第六章 後始末 その③
「真犯人(レモンちゃん)。アナタの野望は、ここで始末する」
毅然と、勇気を持ってレモンちゃんにそう宣言する。
『四分割の彼氏殺人事件』の犯人である、彼女に。
「あたしが真犯人? いやいや、あたしは恵梨香令お兄ちゃんを殺してなんていないよ。アレを殺したのは、恵梨香ねぇが突き止めたようにレモン令お兄ちゃんだよ? というかその事件名なに?ダサくない?夏休みの間に考えたのかな?」
私は後半の挑発には乗らず、努めて冷静に解説する。
「実行犯はレモンちゃんの言った通りレモン令でしょうね。けれど犯人をそそのかし、凶行に走らせた元凶はレモンちゃん、アナタです」
「……へぇ、ズバリ言うね恵梨香ねぇ。……何か証拠でもあるのかな?」
「ありません」
「ちょ……笑わせないでよ恵梨香ねぇ。あんな自信満々に宣言しておいて、証拠もないとかダサすぎない?」
「ダサくて結構。というかレモンちゃんが凄すぎるんですよ。ここまでのことをやってのけたくせに、証拠の一つも残さないとか。将来は悪女決定です」
「減らず口はいいよ。それより恵梨香ねぇは結局何がしたいの?推理劇?それともみっともない負け惜しみ?」
「私はただ……」
証拠も無しに、むざむざ私はここまでやって来た。
そしてレモンちゃんという『特別』の中の『特別』、完璧無敵天使のヒロインに愚かにも戦いを挑んだ。
『普通』である私が。
勝算は……少ない。
というかやっぱりこれはただの私の負け惜しみで、負け犬の遠吠えを吐き出したいだけかもしれない。
泥船で新大陸を目指すような夢の成れの果て。
だけどそれがどうした。
「私はいつだって令が残した『後始末』を請け負う。それだけです。どんな形でも」
例え幼馴染を解消しようとも……あの日交わした約束未満の『取り決め』は、この宇宙から消えてなくなってなどいないのだから。
「後始末……」
「というわけなので、レモンちゃんには悪いですが、どうか私の妄想を最後まで聞いていただきます」
「妄想? 推理じゃなくて?」
「これから私が語るのは推理なんて上等なものじゃありません。所詮ただの私の妄想。現実にはなんの力もない、哀れで滑稽なただの……茶番ですよ」
「茶番、か。曲がりなりにも家族ぐるみで付き合ってきた人間を犯人扱いするとか、随分悪趣味な茶番だね」
「茶番なんて、いつだって悪趣味ですよ。知っているでしょう?」
身体に懐かしい痺れが満ちる。体調は急激に悪化し、今すぐこの場に座り込みたい衝動に駆られます。
親しい間柄のニンゲンの罪を暴き立てる。
そんな悪趣味極まりない蛮行は、いくらやっても慣れるものではないのです。
けれど、膝を屈することはまだできない。
何故ならこれがたった一つ、私に残された意地だから。
「悪趣味、いいじゃないですか。元から私はレモンちゃんと違って性格が悪いですから。これぐらいで下がる好感度はもとから持ち合わせていませんので」
だから胸を張る。例え妄想として終わってしまうとしても。
だって私にとってはこここそが、運命の決戦場なのだから。
そんな私の
「……はぁ、いいよ。そんなに語りたいなら恵梨香ねぇの好きにしたら? どうせ何もかも手遅れなんだし。今更恵梨香ねぇの妄想を聞いた所で結末は変わらない」
手遅れ、ですか。
「だからずっとレモンちゃんは、そんなにツマラナイ顔をしているんですか?」
「……」
一瞬の沈黙を挟み、レモンちゃんはやっぱり微笑むだけなのでした。
けれどそれはいつもの天使の微笑みというより、とても人間臭い、親近感の湧くもので。
ああ、もしかしたら。
もっと早くに彼女からこの顔を引き出せていたならば、こんな結末には至らなかったのでしょうか。
けれど今は、
「────では、始めましょうか」
感傷も後悔も後回し。今は全力で走り切るだけ。
「後始末を」
それが私にできる最善で、今のレモンちゃんに叩きつける(贈る)べきものだと思うから。
「あの夏休みのはじめ、レモン令が犯人と解き明かした後のことです。私は一人、事件を改めて振り返ってみて、言い知れぬ違和感に気付きました」
「違和感って……さっき言ってた『
