第5話 古からの住人
それから、町の広場にある時計塔の時計の短針が三巡りくらいした後。
僕はイドラと、中心から少し外れたところにある屋外のテーブル席にいた。すぐ脇には小さなカフェがある。狭くてカウンター席三つしかない店内なので、大半が屋外席になっているらしい。屋内に二人、別のお客さんが見えた。知る人ぞ知る、という感じのお店みたい。
「ここは当たりだな」
イドラはハーブティーと一緒に注文したチーズケーキを口にしてご満悦である。
「これは、かつて大陸中にチーズの作り方を伝導して回った甲斐があったというものだ」
「……え。どういうこと?」
なにか聞き捨てならないことばを聞いた気がしてきき返す。
「大昔の話だぞ」
彼が説明するには、それはまだ料理の種類も多くない時代。
旅の途中、とある村の目前で行く手を塞いでいた大きなイノシシを狩ったイドラは、その村の人々の歓迎を受ける。どうやら、そのイノシシは畑を荒らしまわっていて皆困り果てていたらしい。
「あのぼたん鍋もなかなか……ではなくて、そこでチーズというものを初めて食べたんだ」
その村でもここ数年で作り方が安定したという、今の物よりかなり癖の強い味の塊は、それでも大魔術師のお気に入りになり、彼は村の農民たちに作り方を伝え歩いていいかと許可を得た。
そうして大陸の方々、ときには海を渡った先にもその製法を伝えたという。
「そんな話、イドラの伝説にあったっけ……?」
漆黒の魔術師、チーズの伝道師だった。という内容の文章は読んだ記憶がない。
「よほど詳細な伝承にはあった気はするが、わたしは自分に関する伝承など気にしないな」
確かにそんな気はする。〈魔王の化身〉や〈邪神の黒幕〉のような異名も嫌がっている風ではないし……いや、それは実態に合っているからかもしれないけど。
「情報というのは伝い手の意志や時代背景でいくらでも歪められ、塞き止められ、捏造されるものだ」
それで、現在この町で起きていることに関しての情報はというと、そんなに新情報はなかった。
町の北にあるマーゴット湖はマーダ川が流れ込んでできた湖で古くからあり、龍らしい影も昔から目撃されていたという。龍神が住人たちに攻撃的になったのは、湖での漁が盛んになってからだ。
それとは別の方面の話も流れていた。
女王騎士団の斥候が目的地の古戦場へ偵察に向かったところ、想定以上に妖魔の数が多く戦力に余裕がないため、腕のいい傭兵を探しているとか。それに、斥候の中にいた魔法の使い手が感知したところ、遺跡の建物の中には強い魔力も感じられたらしい。
――遅かれ早かれ、こちらに話が来そうだな。
今はテーブルに立てかけられている杖に目をやる。こうしている今も、魔杖カールニフェックスは全方位に場所を知らせるような魔力を放ち続けている。斥候に魔法の使い手がいたっていうならこの杖の魔力だって感知できるはず。
「龍神が攻撃してくる、っていうのは有り得ると思う?」
僕は気になっていたことを質問した。
彼が言っていたように龍は精霊の一種で、確か水の精霊の仲間のはず。自然の中の生き物が長年日光と月光を浴びて魔力を蓄積させたり強い魔力を浴びると、精霊や聖獣と呼ばれるものになったりする。〈霊化〉する、と言ったかな。
蓄積された魔力が邪気を帯びていたりすると、〈妖化〉して妖魔や妖獣になるとか。
精霊は妖精竜にも近くて、普通は血肉を食べたりはしない。
「人に危害を加えたという話はないようだし、それは可能性が低いな。まあ、攻撃されたら普通に退治するだけの話だが」
「そうだろうけど……人間の生け贄なんてどうするんだろ?」
――今朝、イドラは興味本位か、泊っている宿の主人に儀式の生け贄についてどう思うのかをきいていた。
「改めて考えると痛ましいけれど、普段はあまり考えませんねえ……儀式については役所で取り仕切っているし、生け贄もいつの間にか募集されて、いつの間にか決まってるという感じだから」
うーん、そういうものなのか。
僕がなんとなくで受け止めている横で、イドラは質問を重ねた。
「生け贄のことが町の住民の間で話題になることもないような感じか?」
「たまに、知人の知人くらいの間で話しているときに、『どこの誰々さんの親戚が生け贄に応募したみたいだよ』とか……それくらいを耳に挟んだことはある、というくらいです」
