第6話 お嬢様、初めてのラーメン

 俺は早速、ラーメンを作り始める。


 熱々のまま食べて貰えるように、丼に湯を入れて温める。

 熱湯に麺を投入。麺同士がくっつかないように、箸でかき回す。


 丼が十分に温まってきたら、お湯を捨て、ウチの秘伝の醤油ダレを豚や鶏、節類や香味野菜で取ったスープで合わせる。

 

 そして、茹で上がった麺を湯切りする。

 うちはタイマーを使わない。麺というものは、その日によって少しずつ異なっている。その日の麺の状態に沿った最高の茹で加減を見極めるのだ。


 大体は分かるんだけど……大体しか分からないんだよな……。


 不安になるが、今の自分の力を信じるしかない。


 麺線を整えた後に、チャーシュー三枚、メンマ、味玉、ネギを載せ、完成。


 出来立てアツアツのラーメンを、カウンターに座っている竹宮さんの元へと急いで運ぶ。


「これが松華ラーメンの、特製醤油ラーメンです」


 出されたラーメンを前に、ラーメン初体験お嬢様は意外な行動を取った。


 クンクン、とまではいかないが、かなりラーメンに顔を近づけて匂いを感じ取っている。そして、そのラーメンから立ち上る良い香りが、彼女の鼻孔を刺激したのか、急に顔をあげた。


 目が合う。


 いや、見つめ合ってしまった。


 なぜなら、そこには、見たことのない女の子がいたからだ。


 目の前にいるのは純粋で、世間知らずで、果てしなく輝く太陽のような笑顔が特徴の竹宮さんに違いない。だけど、纏う雰囲気が違った。


 そこにいるのは、どこか守ってあげたくなるような、不安げに瞳を揺らしていて、でも視線だけは絶対に逸らさまいとして泣きそうになっている女の子。


 この瞳をどこかで見た気がする。


 いつ、どこで見たのかは知らない。けど、そんな顔をされたら、もはや、言うことは一つに決まっている。


「ラーメン食べよ」


「……あ、うん。いただきます」


 竹宮さんは澄んだスープから中太麺を口元まで運んで、啜った。


 彼女は静かに涙をこぼした。


 俺は呑まれていた。

 食べながら、静かに滂沱の涙を流し続ける彼女に見とれてしまっていた。

 どこか神聖さを感じられて、俺なんかがこの光景を見ていて良いのだろうか、と疑問を抱くほどだった。

 

 美味しくなかった? とか聞ける雰囲気ではない。

 ただ、ラーメンを啜る音だけが聞こえている。


一心不乱に食べていることだけは間違いなくて、でもそれなのに、何で泣きながら食べているのかが、分からなくて。


スープまで飲み切った後、彼女は言った。

 

「ごちそうさまでした! 美味しかったよ」


 泣いていたことが分かるほど目元は赤くなっていたが、すっきりしたような笑みを見せた。


 良かった……のだろうか?


 俺はラーメンを提供してからの、一連の流れに心がおかしくなっていた。

 ラーメンを美味しく食べて欲しいという気持ちだけではない、ただ純粋に竹宮雛乃という少女のことをもっと知りたいという気持ちが芽生えていた。


「どういう風に美味しかったのか、聞いてもいい?」


 そうは思ったものの、口を切ったのは結局ラーメンの話であった。我ながら、とことん自分の家のラーメンが好きだなあ、と呆れてしまう。


 「うーん、そうだね……」とちょっとだけ竹宮さんは悩んでいた。料理人でも、批評家でもない彼女に聞いたところで別に詳細なコメントが返って来るわけではない。と思っていたのだが。


「スープに絡み合う麺が良いよね。でも、スープ単体でも全然飲めちゃうほど美味しくて、それでもってチャーシューも柔らかくて、味玉もとろっとろっだった。個人的には味がしみたメンマが好きだったよ。満足!」


 おお、ざっくりとはしてるけど、思ったより全体的な好評が出て来た。


「俺もウチのメンマ好きだよ」


「気が合うね~!」


 何はともあれ、満足してくれたようでよかった。


 このほんわかした空気の後に聞きづらいのだが、俺には気になって気になってしょうがないことがある。


「どうして、泣いてたの?」


 本当は聞かない方が良いのかもしれない。他の人から見たら、配慮が足らないと言われるかもしれない。

 

 だけども、俺は知りたかった。あの学校一純粋な箱入りお嬢様の落涙には、それだけ心動かされるものが確かにあった。


「……気になる?」


 その顔を見られたくないのか、竹宮さんはカウンターに突っ伏してしまった。


「嫌ならいいよ。竹宮さんに嫌われたくないし」


「気を遣ってくれてありがとね。でも、嫌じゃないよ」


 竹宮さんは机に伏せて、俺に顔を見せないまま、話始めた。


「私ね、四年前からずっと探している人がいるの」


 四年前と言えば、小六の頃。店の手伝いを始めた頃だったっけなあ。


「当時の私ってなんか全能感があってさ。学校一の金持ちだし、周りからもチヤホヤされてて、何でも出来るって思ってたんだよね」


 あーまあ、そういう時期ってあったりするよなー。特に、竹宮さんなんかは家庭が最強すぎるし、ルックスも整ってるし、そういう風に思っちゃいそうだな。


「それで、何を思ったのか一人で旅行をしてみようと思って、最寄り駅まで行こうと思ったら、迷子になっちゃったんだ」


 いかにも世間知らずな竹宮さんといった話だ。ちょっと微笑ましい。


「その時に、私を助けてくれた人がいたんだ。顔は忘れちゃったんだけど、一つ憶えているものがあってね……」


「何か特徴的なものが?」


「うん、それが匂いだったんだ。とっても美味しそうな匂いで、忘れたくても忘れらないような匂い」

 

 竹宮さんは、一瞬間を置いた。


「今日食べたラーメンの匂い……それが、その人の匂いだったの。だから、その人にやっと会えたんだって思ったら、嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなくなっちゃんだ」


「なるほどね……」


 だから竹宮さんは泣いていたのか。ウチのラーメンの匂いは、彼女にとって大切な人と繋がなるものだったんだ。


「だからね、本当に今日はラーメンを食べられて良かったって思ってる!」


 それだけ話すと竹宮さんは顔を上げて、いつものような……いや、普段なんて比にならないくらいの全てを照らすことが出来る最高の笑顔を見せてくれたのだった。

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