第2話 死にたがりの女神
この直接頭の中に届くような声と言えば――心話だ。魔法で直接ことばを伝えてるんだ。よく見れば彼女の口の半分くらいは上唇と下唇が黒ずんで溶け合い、わずかも動かせそうもないし、そりゃそうか。
「今までの長い間には瘴気を防ぐ魔法を使える者の一人や二人、来ていそうなものだけども」
「ここまで結界を張り続けることのできた者も二人だけ来たことがあるが、一人は上から覗いて逃げ帰り、もう一人はここに飛び込もうとした瞬間、瘴気の濃さに耐え切れず結界維持のための魔力が尽きて墜落死したよ」
沼を顔をしかめて眺めながらのイドラの疑問に、彼女は明瞭に答える。
確かに、ここの瘴気の濃さは尋常じゃない。外へと漏れ出すのもすべてこの沼から発生してるんだろう。
「それで、キミはなんなんだ? おそらく、町の者が言っていた魔術師だの女神だの、邪神だのと言われている者なんだろうが」
相手は充分な思考力も持っているし、質問に答えられる能力もある。それがわかってか、イドラは単刀直入に尋ねる。
初対面の相手にはまずはこっちが名のらないのか、と思ったけれど、相手は気にしなかったらしい。
「邪神か。おあつらえ向きだな」
伝わる心話に苦笑がにじむ。
「わたしはメフェリ。町の者の言っていることは正しい。邪神が古代に仕掛けた罠のひとつが残っていると聞いて魔術師のふりをしてやってきた、下級神だ」
この大陸の者なら誰でも神話にある記述を知っている。
大昔、神々の中で地上を独占しようとする者たちとそれに反対する者たちが戦った。地上を独占しようとする者たちは邪神と呼ばれ、ほとんど追放されたり封印されたりした。
「それは、この沼をなんとかするために?」
町の人たちのことばが正しければ彼女は邪神のはず。でもさっきのことばといい、僕にはそうは思えなかった。
「邪神の残した害のあるものを排除するのも我々の仕事だ。しかし排除しようとしたものの力及ばず、このありさまだ」
へえ……と僕が納得する一方で、イドラは、ふうん、とやや疑うような声。
「普通の瘴気の沼に下級神を取り込む力があるか? それにキミはここへ入る前に、洞窟から感じられる魔力は弱くなっていると言っていたそうじゃないか」
そうだ。ほかの魔術師も魔力が弱くなっていたことは感知していたそう。なのになぜ。
メフェリは少しの間を置いて答える。
「そうか、そこまで記録されていたか……しかし、単純なことだ。わたしは自分の力を過信していたのだ。弱りつつある沼なら一人でもどうにかなると思ったのだが」
「信用できんな」
イドラの目に映る疑念は消えない。
「一人でも、などと今までのことばからして、邪神の罠を排除する下級神も多くいるのだろう。なのにこのように強力で特殊な沼を今まで見逃すか? 実際は、キミはこの沼がどういうものか知っているんだと思うね」
彼の指摘で、相手の表情が初めて動く。驚き、そして忌々しそうに。
「得体の知れぬ……と思っていたが、ただ者ではないようだ」
長年閉じ込められているからか、彼女は目の前の魔術師の正体を知らないのかあるいは思い至らない。ただ、杖の強烈な魔力といい、ただ者でないことは見抜けるようだ。
「その通り、ここへ来た下級神はわたしが初めてではない。犠牲になった者はほかにもいる。わたしはそれを知った上でここへ来た。しかし、沼の魔力が弱まっていたのも、こうして取り込まれたのも事実だ」
彼女はそう言うが、イドラはまだ納得してなさそう。見ての通り彼女は実際に取り込まれているし、好きで取り込まれたわけではないのは事実のはず。
なにがウソで、なにがホント?