この話をする間、宿の主人は少し居心地が悪そうに見えた。この町の人々にとっては、できるだけ触れたくない話題なのかもしれない。
でも、いくら目を逸らそうとしても現実に人間が生け贄として毎年龍神に捧げられ、町から姿を消しているわけだ。
僕と同じ疑問をイドラも抱いている。
「それがおかしいな……町に戻ってくるような話はないし、話し相手にでもしているなら目撃者がいても良さそうなものだ。昔は、生け贄にした人間は泉や湖に沈めたり燃やすような地域もあったが、湖から人の痕跡も見つかってはいないようだ」
古い宗教では水の神に届けるため沈めたとか、天に届けるために燃やして煙にさせ昇らせるとか……今でも、世界全体で見れば、少なくとも動物ではそれなりに行われてるんじゃないかな。
さすがに人間では、相当昔の神話伝承でないと見かけない。
「姿を変えさせているとか、どこかに隠しているとか色々と考えられはするが……まあ、本人にきけばわかることだ」
チーズケーキの最後の一切れを口にして、カップの中の残りを飲む。
そしてイドラが振り向いた通りの奥の方では、騎士らしい数人の鎧姿が並んでどこかへと歩いていくところだった。あの中には魔力を感知できるような人員はいないのか、こちらには気がついていないみたい。
どうやら、今日のところは向こうの誘いはないらしかった。
昨日とは打って変わり、空は白い雲に覆われている。普通なら高く見えるはずの太陽の光もかなり遮られており、湖上にも霧がかかっていて、いかにもなにか出現しそうな雰囲気。
その空気に怯えたように、僕らの前を通過していった者たちの表情は強張っていた。全員若い男で、飾りのない白い服を身に着けている。
湖へ続く道の脇の草むらで、僕とイドラは魔法で姿を消している。近くを歩いた彼らにも、こちらに気がついた様子はない。
人が何人かは入れるくらいの大きさの、大きな棺にも似た白っぽい木箱を男十人がかりで運んで、湖の少し湖側に出っ張ったところに下ろす。すると、頭に植物の冠をつけて法衣を着た、司祭らしい格好をした男が箱より前へと進み出た。
「龍神よ、どうかこの供物にてお怒りをお鎮めください」
大声を響かせ、両手でなにやら印を結んでから一礼して、植物の葉と茎で組んだ棒のようなものを湖に投げ込む。龍神への合図だろうか。
その間頭を垂れていた男たちは、司祭が歩き始めると並んでついていく。供物を運ぶという役目を終え、帰路についたようだ。来たときに比べると表情の固さはほぐれ、ほっとしたような色が見て取れた。
彼らはまた僕らの前を通り、街へ姿を消す。
見送ってからしばらく待ってみたものの戻ってくる気配はない。もう大丈夫だろう。
「先に箱を確かめる?」
一応声をひそめる。誰もそれを聞き咎めた気配はない。
「あまり待たせるのもなんだし、とりあえず開けることは開けるか」
僕もイドラも、箱の中に動くものの気配を感じている。
箱に近づいて留め金を外すと、イドラはなんのためらいもなく蓋を開けた。
袋に入った金貨や宝石。器に盛られたサラダ、ミートパイ、鶏の丸焼き、木の実の詰め合わせ、数種類のパン、それに隅を飾るような花と果物。
それらに囲まれるように膝を抱えうずくまっていたのは、十歳くらいの黒髪の少女。
「わあ、開いた。龍神さま……?」
急な明るさに驚いて顔を上げた少女は、大きな目を僕の方に向けていた。
「違うよ、僕は旅の妖精竜だ」
「わたしは旅の魔術師だ。キミは生け贄だな。どうして選ばれたんだ?」
まだ幼い少女だが、会話は充分成り立つ。イドラはいつも通り、なにより自分の好奇心を優先する。
「うちね、双子の弟が生まれたの。でも子ども三人も食べさせられないってお母さんがよく泣いてたから、あたしが生け贄になってお金もらうね、って言ってきたの」
はあ。この子は自分の運命を理解した上でそうしたんだろうか。
というか、両親はそれを了解したの? と思っていると。
「お母さん泣いてたけど、お父さんがケガして働けなくなってどうしようもないから、誰かが食べ物を用意できないとみんな死んじゃうんだ」
うーん……どうしようもない状況だったんだろうか。