「それもあります。けどよくよく考えてみれば……あの事件にはおかしな点が他にいくつもありました。まず第一に、何故恵梨香令は殺されなければいけなかったのか。そもそもの話、レモン令の動機で恵梨香令を殺すのは非常に不可解なんです。複数の女を抱きたいから秘密裏に入れ替わりたい、そんなくだらない提案。言い換えれば一種の笑い話ととられかねない提案を断られたくらいで、何故レモン令は恵梨香令を殺したのか。そこがまずおかしかった。だってレモン令にとって、恵梨香令は決して殺したいほどの憎き対象ではないからです」
「それはレモン令お兄ちゃん本人が言ってたじゃん。ムカついてついその場で殺しちゃったって。突発的な殺人。現代社会でもよくある事故だよ、事故」
「事故……ですか。確かに私も最初はそう考えていました。辻褄をあわせるためだけに。けど、やっぱりおかしいんです」
「……どこが?」
「計画的殺人でなく事故ならば、どうしてハワイなんかに出掛けていたんですか? 入れ替わりの提案ぐらい、普段の日常ですればいい。なのにレモン令はご丁寧にハワイの旅行の途中にわざわざ『ワープ』を使ってまで自宅に戻ってから、入れ替わりの提案をした。そして断られて、その場でつい殺してしまった。……あまりにちぐはぐ。これなら最初から恵梨香令を殺すつもりだったと考えた方が筋は通る。けれど先程も言った通り、レモン令には計画的に殺すほどの動機がない。だからこの事件はおかしいんです。まるで何か別の思惑が隠されているかのように」
レモンちゃんは薄笑いを浮かべながら、目線で先を促します。
「私はこの夏休み中ずっと……考えました。一体私は何を間違えたのか、見落としているのか。何に気づいていないのか、と。だから考えて。考えて考えて、呆れるくらい考えて、そうして辿り着いたのが………………最低最悪な結論です。考えうる限り、これ以上なくクソッタレです」
そう、本当に終わっています。
色んな意味で。
もしこれが私の妄想でないのならば、よく目の前の彼女は未だに正気を保っていられると怖くさえあります。
いえ、彼女はとっくの昔に、それこそこの事件が起きる前に狂っていたのかもしれません。
誰にも知られず、ただ己の内だけで狂気を育て続けていたが故に、こんな結末になったのだ。
「レモンちゃん。私の妄想が正しければ、アナタが黒幕だと全ての辻褄が合ってしまうんです」
故にここまで言われても当の本人はどこ吹く風で、またいつものニコニコ顔で沈黙を貫く。
しかし天使の顔の裏側から漏れ出すように、早く続きを話せと無言の愉悦も感じ取れて。
「……何故レモンちゃんは恵梨香令を殺さなければいけなかったのか? どうして兄でもある令をそこまで殺したかったのか。……ここでとある仮説を私は提唱しましょう」
はじめこの仮説が浮かんだ時、そのあまりのおぞましさに私は自分で考えておきながら胃の中のものをすべてぶちまけました。
気付く為のヒントは目の前にあった。けどソレは、ヒトの輪からあまりにも外れすぎている。
殺人事件では常軌を逸する事態がよく発生するそうですが、この事件に関しては最早そんな次元じゃない。
どうしてここまで間違いに間違ってしまったのかと、本気で世界を呪いたくなります。
「────レモンちゃん、アナタは既に過去に一度、この『四分割の彼氏殺人事件』が起こる前に自らの手で本物のレモン令を殺害したことがあるのでは?」
これがまず一つの過ち。だが悲劇はこれで終わらない。
まだまだ転がり落ちる。
悲劇は止まるどころかさらに加速して加筆するのが世の
「そして殺害したレモン令の穴を埋める代わりに、私の彼氏である恵梨香令に頼んで秘密裏にもう一度分裂して増えてもらった。そうして増えた恵梨香令の片方に魔法で記憶の改竄を行い、自らをレモンちゃんの彼氏であった、レモン令だと誤認させる。……そうして辻褄をあわせた。殺人そのものを無かったことにして、事件を有耶無耶にする。まさにインチキの極地」
これは夏休みのはじめ、あの事件の実行犯だったレモン令がやろうとしたことと同義、いえそれの完成版。レモン令は所詮付け焼き刃のその場の勢い。
ですがレモンちゃんが成し遂げたのは狡猾にして隙がない。
レモンちゃんはレモン令と違って事件が周りに発覚する前にことを進め、記憶の改竄までして