ほかの魔術師たちも言っていたらしいけれど、沼の魔力が弱くなっていた、というのも確かなはず。あとは、町の人たちの話では。
「あなたがここへ来てから新月の夜に地震が起きるらしいけど」
そう尋ねると、相手は少し言いよどんだ。
「新月の夜には、少しだけこの沼の魔力が弱まる。だから、どうにか脱出しようとわずかばかりの抵抗を……」
それから彼女は目を閉じた。
「こうしてそなたたちと話しをしたのは間違いだった。久々に誰かと話せるなら、と思ってしまった。でも世の中には知らない方がいいことがある。わたしはこの沼をなんとかしようと来て取り込まれ、ここで死んでいくんだ。それだけは信じてくれ」
「そういう成り行きにはならないぞ」
魔術師のことばに反応したのか、それとも別のなにかが原因か。
メフェリははっと目を開けると、あまり顔も動かせない状態の中、精いっぱい上を向く。
「侵入者がもう一組……珍しい」
「町に雇われた勇士御一行だ。この洞窟の邪神を退治するんだと。取り込まれて死ぬ前に今日ここで退治されるかもな」
脅すような調子の魔術師に、女神は自嘲気味にも見える笑みを顔半分で作る。そこに驚きはなく、予想していた結末のひとつみたい。
「邪神として退治されるか。それもまた、おあつらえ向きだ。沼を長生きさせたのは確かにわたしの魔力だからな」
僕はイドラほど疑い深くも注意深くもない、というのもあるけれど、その表情に偽りや悪意は感じない。そもそも、もとは女神らしいし。
「この沼を人々のためになんとかしようとして、こうなったんだよね。邪神にされるのはひどくない?」
「そんなもんだよ」
冷めたような声でイドラが口を挟む。
「多くの人々はわかりやすい結果だけを判断して、原因や経過は見ない。もしくは、自分の利益になるかどうかだけを考える」
「わたしを滅ぼせば沼は魔力の供給源を失い、すぐに涸れる。それを利益とするのは人間たちなら当然。わたしは受け入れよう」
なんだか、女神さまは死にたがっているみたいだ。
「いや、死ぬのはここでなにがあったか話してからにしてくれ」
「話せぬ。言っただろう、知らない方がいいこともあると」
好奇心の塊で知りたいと思ったことは知らないと気が済まない魔術師と、話せないの一点張りの女神。これは平行線だ。
相手も簡単には折れない。イドラはなにか考え込む。心話と同じ系統の魔法には他人の記憶や感情を覗いたり読み取ることができるものもある。いざとなれば彼は魔法で目的を果たせるだろう。
でも、短い付き合いだけれどそれはあまりやりたがらない気がする。彼は理論で相手を納得させる方を重視する。魔法を使うなら、あくまで相手を納得させられなかったときの最終手段に使うかもしれないくらいで。
「とにかく……まずは邪魔者をどうにかしよう。有名な勇士だというのは嘘ではないらしい。真っ直ぐこちらに向かってきているな」
イドラがそう言うなら、あの四人というのはそれなりの使い手なんだろう。それでもかなり距離の差があるから、ここまで追いついてくるには時間がかかるはずだけども。
「どうにか……まさか、全滅させるつもりではないだろうな」
メフェリはそれを心配した。まあ、やってもおかしくはない。
「そんなことはしない。それじゃあ、また新しい討伐隊が来るだけのこと。そのための大義名分もより重くなるしな」
そう言って、魔術師は女神に背中を向ける。茶色の目は天井の穴を見上げた。
「さて……今のうちに、少々準備をしておかないと」
沼のある地下から上へ戻るとまず、イドラは杖に封印の札を貼る。
「大変遺憾ではあるが、これは確実にわたしの正体がバレるからな」
杖から魔力を感じなくなる。それを壁際の岩の裏に隠すと、少し離れたところの大きめの適当な岩を見つけて右の手のひらで触れる。
すると岩から一瞬にして杖が削り出され、ごろんと地面へ転がり出た。カールニフェックスの誇示していた魔力の気配はその杖に移る。勇士御一行が魔杖の気配を察知していた場合、急に気配が消えたら怪しまれそうだし。
「まあ、こんなものだろう」
そう言ってしゃがみ込み、両手で岩製の杖を拾い上げようとしたところで動きを止める。
