第31話 お嬢様と俺はトラウマに対峙する
俺と竹宮さんは車に揺られて移動していた。
車の運転は父さんがやっている。車内では帰ったら何を食べるかということだったり、竹宮さんが飼っているらしい馬の話をしたり(父さんは、それにつられて競馬の話をしようとしたが誰も理解できなかった)、諸麦さんが早口言葉を見せたりなど、色々楽しかった。
そして、到着した。ここは病院。母親が現在入院している場所だ。あの人は事件後に収監された。その後は、ここの精神科で過ごしているらしい。
「何かあったら、すぐ戻って来るんだよ」
「……わかってるよ。ありがとう」
父親は母親には会わず、車で待っているとのことだった。ただでさえ、息子の俺が来ると聞いて何をしでかすか分からないのに、仇敵みたいな存在の父が一緒に来るともっと興奮してしまうと踏んだからだ。その代わりに、諸麦さんについて来てもらっている。
病院の受付で要件を伝えて、母親がいる病棟へと向かう。
待ち合い患者がいるスペースを抜けて行く。その間も、三人で俺たちは楽しく喋っていた。
別に変に空気を重くする必要なんて一切ないのだ。
エレベーターで母親がいる階についた。そこは開かない自動ドアがあって、インターホンで面会に来た旨を伝えてドアを開けてもらった。
自分で決めたこととは言え、足が竦んだ。あの恐怖の元凶と再会する、ということが一気に現実になった気がした。
急に熱を感じた。
俺の左手が握られたのだ。隣に竹宮さんが並んでいた。
彼女から伝わってくる体温が、俺の凍ってしまったように動かなかった足を動かした。この温かさがあるから、俺は恐怖と戦っている。
「行こう」
「うん」
二人でドアの垣根を超えた。後ろから諸麦さんもついてくる。そして、自動ドアが閉まった。
少し歩くとオープンスペースがあった。
そして、そこに立って待っている女性がいた。
他の人なんて目に入らなかった。だって、どう見たって、あれは俺の母親だからだ。だけど、以前よりも痩せ細っているのが分かる。
「やっと来てくれたのね、和樹!」
向こうも俺に気づいたようで、走りながら近づいてきた。俺はあの人の必死な形相を見て、トラウマがフラッシュバックしそうになった。
そのままあの人は抱きつこうとしてきたが、俺の目の前にするりと人影が立ちふさがった。
「これ以上、和樹くんに近づかないでください!」
竹宮さんが割って入ったのだ。そして、竹宮さんの頭で良く見えないけど、看護師さんと諸麦さんが、あの人を止めているようだ。
敵意を込めたようにあの人は呟く。
「……あんたら、和樹の何なのよ」
「私は……和樹くんのクラスメイトで同僚。和樹くんがとっても大切な高校生の竹宮雛乃です!」
一方の竹宮さんにはあの人への敵意は感じなかった。その言葉には、俺を守ろうとしてくれるような心強さが詰まっていた。敬語の時は出るらしいお嬢様口調も一切なかった。それだけ彼女も緊張している。
「わたくしは、雛乃お嬢様の専属メイド兼、和樹さんの保護者代理の諸麦夕夏です」
そう諸麦さんが言うと、竹宮さんに向けられていた感情の質が一気に変わった。
「まあ。専属メイドがいるなんて、相当なお嬢様なのね。それだったら、和樹と付き合うのも許してあげないこともないわ」
竹宮さんが金持ちのお嬢様だと分かった途端にこれだ。金持ちと結婚すれば将来阿安泰だ、とか勝手に思っているのだろう。
何一つ嬉しくない言葉。竹宮さんと付き合うこと云々について、どうしてあの人に勝手に許可されなければならないのか。今後付き合うかなんて、今考える余裕はないが、俺の人生を操ろうとする醜悪さがあった。
姿はやつれているが、心は何一つ変わっていない、記憶の中のあの人のままだった。
ある意味では安心した。
これで、何の心置きもなく、さよならができる。
「座りましょうか」と看護師さんに提案されてテーブルに座った。俺の正面に母親がいて、吐き気がしてくる。けど、隣に座った竹宮さんが机の下で手を握ってくれている。
守られて、守られて、守られている。
ここまで竹宮さんにしてもらっているのだ。いい加減に、俺も何か言わなければならない。彼女の恩に報いるためにもここに来ている。
「母さん……」
「なに?」
彼女の言動全てが不快だ。だけど、目を逸らすわけにはいかない。下を向いて話したって、俺の意思は母親には伝わらない。
話す内容は決めてある。あとは、それをするだけ。
「ねえ、どうして母さんは俺を誘拐したの?」
それを言うと母さんは呆れかえったような大きいため息をした。
「そもそも私は誘拐なんてしてないわ。警察の人にもそう話したんだけど、理解してくれなかった。まあ、それはいいとして。私があなたを連れ出した理由なんて、たった一つよ」
母親は、テーブルに置いてあったお茶を口に含んで飲み込んだ。
「あなたを愛してるから! 大切だから! 一緒にいたいから! 離婚したらもう会えないと思ったから、やったまでのことよ」
当然のことのように言い放った。
その言葉は酷く空虚だった。想像した通りの安っぽいものだった。
この言葉で確信が持てた。俺の持っている感情はこの目の前にいる人とは違うと確信することが出来た。
だって、俺は――。
「和樹。あなたもこの気持ちは分かるわよね。さっきから、連れて来たお嬢様と手を繋いでいる。それだけ、彼女を大切に愛してるんだもの」
「……は? 分からないけど」
確かに、母親の言うとおり竹宮さんのことは大切に思っている。それは愛と呼んでも良いものなのかもしれない。だけど、それはこの人の考えているものとは違うものだ。
「いいえ、分かるはず。だって、その娘ともう二度と会えないことを想像してみなさい。胸が張り裂けそうになるはずよ。でも手を尽くせばどうにかなるかもしれないとなったら、あなたはどうするのかしら」
母親の言葉に耳を傾けてしまった。もし、竹宮さんと二度会えないと思ったら……それはとてつもなく悲しい。そして、何とかなるのだったら俺は……。
もしかしたら、母さんと同じようなことをやってしまうのかも?
「そう。お母さんと和樹は血が繋がっているのですもの。同じよ」
やっと分かってくれたか、と安心する表情を見せる母親。しかし。
「「同じじゃない!」」
俺と竹宮さん。二人の声が、まるで共鳴するかのように重なった。
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