第7話 お嬢様は手を繋ぎたい

「そうだ和樹。雛乃さんのこと、ちゃんと送ってやれよ」


 竹宮さんが初めてのラーメンを食べ終えて、父親がそんなことを言ってきた。


 別に送るのが嫌なわけではないが……。


「ちゃんと、ってどういうこと?」


「ああ。そういう約束になってるんだ」


「……具体的には」


「雛乃さん一人で夜道を歩かせるのは危ないからと先方に言われててな……彼女の家まで付き添ってあげてくれ」


「これがお世話係の仕事ってことで良いのかな?」


「その一つではあるな?」


 何故に疑問符が点くのか……。


 お世話係……、竹宮さんに世間を教えるとのことらしいが、実際はどんなことをさせられるのか。

 あの箱入りお嬢様のことだ、多彩な感情を見せてくれるのは間違いない。それだけは毎日を飾ってくれそうで楽しみだった。


 でも、個人的にはかなり不安だ。

 何せ俺は庶民的なことしか知らない。それに比べてあの娘はお金持ちで、俺とは別世界で今まで生きてきたはずだ。そんな彼女が俗世間のことを好きになるのも、嫌いになるのも、俺の手にかかっている。


 ある意味で竹宮さんの今後の人生を俺が左右することになる。それが怖い。


 無知な相手に何かを教えるということは、それだけ、その人の価値観に影響を与えるということになる。


 俺はそのことを痛いほど知っている。


 いや、知らされたというべきなんだろう。あの人から。


「か~ず~き君、一緒にかえろ!」


「うん。わかったよ」


 俺はナイーブな感情を心から蹴っ飛ばして、竹宮さんを自宅まで送り届けるために店を二人で出た。


「竹宮さんの家ってどこなの?」


「うーんとね、これ見て!」


 竹宮さんは俺にスマホを見せるために寄って来た。彼女からは女の子特有の良い匂いがしてきて、どうしても意識しそうになってしまう。

 ラーメン屋の厨房なんて暑いから、自然と汗だくになって、臭ってきてしまうはずに、それなのに甘い匂いだと認識してしまう。


 近距離にいることに俺だけが意識してしまっているようで、本当に申し訳がない。

 超純粋な箱入りお嬢様のことだ、別に身体が触れ合ってしまうような距離で、スマホを見せても――。


 頬が赤くなっていた。

 ウチの店の灯りに照らされて、より顔が紅潮しているのが分かってしまった。

 

 肩が触れ合うような距離だからこそ、緊張してくれている女の子がそこにはいた。


 そんな姿に見とれてしまっていると、不意に竹宮さんが顔を上げてきた。


 目が合う。


 互いに顔を赤くしていることがバレてしまった。


 俺は、それが恥ずかしくなって瞬時に顔を背けて距離を取った。

 振り返った時には、二人分くらいの距離が俺たちの間には出来ていた。


 要するに竹宮さんも照れくささを感じてしまったようだ。


 俺はそんな空気を変えるために口を開いた。


「……えーっと、東坂台の方に行けば良いのかな?」


「そ、そう書いてあるね。案内! よろしくおねがいします」


 漂う雰囲気を変えてしまいたかったのだが、竹宮さんの方はそわそわしたままだった。そして、意を決したように、左手を俺に差し出して来た。


「迷子になっちゃうといけないから、手を繋いで欲しい!」


「え、でも……」


「これは! お世話係の仕事なの! だから握ってよ!」


 まくしたてるような物言いだった。

 いくら無知な箱入りお嬢様とはいえ、異性と手を繋ぐことの意味くらい分かっているからなのだろう。じゃなければ、こんな早口にはならない。


 そう言われては仕方ない。俺は竹宮雛乃さんのお世話係なのだ。言うことを聞かないわけにはいかない。


 正直なところ忌避感はある。俺みたいな穢れている存在が、純粋さを体現したような女の子と手を繋ぐなんて……あって良い事ではない。


 あって良いはずがないのだ。


 でも、これは仕方なくなんだ。仕事だから。


 心に言い訳をする。


 そうして初めて、俺は竹宮さんの手を取った。


「えへへ、ありがと」


 俺が手を握った瞬間、竹宮さんは微笑んでくれた。その静かな歓喜に満ち溢れている表情は、どんなに気分が落ち込んでいる人が居たって、一瞬で笑顔にさせてくれそうなくらいの明るさがあった。


 どん底に落ちかけていた気分が竹宮さんのお陰でなんとか、戻って来た。表情にさっきまでの気持ちを表していたら、あの笑顔は見れていない。


 自分の忍耐力に感謝するのも悪くないな、と思いながら道を歩き出す。


「ウチの店からだと竹宮さんの家までは歩いて15分くらい?」


「知らな―い」


 竹宮さんはあっけらかんと断言した。


「えっ、知らないの!? というか、今日はどうやって店まで来たの?」


「車だよ。メイドさんに送って来てもらった」


「あ~、なるほどー」


 冷静になって考えてみれば、そもそも家の住所を俺に見せて来たのは、どこにどうやって帰れば良いのか分かっていないからだ。


 箱入りお嬢様恐るべし、自宅への帰り方が分からない奴なんて普通いないぞ。


 多少ドン引きしながら、地図アプリを見るとショートカットがあることに気づく。でも、その道は夜歩き初心者にはちょっと問題のある道だった。なにせ、そこは畑に挟まれていて街灯が一切存在しない。真っ暗なのだ。

 

 俺はそこを指差して。


「竹宮さん、ここから行くと近道があるんだけど、どうする?」


「見るからに真っ暗じゃん! 怖い……けど、和樹君が手を握ってくれるから大丈夫!」


 二人で暗闇を歩き出す。


 俺の手を握る竹宮さんに力が入る。割と暗いので、怖がってしまうのも無理はないか。


 そんな彼女には悪いが、私的には、そんなにも俺のことを信頼してくれているのが、嬉しく感じたりもする。


 竹宮さんに好かれるのは、悪い気分じゃない。それは彼女が学校で人気だから、美少女だからとか、そういう理由ではない。


 それはこの俺の隣を歩いている人が、何も知らない赤ちゃんのようにものを知らない純粋さの塊だからだ。だから、俺も信頼できる。


 何も分からないから、俺のことを好きにならないって。


 そんなことを考えていたせいか、竹宮さんも暗さに恐怖していたからか、無言の時間が過ぎていた。


 その沈黙を竹宮さんが破った。


「ねえ、和樹君。バイト中に、和樹君がさ『そんなにいい匂いなら、後でもっと堪能していきなよ』って私に言ったこと憶えてる?」


「え? ああ、うん」


 確かにそんなことを言った気がする。あれは、竹宮さんがウチの店の匂いにうっとりとしてしまっていたからだっけ。


 暗いから表情は見えない。けど、何となく、彼女の纏う雰囲気が変わった。


「じゃあ、いくよ」


 竹宮さんが、俺に、抱きついてきた。

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