「どうしたの?」
答が返るまで、迷うような一拍の間があった。
「お……重い」
どうやら、素材の重さまでは計算していなかったらしい。
「イドラは、結構そそっかしいところがあるね。それでよく何千年も無事に生きてこられたねえ。そのうち〈そそっか死〉しそう」
「……」
ばつが悪いのか、彼は無言で立ち上がって鍾乳石のひとつに当たりをつける。天井から床に柱のように固まった乳白色のそれに手を伸ばすと、表面から杖が浮き出してくる。その端が巻いた大きな氷柱にも似た形の杖を握り、感触を確かめた。今度は重過ぎたりはしないようだ。魔杖の魔力の気配もそちらに移動させられた。
「色が気に入らないが……仕方ない。こうすれば多少はそれらしくなるか」
と、黒澄んだ水晶玉のようなものを取り出した。魔術師が魔力を溜めたり出して使ったりする、魔石のひとつ。
それを杖の巻いた先端に浮かべると、確かに雰囲気が変わる。それから杖の本体にも模様を入れた。蝙蝠のような羽、不気味な目、髑髏――そこまでやると、だいぶ〈悪の魔術師の杖〉っぽい。
「これでいい。迎え撃つのはこの部屋しかないな。適当な開けた場所が洞窟内ではここだけだから」
「やることはわかったけど……それが終わったとして、あの女神は口を割るかな?」
死んでもかまわない、と思っている相手に口を割らせるのは難しい。無理矢理魔法などで話させなければ。
「かなり口が堅いな。今までの情報からでもいくつか推測できることはあるけども……」
「推測? なにを隠しているかわかるの?」
思わずそう問い詰める。
イドラほどではないにせよ、僕にも好奇心はある。隠されているものがあれば知りたくなるのが人情ってものだ。人じゃないけど。
相手は苦笑しながらも口を開く。
「全部が推測できるわけじゃないよ。……まずひとつ、彼女が触れずにおいたものがあそこにあるだろう」
あそこ、って沼の周辺だろうか。
「沼と……女神と、あの同化しかかっている柱くらいじゃ?」
「そうだ、あの柱の辺りだ。メフェリが来る前に沼を訪れた別の下級神がいて、沼は生きながらえていた。ということはメフェリが来たときに、その下級神はまだいたはずだ。放っておけば沼と一緒に消滅していただろうが」
ああ、と無意識に納得の声が出る。
メフェリは沼じゃなくて、その、先に沼と同化しかかっていた誰かと同化しているのか。あの溶けたどこかが別の神で――もう、人型すらしていなかったように見えるが。
「メフェリはその神を助けたかった?」
「同化せず助ける方法を取らなかった理由はわからないが、最終的にあのようにしたのだから、かなり親しい相手なんだろう」
家族、親友、恋人とか。
「でも、それは僕らに話せない内容ではないはずだよね」
死ぬことすらかまわないような精神状態で、知られるのが恥ずかしいから、みたいな理由にもならないだろうし。
「それだけでなく、そこから辿られるのを警戒しているのかもしれない」
イドラは懐から札を取り出した。木の皮を加工した、厚紙の代用品だ。
「知らない方がいいことがある、って言い方だったけど」
「例えば、話すと話した側や知った側、もしくは両方に不利なことがあるとか……聞くと取り込まれる、かもしれないな。ともかく、あの沼はただの邪神の罠のひとつではなさそうだ。命を引き換えにした呪いのような強い怨念を感じた」
僕は彼ほど魔力や気配に敏感じゃないけれど、考えてみれば、古代から今までずっと排除されず残ってたんだ。一筋縄じゃいかないに違いない。たぶん、メフェリやその前の下級神よりさらに以前にも、沼に同化させられていった神や人間の英雄なんかがいてもおかしくない。
「まあ、それも後だ。かなり近づいてきているね」
イドラは札に魔力を集中した指先でなにかを書きつけた。すると札の表面に赤く輝く紋様が浮かび上がる。
彼はそれをこちらに渡す。
「瘴気からの防御の護符だ。それを持ってどこか隅の方で姿を消してじっとしててくれ。なにがあってもこちらにかまわないように」
僕の三つだけ使える魔法の追跡魔法を除くもうひとつは、自分と触れているものの姿と気配を消すというもの。動くと魔法が解けてしまうので、隠れて不意討ちなんかには使えないけれど身を守るには有効だ。
