと、幸せなことなんだろうな。

 漆黒の魔術師はサラダを味わいつつ、一拍の間だけ考えたようだ。

 そして首を振る。

「ないな。金がなくても食料は自分で調達して魔法で料理できるし」

「ということは、旅に出る前から魔法は使えてたんだね。そりゃまあ、才能ある魔術師はそういうものか……魔法を習うのにお金がかかることはあるそうだけど」

「わたしの時代は魔法学校のようなものはなかったし、わたしが生まれ育った村は山奥にいる魔術師とその血を継ぐ者しかいないようなところだったから、魔法の扱いを学ぶのに金はかからないが」

 それは、かなり特殊な環境では。

「優秀な魔術師を誰かが集めた村……?」

「いや、最初は隠居してのんびり過ごしたい老魔術師や、世俗のゴタゴタに嫌気がさした者、無実の罪を着せられ逃げてきた者が集まって村になっていったらしいけれども……もう、とうの昔に消えて無くなっている村だ」

 悠久に近い年月を過ごしてきた彼は、故郷も家族も歴史の彼方に置き去りにしてきた可能性が高い。こうして目の前で動いている姿を見ていると信じられない気はするけれど。

 僕だって、人間より何倍も生きているけど、妖精竜を良く知らない人間からは信じてもらえないからなあ。

「その村の魔術師にイドラくらい長生きな人はいなかったんだね」

「いたかもしれないが聞かないな。魔力が強いほど長生きというわけでもなくて……高名で長命な魔術師にも『生きるのに飽きた』と、突然入寂する者もいる」

 長命でも病気や事故、負傷から逃げられない。もちろん強力な魔術師ほどそれを防ぐ手段も持っているけれど。

 そうでなくても、自ら生きることをやめてしまう魔術師――そうだ、聞いたことがあるぞ。確か、十年くらい前に〈四海の賢者〉とか呼ばれていた有名な魔術師が自らの生を終わらせることを選んだ、と話題になっていたような。そういう人たちはわざわざ自分の手で命を絶つ訳ではなくて、若さを維持することを止めると普通の人間と同じように老化していく。

「わたしほど長生きしたいと考える魔術師は少ないということだ。わたしの感覚からすればとてももったいない話だが」

「好奇心って生きるために重要なんだね」

「トーイもわかってきたじゃないか。この世はまだまだ未知のものにあふれてるんだ。それを知るにはまだまだ時間が足りない」

 なぜか、彼は満足げに笑っていた。

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