まさしく完全犯罪。
罪を認めるどころか、罪をまた新たな大罪で塗りつぶし無かったことにする。
………………これだから魔法は嫌いです。
簡単に人の理を外れることへの狂気を誘発するから。
亡くなったから新しいのを用意する。
人権も倫理もすべて彼方へと追いやり、自らの欲を探求するヒトの業の極点。
────そしてヒトの欲故に、その芽は誰の心にも宿っている。
勿論、私にも。
これこそが、私に幼馴染を解消するに至らせた決定的な理由。
死んだ彼氏の代わりに、生きている鬼島令にもう一度増えてもらって新しい彼氏を造る。
そんな甘い
じゃないと私はその誘惑に負けていたかもしれないから。
ヒトを寸分たがわず完璧に分割して増やすという方法は、まさしく狂気にして究極の麻薬だ。
世界の理から逸脱した外法。
でもそれだけに魅力的で抗いがたい。
使えば使うほど耐性ができる麻薬と一緒です。
外法を多用すればするほど判断は鈍り、価値観が変貌し、最後には全てが無価値へと堕落する。
それを証明するように……狂気に飲まれたであろう彼女はより醜悪な道へ突き進んだ。
「こうして完全犯罪を成し遂げたレモンちゃんですが、しかしレモンちゃんは不安に思ったのではないでしょうか。この完全犯罪の唯一の弱点。いつか協力者である恵梨香令が秘密を暴露するのではないのかと。だから自らが作り上げた
狂気と外法の最果て。
醜悪で肥溜めのような
「あの夏のはじめに起きた事件は……レモンちゃんが全て裏で糸を引いていたのです」
身の毛がよだつ……なんて言葉では生温い、おぞましい不快感に身体の温度が一気に氷点下を突破する。
それでも私は口を動かし続けなければならない。
「まずレモンちゃんは自らが殺したレモン令の代わりとして増やした
そうしてあの事件は起こった。あとは消化試合です。何故ならレモンちゃんの目的は大方果たされているのですから。自分の過去の罪を知る人物は自らの手を汚すことなく抹消済み。そして最後の念押しとして、今回の事件の直接的な関与さえ疑われもしないように自身のアリバイも作成済み。あとはレモン令がどうなろうが、どうでも良かった。レモン令が犯人とバレようが、バレなかろうが最早レモンちゃんには関係無い。自分の罪さえバレなければそれでいいのだから。それにレモン令が犯罪者とバレて断罪され幽閉され離れ離れになっても……また秘密裏に増やせばいいだけですからね。新しい自分好みの令を。自分の気が済むまで、何度も、何度も。
実際レモン令と新たに増えた偽令の二人は、レモンちゃんの提案で今は異世界にいるんでしたっけ? まぁ……察してあまりある、という感じですよね。素材の確保は万全。全てはレモンちゃんの計画通り。
さて、どうです? この私の妄想に何か訂正する箇所はありますか。レモンちゃん?」
事件の
一体彼女は、どんな反論をしてくるのか。
というか寧ろ、こんなのは全部やっぱり私の趣味の悪い妄想だと断罪して欲しいくらいで。
けれどそんな私のちっぽけな希望を、彼女は易々と握り潰す。
「すごーい、恵梨香ねぇ。よくそこまでわかったね。正直ここまで当たるとは思わなかったよ」
手を叩き、まるで子供が初めてお手伝いをしてくれたのを褒める母親のように、彼女は無邪気と慈愛に溢れる顔で破顔する。
「………………本当、なんですか? 全部、全部、レモンちゃん、アナタが……!」
「ん? う~ん、いや全部当たっているわけじゃないよ? 今の恵梨香ねぇの解答じゃ抜けてる所もあるし、何よりあの勘違いにも気付いてないし。だから精々及第点はあるかなってところ。でもまぁ愚図な恵梨香ねぇにしては本当に凄いよ。見直した。きっとこの夏休み中ずっと、うじうじと頑張って考えたんだよね。その無意味な努力に、あたし涙が止まらないよ」
勿論一切泣く気配を見せないレモンちゃんは、不気味なくらいケロッとしています。
ここが誰もいない夜の神社でなく、ただの喫茶店とかだったら、今までの話が全部映画の感想会で出た話題だと思いかねないほど。
「勘違い、ですか」
「そうそう。いや~まぁ所詮恵梨香ねぇだもんね、ここら辺が限界か。というか逆にアレに気づかずよくあたしが黒幕って気づいたもんだよ。逆に尊敬する」