「いいけど……なにがあっても、は本当になにがあってもだね?」
だって、そう念押しされるということはなにか僕がかまいそうな出来事が起きるかもしれない、っていうことじゃないか。
「ああ、天変地異があっても心配することはないよ」
イドラが強力な魔術師なのはもう、短い付き合いの中でもわかりきっている。彼は有名で、魔力ある者なら誰もがその名声に見合う力を持っていることを感知できるし、実際に力を発揮するところを目の前ですでに何度も見てきた。
それでも僕は少しだけ、彼のことばに不安になってしまった。
この洞窟のこの階層で最も深くて広い空間に、四人の侵入者が足を踏み入れる。
一人は銀の鎧と腰に吊るした直刀で武装した、金髪の剣士らしき青年。
もう一人は、要所を金属板で補強した茶色の皮鎧を着て、大きな戦斧を手にした黒目黒髪の巨漢。
三人目、右手に弓を握り、矢筒を背中に背負い、左手にはカンテラを持った身軽な女性。長い亜麻色の髪を頭上でひとつに束ねている。彼女は上が平たな岩を見つけるとそこにカンテラを置いた。
四人目は人間じゃなくて、妖精の一種らしい。猫に似た金色の目に、先のとがった耳、長い銀髪の整った顔立ち。それにローブとナナカマドの枝を彫りこんだ杖――魔術師の若者だ。
〈虹の勇士たち〉といったか。四人の目は一点に向いている。この広い空間の中央に。
「ほう。ここまで辿り着く人間どもがいるとはな」
イドラは鍾乳石の杖を右手に、迎え撃つようなかまえだ。
剣士が疑うような目を向ける。右手は腰に吊るす剣の柄を軽く握りながら。
「話に聞く邪神……ではないな。前にここへ訪れた魔術師は女だと聞いたが」
彼らも依頼主である町のお偉いさんたちの話を聞いてきたのだろう。
鋭い視線を受けても、黒衣の魔術師は不敵な笑みを崩さぬまま。
「女? あの女神か。百余年前に邪神の罠である沼を排除しようとやってきた、魔術師のふりをした下級神が確かに来たな。なかなかいい魔力量を吸収させてもらった。それに、お前たちもそこそこ見込みがありそうだ」
彼が見渡すと、後衛の二人の方は少し怯んだように首をすくめる。
「じゃあ、あの沼というのはお前が?」
「あれはもっと古いものだが、見つけたときには涸れかけていた。それをわたしが魔力を送り維持している。そうすると、こうして有力な魔力源がやってくるからな。すぐに分解して吸収してやろう」
――準備していたとはいえ、スラスラとよどみなく答えるものだ。
壁際で姿を消して大人しく眺めながら、僕は内心で感心していた。あれだけ長生きなら、どこかで演技の勉強をしていてもおかしくないかも。
「ってことは、お前を倒せば沼は消えるんだな」
巨漢が戦斧を担ぐようにかまえる。
誰も演技を疑うことはない。全員、一気に戦闘態勢。
不意討ちで矢が放たれるが、それは魔術師に至ることなく空中で炎上し消し炭になる。
「自らここへ来ておきながら、往生際の悪い連中だ」
イドラは杖を振り上げる。
すると、彼を囲むようにして六体の岩の人形が地面からせり出してくる。ある程度以上の魔術師がなにか作業をするときなどに召喚して従える、タローンと呼ばれる魔法の自動人形の一種。
「こんなモン、足止めにならねえよ」
巨漢が一撃で一体の岩製の胴体を薙ぎ払う。太い筋肉質な腕は見た目以上に鍛えられているらしい。
剣士の抜き放った剣にも魔術師から強化の魔法が飛ぶ。それから後衛の二人は後退して前衛の援護。有名な一団というだけにことばを交わさなくても統制が取れているし、かなり戦い慣れている、という印象だ。
前衛二人の攻撃、そして魔術師の攻撃魔法も加わり、岩人形は次々破壊されていく。
確かに時間稼ぎにもなっていないくらいだ。それでももちろん、イドラの顔に焦りの色はないが。
「少しはやるらしい。ならば、これはどうかな?」
杖の上の空間に、一瞬無数の光の粒が集まりそこから次に現われるのは、鋭い爪と蝙蝠のような翼を持つ小型竜。小型、といってもその大きさは人間とは数倍の差がある。巨漢と比較しても。