僕は当然明日食べるものに困る、という立場になったことはないし、初対面の相手の家庭の問題に口を挟むこともないか。
「それでいいのか、小娘は。食われるかもしれないんだぞ」
魔術師の咎めるような声にも、少女は恐れることなく素直に返事をする。
「あたしもね、ずっとご飯食べれなくてこのままだとどうせ死んじゃうなって思ってたから。今はお腹いっぱいだし、こんないい服着させてもらったから、いいの」
嬉しそうに大きな袖を持ち上げて見せる。白い服は丈夫そうで清潔そうではあるけれど、飾り気はなく上等そうにも見えない。そして裾から見える手足はほとんど肉がついてなさそうなほど細い。
街の方やエストラメリアでたまに見かけていた同年代の女の子とは、あまりに印象が違い過ぎるな。細いだけでなく頬のこけた顔色も悪い。それでいて大きな目は歳相応に無邪気な光をたたえ、僕らのことを好奇心旺盛そうに見上げてくる。
「そうか。……客が来たようだ。その辺の料理でも食べてろ」
「いいの?」
問い返すものの、その目はキラキラ輝きながら鶏の丸焼きや果物を眺めている。やがて、果物のひとつに決めたようだ。
でも、彼女が食べるのを見届けはしない。イドラの目はもう湖の方を向いている。
湖上に漂う霧の向こうに大きな影が現われる。その形、あきらかに船などではない。そもそも今日は漁は中止だろうし。
やがて白い霧の向こうからどんどん濃くなって見えてくる龍の姿。青緑の鱗に覆われ、二本の角とナマズに似た髭を持つ、海蛇にも似た長い身体。目は青く理性的な光を映しているように見える。
攻撃されたり供物を勝手に開いたことに文句を言われたりするんじゃないか。そうでなくても、仰々しい前置きがあるかも、と覚悟していたのだけれど。
音もなく滑るようにして進み出て岸の近いところで動きを止めると、龍は大きな口をわずかに開く。
「随分と強大な魔力を拡散して近づく者がいると思ったら、やはりあなたか」
どうやら、イドラのことは知っていそうな口ぶり。
「……知り合い、という訳ではないよね」
「初対面だ。わたしの名前を知っているくらいだろう」
「名前だけ、ではないが」
龍はそう付け加える。
「漆黒の魔術師イドラは、かつて自分が気に入らない植物を一種類根絶やしにして、この湖の周りも少し騒がしくなったからな」
植物の一種を地上から絶滅させた。って、なんでまた。
質問を口に出す前に、目を逸らした当人が応じる。
「あの植物は少し歩くたびに裾にトゲが引っ掛かってきて邪魔なんだ。なくなってせいせいしたわ」
「人からするとそうかもしれないが、あれのせいで一部の虫や小動物の生態系は大きな影響を受けたぞ」
あきれたような声。
もしかしなくても、この龍神はイドラよりはまともな感覚を持っているかもしれない。でもそれなら、なぜ生け贄なんて要求するんだろう?
「小動物を気にするなら人間の子どもの命も気にしそうなものだが。なんのために生け贄など要求してるんだ?」
イドラも似たような印象を持ったらしい。
「人間など欲しくはないが。人間たちを追い払おうと要求の難易度を上げていったのだが、一向に立ち去る気配がない」
龍はあっさりとそう答える。
まあ、食べるために要求していたとは思ってなかったけれども。
「湖の歴史を調べている間に予想はついたが、人間たちより先にこの湖に棲んでいたんだな」
「ああ。最初は数人が生きる糧として湖の魚や海草を採る程度なので黙認していたが……それがいけなかった」
少しずつ湖で漁をする者は増え、〈マーゴット湖産〉と大々的に交易品として売り出されるようになったり、やがては湖上を巡る遊覧船が稼働するようになったり――とにかく、龍にとっては迷惑な話でしかないという。
「なら、今までの供物や生け贄は必要ないものだったんだな」
「ああ、生け贄には財宝を渡してここから北の空き家に向かわせた。何人かは今もそこで暮らしている」
空き家はもともと木こりの家だったが家主はとうに亡くなり、最初の生け贄がそこの孫だったとか。
生け贄は誰も命を落としてはいない。
それはなにより、だけど。わかったけどそれだけじゃあ解決しない。
イドラは腕を組んで考えている様子。
「べつに、人間たちを街ごと吹き飛ばすとか移動するとかしてもかまわないが、また戻ってくる可能性はあるし、龍もそこまで望んでいるわけではないだろう」
