第19話 お嬢様、初めてのチャリ
話がコスプレの方に逸れてしまっていたが、今日の本題は自転車を教えること。
「竹宮さん。今日まで自転車の練習してたりする?」
「ううん。してないけど、椅子? の調整はして来たよ」
椅子……? サドルのことかな。よくよく見て見ると、今、竹宮さんの自転車にまたがっている諸麦さんはかなり低そう見える。
諸麦さんの身長は俺より大きいので、俺よりも低い身長の竹宮さんにはちょうど良さそうなサドルの高さだった。
「まずは諸麦さんに降りてもらって……」
「はい」
「で、竹宮さんにはまず……」
と、自転車を教えてようとした。
自転車の教え方なんて分からないから、ネットで事前に調べた。竹宮さんに痛い思いをさせたり、怪我をさせたりはしたくなかったので、懸命に調べはした。(子供用の教え方しか出てこなかったが……。)
なので、慎重に慎重を重ねようと思ったのだが……。
「え、そのやり方はめんどくさい! 私は、もっとビュンビュン、風のように成りたいの!」
「でも、危ないし……」
「良いから! 私は一秒でも早く、和樹くんと並んで走りたいの!」
やはり、このお嬢様は結構頑固である。個人の意思が強いのだ。言い換えれば、わがままなのかもしれない。
どうしようかな、と悩んでいると諸麦さんが。
「まあ、やらせてみましょうよ。雛乃お嬢様って器用ですし、運動神経も良いので、何とかなりますよ」
「そう言うなら……じゃあ」
竹宮さんを日頃から知っている専属メイドがそう言うのなら……。
「じゃあ、まずは自転車にまたがってもらって。そうそう。次はペダルに足をかけて」
「こんな感じ?」
「そ、そうそう」
お、重い。
竹宮さんの全体重が自転車に乗っかっている。そして、それを後ろの荷台から支えているのだ
「こ、これが! 自転車に乗ってる感覚ね」
「だ、大丈夫!? 重いよね、ごめんね」
思わず声に力が入ってしまった。そして、それが竹宮さんにバレてしまった。
恥ずかしい……。日頃、ラーメン屋で肉体労働をしているのに、この程度で重いと思ってしまった自分が情けない。そして、それを一番伝えてはいけない人に伝えてしまったのが、最もダサかった。
「いや、大丈夫。全然、大丈夫だから!」
「ほんと?」
「ほんとほんと。ラーメン三玉分?の重さにしか感じないから!」
「ふふふ。それってリンゴ三個分じゃない?」
「……そうかも」
言われてみればそうかもしれない。そもそも女の子の体重にラーメン一玉とかいう単位を使わないだろう。全く可愛らしくない。
それにしても、竹宮さんに一般常識的な面でツッコまれるとは思ってなかった。割と不覚だ。
「ま、まあ、気を取り直して……このまま俺が押していくから、竹宮さんは自転車に乗る感覚を掴んで欲しい」
「うん! わかった」
「行くよ」
で、俺は力を込めて竹宮さんの乗った自転車を押していく。ある程度スピードが乗って来ると、俺は出来る限りその速度を維持した。
「お、お、おーっ! 気持ちいいね!」
「それな、ら! 良かった」
彼女が自転車に乗っているという感覚を掴んで来ているような気がしたので、俺は手を放した。そして、言った。
「すぐに両手でブレーキを掴んで!」
「う、うん!」
グラグラしながらもなんとか止まることに成功。転ばなくて良かったと、ホッと一息ついた。
「どうだった?」
「手を離された時はびっくりしたけど……なんか分かってきたような気がする! 次は! 次はどうするの!」
ワクワクしているのが伝わってくるいい表情。どうやら怖さよりも早く運転できるようになるのが、楽しみという感じらしい。今にも今にかと、おやつを待ちわびている子どものようだ。
「えっと、次も同じように最初は押していってから離すね。その後は、自分の足で自転車を漕いで、危なくなりそうだったら止まって」
「分かった! じゃあ、すぐやろう!」
やる気満々の竹宮さんを乗せた自転車を押して、ある程度スピードが乗ったので、手を離した。
そしたら。
普通に自転車を漕いでいた。特にバランスを崩すことなく、速度も一定で、危なかっしいことは何一つなかった。
自転車ってどのくらいの期間をかけて出来るようになるのかは分からない。けど、これだけの練習で、ほぼ問題なく走れているは凄いのではないだろうか。諸麦さんが言っていた通り、運動神経やセンスがあるのかもしれない。
「見て見て、和樹くん! どう? 上手く出来てる?」
竹宮さんが俺の方を見て、反応を求めていた。「上手い! すごい上手い!」と返事をしようとしたのだが、そうはいかなかった。なにせ、彼女の目の前には、壁が迫っていたからだ。
「竹宮さん、危ない!」
と声をかけたが時既に遅し。彼女は野球場の壁にぶつかってしまった。
「だ、大丈夫!?」
とにかく急いで倒れている竹宮さんの方へと駆け寄った。自転車の下敷きになってしまっていたので、急いでどかした。
「大丈夫ですか! お嬢様!」
諸麦さんは走って救急箱を持ってきた。そのまま竹宮さんに手を差しのべたが、彼女は手を借りずに立ち上がった。
「大丈夫だから、心配しないで。スリル満点で楽しかったよ」
とは言いつつも、その笑いには元気がなかった。竹宮さんが本当に笑っているときはいつだって、周囲が幸せになるような波動が波打っているのだ。今回はそれがない。
よくよく観察してみると、片方の膝が震えていた。
「竹宮さん。右ひざを見せて見て」
「えー、嫌って言ったら」
「いいから!」
気づけば大きな声が出ていた。そういう場面ではないのに、語気が強くなってしまっている。
それに驚いたのか、竹宮さんは恐る恐るといった模様で、長いスカートを捲って右ひざを見せてきた。
案の定、擦り傷になっていて血が出ていた。
「おじょうさ――」
「諸麦さん。救急箱借ります」
「どうぞ」
救急箱から消毒液を取り出して、竹宮さんの膝の傷跡にぶっかけた後に、絆創膏を貼った。
これで一安心かな。
「竹宮さん。今度からはちゃんと前向いて運転してね」
「う、うん。分かった。……でも、私に触って大丈夫だったの?」
膝を擦りむいて、痛くても一切表情に出さなかった竹宮さん。だけど、その言葉を口にするときは、いたたまれなさが顔に張り付いていた。
そして、言われて気づいた。
確かに、あれほど無理だった女性との接触をしてしまった。
彼女の方が痛かったはずなのに。こっちの心配をしてくれるなんて、優しいが過ぎる。あの人とは決定的に違う在り方がそこには。だからなのかもしれない。彼女に触れられたのは。
「あんまり触ってどうとか、考えてなかった。心配してくれてありがとう」
彼女の目から一筋の涙がこぼれた。
「違うの! この涙は、痛いとかじゃなくて……とにかく気にしないで!」
泣いてはいたけど、確かに竹宮さんは楽しそうな顔をしているのだった。
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