「私は……まだ何か見落としているというのですか?」
未だにそんな重要なものを見落としているとは、正直考えたくはありませんが……。
「……教えてあげない。精々一生悩んどけばいいよ。ま、それもあと少しの余生だけど」
やっと彼女の纏う雰囲気に変化が訪れました。でもそれは決して好ましいものではなく。
「……私を殺すつもり、ですか」
曲がりなりにも虚飾されていた殺意のベールをはぐ、捕食者の目。
「う~ん、正直それは悩みどころなんだよね。殺すのは簡単だけど、恵梨香ねぇをそんなにすぐ楽にするのは癪に障るっていうか、納得いかないというか。だから最初の予定通り、記憶と思考を弄くって、玩具にして尊厳という尊厳を踏みにじってから捨てようと思ってたんだけど………………なんか遊びすぎて足元掬われそうな気がするんだよね今は。実際すでに色々予定外のことも起きているし。あんまり遊びすぎるのは良くないって学習したばっかだからさぁ。………だから今、すっごく悩み中」
予定外? ここまで完璧に彼女の思惑通りに進んでいたと思っていたのですが……。
「これも失言だね。いけない、いけない。それじゃあ……うん、やっぱり今殺すことにする!」
元気よく、まるで今日の献立を決めたみたいにレモンちゃんは手を叩きました。
「あ、助けを呼ぼうとしても無駄だよ? ここは今隔絶された空間だから、電波は届かない」
「え?」
言われてはじめて気付きました。夜の神社にいたはずなのに、いつの間にか墨と血がまじりあったかのような色が満ちる広大な空間にいました。咄嗟にスマホを操作してみても、画面には圏外の文字が悲しく踊るだけ。
『ワープ』を使った素振りはなかったはず……。
「やれやれ、また新しい魔法ですか」
ホントに魔法には困らされてばかりです。
「そ。非力な恵梨香ねぇには絶対に破ることのできない『結界魔法』の一種。『ワープ』でさえ侵入不可能な完璧な密室空間。ナニカ企んでたみたいだけどそれもご破算。……どう? 絶望した?」
結界魔法……また厄介そうな魔法を。
「絶望……ですか。まぁ控え目に言っても、絶望はしてますよ」
「やったー! そうでなくっちゃ。恵梨香ねぇにはできるだけ苦しんで死んで欲しいからね」
「でも絶望なんて
「……相変わらず、減らず口ばっかり」
「生憎そういう生き方しかできないもので」
「じゃあ来世で改善されるといいね、そのひねくれた性格」
「私のコレは魂に刻まれたものですので、来世でも変わることはないですよ」
それは確信を持って言えます。
「へー、意外。恵梨香ねぇって魂の存在なんて信じてるんだ」
「皆には内緒にしていましたが、私って実はロマンチストなんですよ」
「いやいや、ロマンチストって性格?」
……まぁ、自覚はあります。だからこそ普段は隠しているわけで。
「それでもロマンは誰の魂にも宿っているものです」
ロマンがあるからこそ、ヒトは絶望さえ乗り越えて前に進めるのだ。
「うわ、くさ」
「臭くて結構。ヒトは汚れてこそなんぼですよ」
「泥臭いのが美徳って昭和の価値観じゃん」
「それこそ一周回ってアリでは? 今は激動の時代、令和ですから」
国同士の利害と確執とうっかりからはじまる終わらない争い。
あらゆる価値観が認められはじめ、けれど同じくらい対立も根深くなる複雑怪奇社会。
キレイごとと現実が喧嘩する、そんな時代に私達は生きている。
けれど、こんな時代だからこそ、
「なんか無駄に壮大なこと言ってるけど、今の自分の立場、わかってる? それともやっぱ人って死ぬ時はそういう風に現実逃避するものなのかな?」
「……」
「ん? どうしたの? 今更自分の発言が恥ずかしくなっちゃった?」
「一番現実から逃げているのは、レモンちゃんじゃないんですか」
「────」
「いい加減、向き合ったらどうですか」
「………………………………………………………あたしのこと、何も知らないくせに」
「それは」
「ま、いいんだけどね。全部今更だし。何をどうしたって手遅れで無意味なんだしさ」
「そんなことありません。今からでもやり直すことはできます」
レモンちゃんに向かって手を差し出す。
「……本気で言ってるの? こんなあたしを、恵梨香ねぇはまだ赦すことができるの?」