「儂は、今となっては静かに暮らせる棲み処があればそれでいいな」
龍はあきらめたような声を出す。さすがにこの湖を人間たちから取り上げるとなると大ごとになるので、そこは手放してもかまわないことにしたみたいだ。
「なら、マーダ川に支流を作って新しい湖でも作ろう」
この湖にこだわらないなら、それは一番の解決策に思えた。しかし、龍は少し納得いかないように頭を傾げる。
「それでは、現地の生態系がおかしくなるだろう」
このことばにイドラは肩をすくめる。
「わかったわかった。生態系には充分配慮する。この湖の一部をあちらの土と交換する形にすれば消える生物の数は抑えられるだろう。供物は対価としていただいていくぞ」
と振り返った木箱では、生け贄の少女が赤く丸い果物を大事そうに両手に掲げ、美味しそうに齧りついている。こちらの様子はちらちらと見ていた様子だけれど、それよりも果物の味に夢中らしい。
彼が気にしたのはそれよりも、袋のひとつの口からのぞく、色とりどりの宝石の方か。
「そうだ。もののついでにきくが、これがどこから来たものか知らないか?」
取り出したのは、あの白い宝珠。
精霊も人間より長く生きる。もしかしたら、なにか有力な情報を見聞きしたことがあるかもしれない。
宝珠がどういう効果をもたらすのか説明すると龍は興味深そうに聞いてはいたものの、回答としては首を振る。
「生憎、宝石や魔法具にも興味はない。しかし人間たちが話しているのを聞いたところによると、王宮図書館には魔法具に関わる書物も多くあり、世の鑑定士がどうにか入れる身分になろうと試行錯誤しているとな」
「王宮図書館か」
ゼリスター王国の王宮には大きな図書館がある、という話くらいは聞いたことがある気はする。
「王宮図書館なら、当然、王女も出入りできるよね」
イドラがなにを考えるか、今は僕にもわかる。
「王女なら、当然、入りたい者に許可も出せるだろう」
「騎士団がもう出発してないといいな」
「まだ傭兵を募集しているところだろう」
そう言ってまた振り返る。少女は果物をひとつ食べきり、満足そうに笑顔で指を舐めているところだ。
「おい、小娘。これとそこの食べ物を好きなだけ持て」
満足そうな顔をしていた少女はまた信じられないような素晴らしいことを聞いた風に目を見開いて、「いいの?」と問い返した。
「全部は持てないか。まあいい、わたしも送っていく。こんな宝石を持ち歩いて一人でいたら奪われそうだ」
「僕も、少しくらいなら荷物は運べるよ」
果物のいくらかくらいなら抱えていけるはず。
「それと……」
宝石の入った袋を持ち上げながら、イドラは龍を振り返った。
捧げ物のうちなにを持って行くかなにを残すか、少女は少しの間迷い、鳥の丸焼きとミートパイを持っていくことを選んだ。家族の腹が膨れるかどうかを考えたのかもしれない。
イドラは箱ごと浮かせて運ぶのを一度考えたみたいだけれど、目立たないところを行こうとするとなにかに引っ掛かる。あまり大がかりな魔法を使うまででもないと思ったか、彼は金貨を鞄に入れ、宝石とパンと木の実の袋を両手に抱えた。
「ほんとは、お花もお母さんに見せたかったな」
少女が言うと、大魔術師は肩をすくめる。
「小娘の棺に飾るつもりで用意された花だぞ……これくらいでいいだろ」
彼が箱の隅を一瞥すると、赤白黄色の花が蝶々かなにかのように空中を飛んで、少女の前髪の上に留まる。
「わあ、すごーい!」
「ほら、早く案内しろ。わたしはキミの家を知らないんだからな」
急かされても少女は踊るような足取りで、鼻歌交じりに歩いて行く。それをイドラ、果物を抱えた僕が追いかける。
街中には入らず、回り込むようにして林の中へ。その一角は何度か目にしていた、町外れの貧民街だ。貧民街でももう少し中心に近い側だと雑草や木々は刈られている。でも、ここのような端も端だと、林の中にそのまま家、と言っていいのかどうか。住居がある。
どうも、木々の間を歩くうちに見えてきた家は木と木の間の地面を掘り、木の枝に渡した縄にツギハギの布と木の葉を被せ、端を木の根に縛ったり石を上に置いて固定し屋根のようにしたものらしい。
大昔の人間は穴を掘ったような家に住んでいた、という話を思い出す。それだってもう少し手をかけて丈夫な物だった気がするけれど。
