第29話 お嬢様は俺の過去を知る

 竹宮さんが風邪を引いてから数日が経過した。体調は殆ど全快したようで、学校やバイトにも普通に来ていた。


 ただ、毎朝早くから俺の家に来るというのは止めてもらった。今回の風邪は過労が原因と聞いているので、その対策を行ったわけだ。当の本人はヤダヤダ言っていたが、諸麦さんが止めているとのこと。


 まあ、でも普通に動けるようになったことは確かなので、俺は先に約束していた水族館へ行こうと提案したのだが……。


 竹宮さんは『え、嫌だよ! 和樹くんのトラウマを解消してからの方からの方が絶対に楽しいもん』と譲らなかった。


 そのため、先に母さんに植え付けられたトラウマを片付けにいくことになった。


 今日はその『作戦会議』と照して、放課後に竹宮さんが家に上がって来ていた。幸い二人ともバイトがなかった日だったので、都合は良かった。


 でも、俺としては特に話すことはないのだ。


 だって、俺が母さんと会って話したいことは決まっているから。


「竹宮さん、作戦会議って一体……?」


「作戦会議って名前は適当。私は、和樹くんにどうしても聞きたいことがあるの」


 やっぱり作戦会議って名前だけだったのか……。でも、そんなどうでもいいことが吹き飛ぶほどに竹宮さんの顔は真剣だった。


「結局、私、和樹くんの過去に何があったのか、聞いてない。お母様が誘拐したことは知ってるけど……それしか知らない。だから、ちゃんと知りたい」


 竹宮さんの内に秘められた青い炎が燃えて、ゆらゆらと揺れている。好奇心とかじゃない、彼女自身も真摯に俺のトラウマに向き合うとしてくれているのが伝わって来た。

 

 そのことが何とも嬉しくて、勇気が湧いてくる。


 そうだ。今までは誰かに話すのも嫌だったから、誰にも詳細を話していない。母親も母親で気が狂ってしまっているので、警察もしっかりとした調所を持っていない。


 だから、誰も知らない。もう、俺だけの記憶。


 でも、竹宮さんになら。いや、竹宮さんにこそ、話すべきなのだ。


 今日まで、俺のトラウマに蝕まれた心を癒し続けたのは、竹宮さんだった。その彼女に、ずっと隠し続けるなんて誠意に欠ける。


 だから、今こそ、呪われた記憶の封印を解くときが来たのだ。


 それが、トラウマを乗り越えるための第一歩なのかもしれない。


「分かった。じゃあ、今から話すよ。母さんと俺のことを……」


◆ ◆ ◆


 母親……味元由美がどんな人だったか。


 まず目立つのは金にうるさくてケチなところだった。だから、竹宮さんがウチの家を華美に改造してしまうまでのリビングは、リサイクルショップで買ってきたような家具を使っていた。


 そして、父さんとよく喧嘩していたこと。


 さっき言ったように金にうるさいので、収入が不安定でいつ潰れるのかもしれないラーメン屋をやることには反対していたらしい。経営が軌道に乗っても、文句をぶつぶつ言っていたことは憶えている。


 そのため、母親はあの松華ラーメンでの営業を手伝ったりするどころか、来たことすらない。


 だから、松華ラーメンは俺にとっての心の避難所成り得た。あの人が絶対に来たことがないというだけで、俺は母親の影を見なくて済む。そういう場所だったので、現在も週5、バイトに行っていた。


 ラーメン屋という場所は竹宮さんが、俺を絆してくれるまで、心の在り処だった。


 話が逸れてしまった。


 俺と母親の関係について戻ろう。


 そんな母親だったから、教育にはうるさかった。父親みたいになって欲しくないとか思っていたのだろう。『いい大学に行って、安定した職種に就くのよ』が口癖だったような気がする。


 そんな欲望を抱きつつも、金を出すのは嫌だったらしく、塾には通わせなかった。母親は高学歴というわけでもなく、勉強に真剣に打ち込んできたこともないので、俺に勉強を教えることができなかった。


 だけど、無駄に計算ドリルとか問題集は買ってくるので、やらざるを得なかった。やらないと怒られるからだ。


 怒られたところで別に点数は上がらない。血は裏切らないというか、そもそも塾に通わせなかったのが良くなかったのか、とにかく勉学にさした意味が生まれることはなかった。


 それでも、中学受験はさせたかったようで、模試を何度も受けさせられた。もちろん良い結果は出ずに、何事も母親の思うとおりには行かない。


 その頃からだった、母親が明確におかしくなり始めたのは。


 今から考えると既におかしい人間だったかもしれないが、ここから俺にとって地獄のような日々が始まった。


 家に居れば俺の一挙手一投足全てが気に入らないようで叱られた。毎日のように叩かれたりした。人格否定なんてお手の物だし、勉強机に向かわないようなら、ご飯すら食べさせてもらえなかった。


 ここに至り、父親は兼ねてから考えていた離婚という手を繰り出した。妻の息子への仕打ちが見ていられなくなったからだ。


 もめることを承知に、俺を助けるために父さんは仕事も忙しいのに動いてくれた。


 離婚調停が始まった。


 母親は壊れてしまい、父さんはこのままでは何か事件が起きてもおかしくない思ったらしく、俺に毎日朝からラーメン屋の仕事を手伝わせた。


 それが、俺のラーメン屋バイトの始まりだった。


 俺が松華ラーメンにいれば、母親から守れると踏んでいたのだ。


 実際にそれは正解であり、母親がやってくることはなかった。朝も父と出かけ、夜も父と一緒に帰ることで、母親と二人きりになる瞬間というのは生まれなくなった。


 そして、俺の方も温かい仕事仲間たちや常連さんに囲まれることで、平穏を取り戻つつあった。


 離婚調停が終わった。


 母親は精神に異常をきたしていることは火を見るよりも明らかだったため、親権は父さんが獲得した。これで、母親が俺の目の前から消える、と思った時だ。


 俺は母親に誘拐された。

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