「赦せます」
もしこの手と取ってくれるなら。
そんな未来を信じて、私は手を伸ばした。
「だってレモンちゃんも……被害者じゃないですか。だからレモンちゃんは……悪くない」
すべては鬼島令という人間が、四人に分割したのが間違いだったのだ。
あれさえなければ、きっとこんなことにはならなかった。
けれど、
「……………………………………………………そっか。ここまでしても、やっぱりそう言っちゃうんだね」
「え?」
夏の終わりを告げる線香花火、その軌跡を追うように、彼女の視線は私の手に止まることなく地面に落下して霧散する。
それはどうしようもないほどの失望を孕んだ瞳で。
「うん。今のは中々良い命乞いだったよ。たぶん普通なら及第点はあったんじゃないかな」
軽口とは裏腹に、顔に空元気のような笑みを張り付けたそれは痛々しくもあり。
「……………………だけど私にとってソレは、どうしようもなく赤点なんだよ」
そしてその一言だけを、心臓に突き刺す刃のように、私の胸に深く刺しこんだ。
「どういう、意味、ですか」
けれど私の問いかけは彼女に受理されることなく、またいつもの仮面の如き笑顔で跳ね返されてしまう。
「さーて、いつも通りダメダメな恵梨香ねぇに寛大なあたしからの出血大サービス!」
そう言って独り手を叩くレモンちゃん。もうそこに、さっきまでの面影は微塵もない。
「恵梨香ねぇの信じてる魂は、確かに存在するよ」
魔法を操る彼女だからこそ、その言葉は強く真実を湛えていた。
「そもそもお兄ちゃんを分割させてる原理も、そこら辺が関わってくるんだし。培養した無垢の肉体に分割した魂を定着させ、同じ人間のコピーを造る。普通の人間の魂じゃそんなの不可能だけど、お兄ちゃんレベルの魂の大きさならそんな無茶も効く」
告白された事実に驚きつつも、頭だけは冷静に働かせる。
「……なるほど、そういう原理でしたか。巨大なバケツの中に入ったジュースを、用意した空のコップに分ける。そうすることによって同じ味の入ったジュースのコップを増やす」
令が増える原理はもっと問答無用の力技なイメージでしたが、今の話だとまだ納得のいく方法で────
……ん? しかしそれじゃあ、
「待ってください。今の話が本当ならもしかして」
「さ。サービスはおしまい。冥途の土産には十分でしょ? じゃあなるべく痛く殺してあげるから、精々いい声で泣いてね、恵梨香ねぇ♡」
レモンちゃんはそう宣言すると、背中から光で編まれた翼を生やす。それは神々しくもどこか歪で、人の肉体にはやはりそぐわないと私は感じるのでした。
例えるなら、失敗作のキメラを見る
レモンちゃんはゆっくりと右手を掲げます。
すると右手がまるで太陽のごとく輝きだし、周りに満ちる大気ごと焼くように周囲の温度を上昇させるではありませんか。
「がは……」
熱い……と感じる前に、息ができません。
まるで酸素が消えたかのような息苦しさ。いえ、実際酸素はレモンちゃんの魔法の余波で燃え尽きてしまったのでしょう。
なんて殺意の高い魔法。
こんなのただの一女子高生に向けていい魔法じゃありません。いやホントマジです。息苦しいし、熱いし、眩しくて、私はとうとう立っていられなくなり身体を地面に横たえます。
「こひゅ……が……」
「ふ、ふふふ、あははははははははは」
そんな私の苦しむ姿にレモンちゃんはご満悦のようで、ニコニコ笑うだけで中々とどめをさす気配がありません。
その気になれば右手を少し私の身体に触れさせるだけで、私を消し炭にできるはず。
しかし彼女はただ右手を掲げるだけにとどめ、私をじわじわと炙ることに専念しています。
有言実行。私ができるだけ苦しみぬいて死ぬよう、きっと彼女は彼女なりに繊細に魔法をコントロールしているのでしょう。
「……っ……………………………………………………………………」
肺の中の酸素も尽き、最早一声上げることさえ叶わなくなり……。
ああ、苦しい。
痛い。
身体も精神もぐちゃぐちゃになって、まともなしこうもままならなくなってきて。
ああ、それでも、やっぱり、こんなときでもかんがえるのは……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………令。