「あそこが、あたしの家!」
喜び駆け出そうとする彼女の前に、突如、その全長ほどある巨大な毛玉が出現した。
「あぅ?」
毛玉が彼女を受け止める。
「小娘、待て」
声をかけながらイドラ自身も立ち止まり、足もとに荷物を置いて脇に抱えた杖を握り直す。反応からして、毛玉は彼が召喚したものだろう。
――これは、荒っぽいことになるかな。
その予感の出どころ。僕の耳に、いくつかの人間のものらしい足音が届いている。
足音の主はすぐに木の間から現われた。男が三人。三角帽子を被った髭面の男と、いかにも力仕事担当ですという感じの体格のいい男が二人。体格のいい男の一方は、布に包まれた一抱えくらいの大きさのものを担いでいる。生き物の気配……人間の幼児くらいの大きさか。
「これはまた、そんな宝石の山は初めて見たよ。どこで手に入れた?」
三角帽子の男が猫なで声を出す。その目はわかりやすく宝石の山に釘付けだ。
「答える理由はないな。その布の中身を教えるなら考えなくはないが」
イドラの目は胡散臭そうに相手を見る。言っちゃあなんだが、外見の胡散臭さは負けてないけれども。
「布の中身か。それは、この近くで見つけた子どもだよ。身寄りもないそうだから、我々が教育してあげようとね」
「人買いか」
笑みを含んだ声に、対照的なつまらなそうな声。
「それは話が早い。見目麗しい魔術師に珍しい妖精竜が、宝石を持ってやって来るなんて、我々はついている。それで、その宝石はどこで?」
人身売買を商売にする闇の商人だろうか。僕らを商品にする気満々だ。
ふと気がつくと、少女は立ち尽くして落ち着きなく大男が担いだものを見ていた。この近くで捕まったなら、彼女の知り合いの可能性があるか。
「魔術師と知って向かってくるとは、おかしな連中だ」
イドラは溜め息交じりに言い、杖で軽く肩を叩く。
「おや、教えてくれないので?」
「そんな約束はしていない」
「つれないおかただ」
いつの間にか、男の手に長い鞭が取り出されていた。その鞭の長さでこの間合いなら充分届く。
「おおっ!」
気合いの声が地を這うように響く。
大男のひとりが身を低くして突進してきた。狙うは少女。
ヒュンッ!
同時に、弾力のある黒い鞭が鋭く風を切る音。
大男の突進に気を取られているうちに鞭で相手を絡めとる。この二人組の息の合った動きと言い、慣れた戦術なんだろう。
でも、突進した男の手も鞭もこちらには届かず、見えない壁に遮られている。
「なにかしたか?」
イドラのことばに、三角帽子の男は苦虫を噛み潰したような顔。悪あがきのようにもう一度鞭を振るうが、同じ結果を繰り返すだけ。
「芸のない連中だ」
大魔術師のそのことばを合図に、周囲の木の枝や蔦の先が蠢き始める。
見る間にそれは灰色の蛇に変わり、枝の付け根からその身を伸ばしながら、長く鋭い牙のある口を獲物めがけ開いた。
「ひぃぃぃぃっ!」
恐慌をきたしたか、それとも実力差を思い知ったか。三人は我先に逃げ出していく。あの布に包まれたものを置いて。
イドラの正体を知っていたら、最初の時点で逃げ出していそうな連中だ。そうじゃなくても実力不明の魔術師や妖精竜を見た上で襲ってくるなんて、ずいぶんと不用心というか無謀というか。
蛇はすぐに自然の一部に戻る。幻術だったのかな。
「生きてはいるらしいな」
地面に転がされた布を取り払うと、生け贄の少女より幼い少年。汚れた服を来て目は閉ざされているが、呼吸はしているらしい。
イドラは軽く少年の頬を叩く。乱暴だなあ。
「レム、だいじょぶ?」
やっぱり少女の知り合いか。少年は目覚めると驚きながらもうなずいた。
「じゃあ、家は近くか。ひとりで帰ることはできるか?」
「は、はい……」
見覚えのある少女の姿には少し安心したみたいだけれど、痩せた少年はさらに縮こまっている様子。
「そうか。荷物が多くてわずらわしい。これでも持って帰れ」
差し出したのは、とても彼ひとりで食べきれない大きなパンがひとつ。
「これも一個あげるね!」
目を白黒させる少年に、少女がさらにミートパイをひとつ差し出した。
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