第15話 お嬢様は卵の殻を剥くのが得意らしい

「仕込みって何をやったらいいの?」


 竹宮さんがそんなことを聞いてくる。そうだ、俺たちは(少なくとも俺は)、仕込みをしに来ているのだ。


 竹宮さんを一人だけで何かをさせるのは怖いなあ。


 と、そう思っていたら、厨房からタイマーの音が鳴った。この音は……。


「じゃあ、卵の殻向きをやってくれない?」


「私、それ得意!」


 ぱあっと輝いてみなぎる自信を体全体で表現している竹宮さん。


 俺としては、結構意外な答えだった。普通の人でも下手な人は下手なのに、卵の殻なんて剥いたことのなさそうな竹宮さんが、まさか。


「家でやったりするの?」


「しないよ~」


 家でやらないのにどこで得意になるんだろう。家以外で卵の殻を剥くことって普通はないはずだと思うんだが。


 とりあえず俺は茹で上がった卵たちが入っているザルを熱湯から取り出して、冷水の中に入れた。


「うわあ、熱くないの?」


「別にそんなには熱くないけど……」


「そうなんだ。試してみよっと」


「待っ」


 止めようとするよりも彼女の行動の方が早く、冷水に突っ込んだばかりのザルを触ってしまった。


「熱っつい! 全然熱いじゃん!」


 一瞬でザルから手を離すと、流水に手をさらしている。よっぽど熱かったのだろう。微笑ましいものが見れた。けど、笑うのは失礼だろう。俺は平静を装って。


「大丈夫?」


「うん。火傷はしてなそうだけど……どうして和樹くんはアレを平然と掴めたの?」


「慣れだよ。慣れ」


「そっかあ。多分、私の手と和樹くんの手は違うんだね」


 不思議そうに自分の手を広げてじっくり見つめている竹宮さん。そして『ねえ』と言った。


「どれだけ違うのか、和樹くんの手も見せてもらってもいい?」


 竹宮さんの言葉に、俺はすぐに『うん』とは言えなかった。手を見せるとなれば、触られたりもするのかもしれない。そういう可能性を考えてしまって、すぐに手が出せなかったのだ。


「見せるだけで大丈夫だよ。触ったりはしないから……」


 ほん少し申し訳なさそうに声量が下がっていた。でも彼女の声には、強い優しさがこもった感情があるように感じた。


 さっき謝ったのはいいけど、俺のトラウマを知ってしまったことで、彼女に気を遣わせているのかもしれないと思うと忍びなかった。


 その気持ちを隠すように「うん」と言って、笑みを見せる。


 そして、手を見せようとすると、竹宮さんは。


「やっぱりいいや」


 と先ほどの言葉を無かったことにした。


「え? どうして」


 と、思わず口を衝いた。もしかして、俺の考えていることが伝わってしまったのだろうか。


「今じゃないな~って思っちゃたから。男の子の手を知るときはもっとロマンチックな方がいいんだよ」


 竹宮さんは自然体でワクワクしていた。笑いもしなければ、申し訳なさそうにしているわけでもない。まるで、ラーメンが茹で上がるのを待っているようなお客さんのような表情をしていた。


 本気でそう思っているんだと感じた。

 

 その様子から、お嬢様を傷つけたわけではないと知って、ホットした。


 で、その興奮を引きずっているのかどうかは分からないが、テンションを上げた状態で俺に質問を飛ばした。


「次って、何をしたらいいの?」


「ちょっと待ってて」


 俺は卵を触って、熱が取れていることを確認する。どうやら、話している時間で上手く冷めたらしい。


 俺は卵が入ったザルを持って水柱で軽く揺らして、卵同士をぶつける。こうすることで全体的にヒビが入って剝きやすくなるのだ。


「はい。これで後は殻を剥くだけでいいよ」


「うん、分かった! やってみる」


「出来たら見せて」


 取り敢えず竹宮さんに一個剥いてもらおう。そして彼女の宣言通りに上手く剝けるというのなら、この作業を任してもいいかもしれない。


 それにしても、メイド服を着て、ラーメン屋の厨房に立っている箱入りお嬢様の姿なんて、もう一生見ないだろうなと思う。


「はい! 出来たよ!」


 これのどこが得意な人が剥くゆで卵なんだろう。


 ボロッボロというほどではないが、ところどころ白身が欠けている。これではお客さんにお出しすることができない。


「あの、不合格です……」


「え! なんで!? 私、卵の殻剥き、先生に褒められたことあるんだよ」


 信じられないといった顔をされるが、信じらないのはその褒めた先生とやらの感性だよ。というか、先生って一体何? 家事を教える家庭教師とか? あ、いや、違うか……。


「もしかして、その先生って学校の先生?」


「そう! 小学校の家庭科の授業でゆで卵を作ったの。その時、私が剥いたんだけど、先生に『お上手ですね』って言われたんだ。その先生好きだったから、今でも褒められたことを憶えてるの」


「それは――」


 それはお世辞じゃない? と言おうとして辞める。彼女は純粋な箱入りお嬢様なのだ。夢を壊すのはダメだ。


 それにしてもお嬢様学校って、意外と庶民的なものの作り方とか教えたりするんだ。トリュフの削り方とかキャビアの美味しい食べ方とかを、教えてるもんだと勝手に思ってた。


「とにかく、もっと完璧にやってもらわないと、お客さんには出せないから」


「わかった……」


 しょぼーんとしているのが肌から感じ取れる。メイド服の人が落ち込んでる様子ってちょっと面白いな。


 けど、落ち込ませてしまったという事実がちょっと心にくる。


 だったら、他の作業で気分転換をしてもらおう。


「だから、竹宮さんには店内の清掃をやって――」


「ヤダ」


「え」


「このままで終わるの嫌だから、ちゃんと私に卵の殻剥きを教えて! お世話係として」


 その眼には闘志が宿っていた。


 やる気がみなぎっていた。


 もうこの場を動かないという意思があった。


 本当は二人で別の作業をやった方が効率は良い。だけど、俺はお世話係だから、彼女の意思を尊重する必要があるのではないか。ああ言われては断れない。


「じゃあ、教えるから一緒にやる?」


「うん!」


 爆発的に輝く笑顔を見せた学校一の純粋な箱入りお嬢様と共に、卵の殻を剥いていくのであった。

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