それにしても、杖を隠していたときから普通に撃退するのではないとわかっていたけれど、やはり彼はここで倒されるつもりらしい。普通に戦うとしたら、彼はこんな回りくどいことはしないし。
竜が炎を吐き、それを向こうの魔術師が魔法で防御結界を張って防ぐ。
巨体を前に四人の表情に緊張が走る。それでも、あちこちで怪物退治をしていたそうだから竜を相手にするのもたぶん初めてではない。矢と魔法の援護を受けながら、剣士と巨漢は左右に分かれて竜の脚を狙い動きを封じていく。
見届けるイドラの表情には焦りも見下すような色もなく、ただ時間が過ぎるのを待っているかのよう。その表情に気がつけば違和感を覚えてしまうかもしれないが、小型竜を相手にしている人間たちにはそんな余裕はなさそうだ。
でもやがて、竜が吐いた炎の息が妖精族の魔術師が張った結界に防がれ、鋭い目の片方には矢が突き立ち、グオアア、と声を上げる隙に前衛がそれぞれの得物の刃で首の鱗の隙間へと斬りつける。
ボシュッ、と蒸発するような音を立てて竜は消える。魔力の残滓か、キラキラと光の粒が舞い上がった。
「あれを倒すとは」
やや驚いたような、黒尽くめの魔術師の声。
「こちとら〈竜殺し〉(ドラゴンスレイヤー)なんて称号ももらってるんでね。大人しく降参するか、その首を差し出しな」
巨漢が遮るもののなくなった空間を駆け、敵へ肉薄する。
「誰が人間に首を垂れるか。それに、お前たちではわたしに傷ひとつつけられまい」
笑う魔術師のことば通り、巨漢は見えない壁に遮られたように途中で進めなくなる。
チッ、と舌打ちすると、彼は担いでいた戦斧を足もとに向けて振り下ろす。
岩場が砕けて破片が飛び散る。凄い馬鹿力だ。あの大きな戦斧もきっと量産の物ではないのだろう。
砕けた破片の一部はイドラに向かって石の矢のように飛ぶ。そのひとつが彼の左のこめかみを切り付け、ぱっと赤い血を散らした。彼が顔をしかめて睨む先、当然もっと間近で破片の雨を浴びた巨漢も手や顔を傷つけているが、その浅黒い顔には笑みが浮かんでいる。
イドラの注意が逸れた一瞬に、別方向から剣士が近づいていた。剣士は見えない壁に当たると、魔力を帯びた剣で壁を切り裂く。
見た目にはただ、宙で剣を振っただけだ。でもパリッと割れるような音がする。
次の瞬間から、場はめまぐるしく展開する。
巨漢が突進し、イドラがそれを魔法で発生させた爆風で弾き飛ばす。その隙に飛来した矢を杖で打ち払いながら身を引いて、剣士を迎えるように顔を向ける。
「小賢しい連中め……!」
追撃してくる銀色の鎧姿を睨む顔には、まさに悪の魔術師らしい憎々し気な表情が浮かんでいた。
「お前の企みはここまでだ!」
イドラは振り下ろされる剣を杖で受ける。しかしその杖はそういうことができるようにできていない。
乳白色の柄にひびが入り、仕方なく彼は杖を引き跳び退く。当然、すぐに追撃が来る。素早い踏み込みからの精一杯腕を伸ばした突きは避けきれない相手の首近くの肩を裂く。血飛沫が舞った。
『なにがあってもこちらにかまわないように』
そう言われた、そのことばの意味をはっきり実感する。イドラのことだから大丈夫だろう、たぶん――と思ってはいても、目の前で見慣れた姿が傷つきボロボロにされていくのは、どこか居ても立ってもいられないような気分になる。
そんな思いとは裏腹に、向こうの魔術師が放った光の矢を受けて彼は左腕を切り裂かれ血まみれにする。
その足もとも頼りなくなり、よろけて後ずさる。
「くっ……ここまでか。せめて、誰か一人でも道連れにしてやろう」
壊れかけの杖の先、魔石に魔力の光が集まっていく。
まさか、自爆するつもりでは。
そこに思い至ったのか、剣士が即座に突進する。
「そうはさせるか!」
ズンッ!
力を込めた斬撃と背後からの援護の魔法攻撃が重なった。
乳白色の石の破片が飛び散り、持ち主も大きく後ろへ弾き飛ばされた。その身体は地面に跳ねて何回転かした後、亀裂の穴へ。
引き裂かれたような黒い口の中に飲み込まれると、黒いローブの魔術師の姿は完全に見えなくなった。
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