第4話 宝珠の化身

 木洩れ日の中、朝露に濡れた色とりどりの花は余計に輝いて見えた。

 鼻を近づけると甘い蜜の香りが漂ってくる。そうやって匂いを楽しんでいるだけのようにはた目からは見えるだろう――いや、その側面もあることは否定しないけれど。

 僕のような妖精竜は自然の中にある魔力を生命力の源にしている。こうして香りと一緒に、草花の魔力も少しずつ分けてもらっているわけだ。故郷の山奥ほどじゃないけれど、自然の多いところを旅する今の暮らしは僕にとっても大変都合がいい。

 とはいえ、自然と触れる機会のない生活なんてどこかの牢屋にでも捕まるか、世界でも数少ない広大な石の都の中心部に暮らすことくらいかな。

 今いるのは郊外の草原にある、ポツンと生えた木の根もと。町に近いからか草原の草はそれほど伸び放題という様子ではないけど、周囲にあるのは僕と黒衣の魔術師の姿だけで、こちらを見咎める視線はない。とはいえ町からそれほど離れておらず、視界には木柵に囲まれた街並みと北に広がる湖が入っている。

 あれは、マデルホーンの町だ。エストラメリアにいると〈虹の勇士たち〉と遭遇する可能性があるため、早々に出発していた。

「……随分と交易が盛んらしいな」

 木の根もとで本をめくっていたイドラが顔を上げる。彼の左腕は、ここまでの旅の二日間のうちにすっかり元通りになっていた。

 その視線の先では、マデルホーンの門をくぐろうとしている商隊の馬車が並ぶ。

「ああ、あれかな。湖の龍神を鎮めるためにたくさん捧げものをするっていう」

 マデルホーンに入ってからというものの、僕らはもう散々その話を聞かされた。湖に龍神が棲んでおり、年々要求される供物が上等になっていって困っている。誰かが龍神を退治してくれると嬉しい、とかなんとか。

「こんなところに龍などいるか怪しいな。龍神といえば精霊の一種だが、金銀財宝など集めてどうするのか。姿をはっきり見た者はいないというし、盗賊かなにかが騙ってるんじゃないか」

 龍神じゃなくてドラゴンなら財宝を集める種類のものもいるらしいけれど、確かに彼の言う通りマユツバかも。

「それより交易商が当てにしているのは、軍隊の方かもしれないぞ」

「ああ……妖魔退治部隊、だっけ」

 それも、この町に来てから何度も聞いた話。

 東の古戦場に妖魔が大量発生したため、ゼリスター王国の王女騎士が騎士団を率いて遠征してきているとか。今は町の高級宿を貸し切って準備中らしい。

「王女騎士団が龍神を追い払えばすべて解決するんじゃ……」

 我ながら、考えなしな軽いことば。

 案の定、イドラは笑った。

「王国付きの軍隊は、そう簡単に独自の意志で動けないからな」

 言って、パタンと緑の表紙の本を閉じる。代わりに懐から取り出したのは白い宝珠。

 〈ナスコの洞窟〉で入手した用途不明の魔力を秘めた珠だ。少なくとも百年以上あそこにはあったらしい。エストラメリアに長居できるなら、魔法研究の盛んなあの町でもう少し調べられただろうけれど。

「魔法を使う補助になる魔力石の類ではないようだな。なにかが封じられているらしいが、中身はわからない」

 立ち上がって話しながら、イドラは開けた草原に進んでいく。

 きっと、中身を解放してみるつもりなのか。

「いきなり爆発するかもしれないよ」

 巻き込まれるのは勘弁だ。僕は彼から距離をとった。

 イドラはそれを呆れたように目を細めて見ていたが、宝珠を掲げて口を開く。

「防御結界で防げるが……これが自爆するような用途で使えるものなら、前の持ち主も使っていたんじゃないか」

 それは確かに。

 前の持ち主は邪神が残した沼に取り込まれて魔力を吸い上げられる苗床にさせられ、最終的に命尽きて溶岩に似た塊と化していた。そうなる前に使っていそうなものだ。使うだけの魔力がなかっただけかもしれないけれど、爆発するだけの効果ならそんなに強い魔力は必要ないだろうし。

「なら、むしろ近くにいる方が安心かな。うっかり防御結界を忘れないでね」

 と、大魔術師のそばに戻る。

「護符の効果で自然と守られるぞ……普通は、使い手に害が及ばないようになっているはずだけれども、妙に魔力の吸入力が強いな」

 一度右手にした宝珠を眼前に持ってきて目を細めるものの、すぐにまた頭上に掲げ、

「まあいい、知るには使ってみるが早い」

 そう言って魔力を込める。

 その瞬間。

 白が視界を染め、思わず僕は目を閉じた。

 顔を逸らしてから、恐る恐る目を開ける。まだチカチカしてるみたいで少しぼやけてはいるものの、草原の緑はちゃんと見える。

 イドラの方を向く。詳細はわからないけれど、周りに三つの新しいシルエットが現われていた。

 ――まさか、敵に囲まれたんじゃないよね?