結局いつも私は、あのバカのことばっかりなのです。
轟音。
そうとしか形容できない衝撃が、突然消えかけていた意識に割り込んできました。
「……れ、い?」
酸素が戻り、咳き込みつつもこぼれた言葉は無意識によるもの。
そして。
かすむ目にぼんやりとうかび上がるのは────
「ふむ。無事のようだな恵梨香よ。すまぬ、少々遅れてしまったようだ」
それは銀の長髪をたなびかせる、夜に生き永遠を享受する吸血鬼のお姫様。
「ご安心ください恵梨香様。すぐに身体機能を回復させますので」
それから氷山のように整った顔立ちを珍しく融解させた、怒れる完璧無敵アンドロイドの万能メイド。
それは最強にして最恐のヒロインズ。ライラさんとマナさんのお二人。
その両名が……この絶体絶命のピンチに現れてくれたのでした。
「な、ど、どうしてその二人がここに!?」
うろたえるレモンちゃんをぼんやり見ながら、私はマナさんが両手から放つ不思議オーラに全身を委ねます。
するとみるみるうちに身体と精神を蝕んでいた痛みと熱が和らぐではありませんか。なるほどこれが回復魔法。凄い。現代医療の敗北です。
「フフ、何を驚く令の妹よ。そんなにここに我らが現れたのが不思議か?」
レモンちゃんとは対照的に、たっぷりの余裕を持ってライラさんはレモンちゃんに問いかけます。
「だ、だってここは絶対の密室。それに恵梨香ねぇの通信手段は絶っていたのに!」
「ふむ。それなら簡単よ。恵梨香と我は親友ゆえ、連絡先を交換しておる」
「はぁ? だからそれがどうしたっていうの!」
「恵梨香のすまほは我の魔法で改造した特別製。例えでんぱ?とやらが届かぬとも、恵梨香が発したメッセージは我のもとに確実に届くようになっている。ゆえにこうして、恵梨香の危機を察知するのが可能だったというわけだ」
そう。これはこんな事があるかもと思い前もって、あの殺人事件の捜査に向かった時に、無理を言ってスマホをライラさんに改造してもらっていたのです。
それにもともと今日レモンちゃんと会うのはライラさんとマナさんの二人だけには共有していたので、ただ『助けて』の単語だけで二人は私を助けに来る手筈でもありました。
すべては作戦の内。私一人だと油断したレモンちゃんを追い詰める作戦だったのです。
因みにライラ令とマナ令には今日のこと……というかそもそもこの事件の裏側を教えてはいません。何ひとつ。だから彼らは今も何も知らないまま。
え? 知らせない理由ですか? そんなの単純です。
────これ以上、令に負担をかけたくない。
それが私達ヒロインズの総意でしたから。
「で、でも、そうだとしても! 例え恵梨香ねぇの助けが届いたとしても、ここはあたしが構築した隔絶空間。いわば極小の異世界。誰にも探知できず、たどり着けない秘密の場所。徒歩だろうが、『ワープ』でさえここには侵入できない。なのにどうして二人がここに現れられるの!?」
「それについてはワタクシが説明致します」
マナさんはそう言って深くお辞儀をすると、まるでここがどこかの会社の会議室のように流暢に続きを話し出します。
「皆様には黙っていましたが……実は恵梨香様は、令様より上の権限持ち、ワタクシのグランドマスターなのです」
ハイ。まるでガチャ回して特異点を修復しそうなこっぱずかしい名前ですが、事実なのです。
「は?恵梨香ねぇが……グランドマスター?」
「これには勿論訳がございまして。そもそもの発端は、ワタクシが令様のお宅に初めて着払いで送られた日の事。あの日ワタクシはエネルギー切れにより……初期化しました。しかし偶々近くにいた恵梨香様の生命エネルギーを頂戴した事によって再起動を果たすのに成功しました。けれどその際、初期化からの強制再起動の反動でバグり、恵梨香様を最上位権限持ちのグランドマスターに登録してしまったのです」
懐かしい。
あのホラーみたいな珍事がもう随分昔のことのように感じられます。
これは私も後で聞いた話なのですが、そもそも彼女が私の代わりに令の家の家事をしていた真相はコレ。マナさんはグランドマスターである私の仕事(令の家の家事)をただ代わりにやってくれていただけだったのです。