 いや、焦ることはない。イドラの言う通り、魔法具で使い手が害を与えられることなんて普通はないはずだ。たぶん。仮に敵に囲まれたのだとしても、よほどのことがなければあしらえるだろうし。

「あなたが、今の〈導き手〉ね?」

 まったく記憶にない声が聞こえて、僕はとても驚いた。

 でも、それだけじゃない。目がはっきり見えるようになるともっと不思議なことに唖然とすらしてしまう。

 イドラの周りに、三人の少女たちが出現していた。宝珠に魔力をそそぐ前までは影も形もなかった姿が。

 最初に声を上げたのは、長い金髪を編んで白い鎧と円錐状の槍で武装した少女。

「あ、なにあれ妖精竜ですか? 可愛い!」

 こちらに気がついて眼鏡の奥の目を輝かせたのは、栗毛で水色のローブに身を包んだ小柄な娘。脇に厚い本を抱えている。

 さすがにイドラも驚いた様子だったが、疑念の表情で口を開きかける。しかし、それを三人目の少女のことばが遮る形になった。

「ちょっと、落ち着きなさいよアンタたち。まずは自己紹介でしょ。寝すぎてモーロクしてるんじゃないの」

「ミクモさんだってマスターのことばを遮りましたよ、今!」

「あたしが最初に声をかけたのよ。二人とも、静かにして」

 相手の声をかき消そうとするかのように大声を張り上げる三人の中心で、イドラは大きく息を吸った。

「黙れやかましい。こんなもの、とっとと封印して海の底にでも投げ込んでやるわ!」

 その勢いを目の前に、慌てて三人はイドラが宝珠を握る腕へつかみかかる。

「待って、あたしたちがいた方が色々できてオトクですよ!」

「まず、話を聞いてください!」

「サティ、動きを止めないと! 羽交い絞めにして」

 ミクモ、という名前らしいスリット入り黒のワンピース姿の黒目黒髪の大人びた少女の指示に呼応し、武装した少女が動き出そうとする。

「にゃっ!」

 しかし彼女は空中でなにかに弾かれる。僕の目には一瞬、青緑の光の糸で編み上げられたような魔法陣が空中に展開されて見えた。イドラの防御結界が張られたのだろう。

「戻れ」

 冷徹な声が宝珠に命じる。

 驚いたり溜め息を吐いたような表情のまま少女たちは光の塊と化して、黒衣の魔術師が掲げた手のひらの魔法具へ還っていった。

「まったく、ギャーギャーと騒がしい……」

 一瞬、宝珠を遠くへ投げようとするように振りかぶるものの、気を取り直して懐へと仕舞い込む。

 あの騒がしさにうんざりする気持ちはわかるけれど。

「良かったの、その珠やあの子たちについてきかなくて?」

「あ」

 と、彼はそれをすっかり忘れていた様子。

 相変わらず、そういうところがそそっかしい。

 彼は少し考え、溜め息と同時に首を振る。

「……また呼び出す気にはなれん。とりあえず、どういう類のものかはわかった。使い方を考えれば、確かに有用な場面もあるだろうな」

 いわゆる召喚術みたいに、必要なときに魔法具に封じてある精霊や魔獣などを解放して使役する、みたいな方法があるのは知ってる。日常生活や魔法研究の手伝いをしてもらったり、外敵を追い払ったり、お使いに行かせたり。ことばが通じるなど、知能が高くて高度な使い方ができるものを使役するほど使い手が払う代償も大きくなる。

 そういう類のものみたいだ。

「しかし、わたしには必要ない。これを誰がなんのために作ったのかは気になるが……まあいい、少し疲れた。昼寝でもするか」

 そりゃ、召喚術も使えるだろうし、そもそも使い魔に頼むようなことも自分でやった方が早い、ということも多いだろうな。

 彼は言うなり、その右手に小型の橙色のカンテラが現われる。それはいつも寝るときに使っているもので、ある程度以上の大きさの生物が周囲に近づくと警報が鳴る魔法が組み込まれている。

 時間は、お昼を過ぎたくらい。天気も良く暖かくて、丁度眠くなってくる頃でもある。

 いつまでになにかをしないと、という期限のない気ままな旅の道中だ。

「のんびりするのも悪くないね」

 木の根もとに戻って鞄を枕に寝転がるイドラの近くに、僕も転がる。周りの花と草の匂いに包まれているみたいで、心地いい。

 気がつけば、僕は夢の中に誘われている。

 緑豊かな林の中、誰かに追われて必死に逃げて……そうだ、両親や友人たちのいる妖精竜の群を離れて少し後、密猟者らしい男たちに追われたんだ。「珍しい妖精竜だ、高く売れる」とか言われて。

 しばらく逃げて、魔法で身を隠してやり過ごす。岩場の陰で男たちが去ったのを確認すると周りに霧が立ち込め、適当にさ迷った。人間なら不安になるところかもしれない。食事が必要ないので、僕のような妖精竜は外敵さえいなければいつまででもさ迷っていられる。