因みにグランドマスターとやらはどうやら取り消しが効かないらしく、私は一生マナさんのグランドマスターを務めないといけないのだとか。
どうしてそんな大事なものなのにこう融通が効かないのか……いえ、大事なものだからこそ融通が効かないのかもしれませんけど。
「グランドマスター登録されている恵梨香様の現在地は、通常のマスター登録されている令様達同様ワタクシは常に把握しております。ですので例え隔絶された空間であろうと、恵梨香様の現在地はワタクシにはわかります。そしてグランドマスターである恵梨香様のみ限定ではありますが、ワタシは恵梨香様がいる場所へはいつだって『瞬間移動』することが可能なのです。これは『ワープ』より上位の魔法、『召喚魔法』を応用した原理ですので、地脈の有無も関係ございません」
そう言い終わるやマナさんはペコリとまたもお辞儀をして、マナさんには珍しく不敵な笑みをレモンちゃんに浴びせるのでした。
レモンちゃんを出し抜けたのが余程嬉しいのでしょう。ここまで負け続きでしたしね私達。
「……そう。なるほどね。最初から恵梨香ねぇはこうなる事を見越して、色々準備してたんだ。はは、これは一本取られたよ。最初はあたしを油断させる為に一人で現れて自白を誘う。そしてやばくなったら助けを呼ぶ。うん、恵梨香ねぇらしい虎の威を借りる狐みたいな作戦だね」
「ごほっごほ。れ、レモンちゃん。これで三……いえ二対一。形成は逆転しました。おとなしく投降してください」
「舐めないでくれない? 準備をしてたのは恵梨香ねぇだけじゃないんだよ?」
次の瞬間、レモンちゃんの背後に鬼島令が四人も現れました。
そしてその全員が、どこか虚ろな目をしていて覇気を感じられません。まるでティーバッグの出涸らしのようなその姿に、彼らがどういった存在かすぐに察しがつきました。
「やっぱり……また増やしていたんですね」
私の予想通り、レモンちゃんは異世界でまた新たに鬼島令を分割して増やしていた。
「そうだよ? レモン令お兄ちゃんと偽令お兄ちゃん。それらを材料にまた増やした新しいお兄ちゃん二人。合計四人のお兄ちゃん達。勿論みんなあたしの魔法で完璧に矯正済み。あたしの
確かに数の上ではレモンちゃん側が圧倒的に有利。
このまま戦えば勝ち目は無い。
ああ、こんな事ならキレイごと言ってないで、ライラ令とマナ令にも事件の裏側を打ち明けて、助けを求めるべきでした……。
「──とはならないんですよね」
「え?」
レモンちゃんの余裕の表情にひびが入る。
「ふむ、随分甘く見られたものよ」
「そうですね。まさかワタクシ達の戦闘力が令様より劣ると思われていたとは……」
そう。こんな絶望的で最悪な不利な状況を、最強にして最恐なるヒロインズ(私除く)は鼻で笑うのでした。
「我を誰と心得る。夜を統べる吸血鬼の真祖にしてただ一人の最後の王。即ち夜の絶対支配者。雑兵がいくら集まった所でお釣りがくるわ」
「数こそ正義、ですか。消費を正義に掲げる資本主義に染まった現代人らしい発想でございますねレモン様。ワタクシは
「ま、負け惜しみを……。あ、あたしのお兄ちゃんがあんたらなんかに負けるわけない!」
「ふ、負け惜しみがどちらなのか。今のソナタの狼狽ぶりを見ると明らかではあるが……。良い、赦す。その戯言を真にする挑戦権利をソナタにやろう。さぁ、さっさと挑んでくるが良い、雑兵ども。夜の舞踏会のはじまりであるぞ」
「セーフティー解除。殲滅絶殺モード。それではレモン様に憐れな令様方、ごきげんようでございます」
「────死ね、死ね死ね死ねぇ!! お兄ちゃんにたかるハイエナどもが!!!!」
そこからはじまった
爆散四散、塵芥、絞って捻って、折り畳む。
まぁそんな感じの一方的で醜い闘いでしたよ。
まぁそれも当然。女の愛とか恋とか嫉妬を闇鍋で煮詰めたような醜い争いがオキレイなワケがないのです。
え? どちらが一方的だったかですって?
そんなの聞かなくてもわかるでしょう。
人外魔境最強にして最恐のヒロインズが、悪に堕ちた主人公ズに負けるわけがないのです。
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