 ――確かこの後、小さな村の外れの牧場に出たんだっけ。

 そこで、十歳の少年に出会ってやがてその家族と付き合うようになり、牧場の馬小屋で居候して少年とその友人たちの成長を眺めながら、十数年ほど過ごした。このときすでに文献では知っていたけれど、思えば、ここで実際の人間との付き合い方や人間社会について学んだ気がする。

 子どもたちが独り立ちして引っ越ししていったりして、僕は旅立つことにした。もともと、世界を見て歩きたいと思って群を離れたのだし。

 商隊と一緒に旅をしたり、旅人にこっそりついていったりしながら、しばらく大陸を巡ったり小島に渡ったり……数年はそうしていたかな。

 あるとき、人里離れた森で魔獣に追いかけられ、そこでイドラと出会い。

 なんて夢の中で記憶を辿っているうちに、徐々に景色が薄れていく。

 どれくらいの時間眠っていたんだろうか。目が覚めると、聞き覚えのない大人の男性の声が耳に届いた。

「……明日の正午、湖の前へと捧げものをします」

 身なりのいい年配の男たちが三人。身を起こしたイドラの前に並んで話し込んでいる。

「龍神、というが姿は見ずに立ち去るんだろう?」

 イドラの懐疑的な声。

「儀式のときはそうですが、これまで湖で漁場を荒らされるという漁師たちが数名、海面から顔や尾を出しているのを目撃しています」

 これは少し想定外。

「ほう……幻術の可能性もあるが、それでも異質な相手には違いないな」

 予想が外れたことでイドラの好奇心が急上昇しているのが見える。

「ですから、イドラさまに追い払っていただければと。お礼はします。偉大な魔術師さまには大した金額ではないかもしれませんが」

 と、提示された額は半年くらい高級宿で町に滞在できるくらいのお金。

「悪くはないが……」

 ちょっと乗り気にも見える。金額が充分というのもあるだろうけれど、やっぱり好奇心を刺激されたのが大きいだろうな。

 それを男たちも感じたか、身をのり出してくる。

「お願いします! これで湖が安全に利用できるようになれば、今まで命を捧げてきた生け贄たちも少しは浮かばれます」

 生け贄。

 そのことばに。

 イドラは動きを止め、僕は一瞬、なんか聞き間違えたかな、と思った。

「生け贄と言ってもせいぜい家畜の類かと思っていたが……それは人間なのか?」

 怪訝そうな声。

「え、ええ」

 そりゃ、状況的にはありそうだったけど……今どきの旅先で人間の生け贄がささげられているような場所があるとは。

 こちらの変化を悟ったのか、相手側の勢いが削がれる。

「最初は罪人を捧げていましたが……近年は龍神が、若く無垢な少女でないと駄目だ、と注文を付けるようになったので、極力身寄りのない下層民の中から希望者を募り、それなりのお金と引き換えに決めています」

 その層の人々の間では、いわゆる〈口減らし〉を兼ねているのかな。

 この国では確か、何十年前かに奴隷制度が廃止されて職業差別を無くそうみたいな法律が整備されてきているはずだけれど、まだ貧富の差は激しいところは激しいんじゃないかな。この町でも、街の中心部に行くほど立派な家が多く、端に行くほど布と木を組み合わせただけみたいな家が見られたりする。

 イドラは一拍の間だけ考えるように沈黙して、

「ふうん……興が削がれた。他を当たれ」

 僕はもう予想していた通りの答えを返す。

 三人の男たちは少し慌てたようだ。

「し、しかしもう時間もありませんし……騎士団のかたにも断られてしまいました」

「イドラさまが解決してくだされば、我々も毎年の犠牲者を出さなくて済みます。どうか、お引き受けください!」

 彼らは言い募るが、もう黒衣の魔術師は顔を背け、うるさそうな表情。

「無駄だ。もっと早く対処しなかったことを悔やむんだな」

 それは確かに。

 本当に生け贄を悼むなら、もっと早く町外からも人を雇って対処していれば良かったのでは。龍神の力を強大に見ているのかもしれないけれど、べつに漁場を荒らされるだけの話のようだしなあ。

 取り付く島はもうない。男たちは肩を落として去っていく。

 その背中が見えなくなった後。

「それで、龍神は追い払うの? 明日の正午だそうだけど」

 まさか、このまま無視して去りはしないだろう。その話自体はこの大魔術師の興味を大いに引いていたようだし。

「話を聞いてからだな。生け贄になるような人間がどんなものかも見てみたくはあるし。ついでに捧げものとやらはいただいておこう」

 ふふふ、と彼は悪い笑みを洩らす。

 龍神への捧げものが置かれた後、それを丸ごと奪う。それじゃあ盗賊と大した変わらないけど、まあいい。

 僕はイドラのすることににほぼ干渉しない。もし捕まるようなことがあったら無関係な赤の他人のふりをしよう。捕まらないだろうけど。

「とりあえずのところ、龍神の情報でも集めるか」

 カンテラを虚空に消して立ち上がると、イドラは町へと歩き始めた。

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