第5話 お嬢様、まかないを知る

 ゴミ捨てから戻って来た俺は、あることを思い出した。

 

 ここまでの急展開で忘れていたが、俺は竹宮さんにまかないのラーメンを作ろうと思っていたのだ。何しろ、店の匂いが好きで堪能したいと言ってくれている。これは、うちのラーメンを食べてもらわないわけにはいかない。


 竹宮さんはカウンターを拭いていた。そんな簡単な動作でさえ、一つの汚れも残さないように、丁寧にやっている。

 だが、そんな丁寧さよりも何よりも、ルンルンと楽しそうにやっているのが印象的だった。そんな彼女に声をかける。


「竹宮さん、まかない食べてく?」


「まかない……?」


 まかない、という言葉が通じなかった。じゃあ、言葉を変えて。


「夕飯にうちのラーメンを食べてく?」


「え!? いいの? じゃあ、食券買ってくるね」


 裏に戻って財布を取ってこようとする竹宮さん。スキップするような足取りだが、俺はそれを急いで止める。


「うちは従業員なら、まかないとして無料でラーメンを食べられるから」


「そ、それはダメ! 絶対ダメだよ! 私、昔から『価値のあるものには対価を支払わなければいけない』って教わってきたもん」


 竹宮さんは身体の前に手を突き出しブンブンと振って本気で拒否をしている。つまり、うちのラーメンをお金を払って、是非食べたいと言ってくれている。価値があると、認めてくれているのだ。

 それ自体は嬉しいことなのだが……。


「そう言われても、規則みたいなもんだし……」


「それでも、だよ。私はお金を払いたいの!」


 意外にも頑固なお嬢様である。そもそもただ単純に純粋な箱入りお嬢様でないからこそ、バイトを始めたのだ。そういう力強い意思が所々にあることを、同僚となって知るのだった。学校で見ているだけでは分からない彼女がそこにいた。

 

 ただ、やはり折角ウチの従業員となったのに、お金を払ってもらうのは忍びない。

 ならば、ここは先ほど竹宮さんが言っていたことを利用させてもらおう。


「まかないも、ウチでは労働の対価の一つなんだよ。給料みたいなもの」


「……! そうなの!? お給料にそれが含まれてるんだ。だったら、無料で食べないわけにはいかないね」


 竹宮さんの表情はまさに青天の霹靂といった様相。そんな考え方があるとは思っていなかったんだろうな。対価と言っていたから、こういう風に言えば上手く説得できるじゃないかと思っていたがビンゴだった。


「じゃあ、何食べたい? そもそもラーメン食べたことある?」


「ないと思う」


 真顔で断言された。

 思っていた通りラーメンを食べたことがなかったのか。あんなにも美味しいものなのに……勿体ない。もっと庶民派なものも食べようよ、お嬢様。


「今日見た中で食べたいと思ったものはある?」


「あり過ぎて困る!」


 今日見たラーメンたちを思い出したのか。竹宮さんの頬がたるんで、うっとりとした笑みを浮かべていた。ハッとしたかと思うと、「うーん」と唸り出してしまった。

こういう何かを食べる時って、メニューを見て選んでいる時間も楽しかったりするよなあ。


 だが、竹宮さんの帰宅時間がどんどん遅くなってしまう。それはあまり良くない。

 

ここは現実的な提案をするしかないだろう。


「食べるものが決まらないなら、店のオススメとかはどう?」


「店のオススメ……あ、じゃあ和樹くんのオススメは?」


 何故そこでっ、俺のオススメを聞く!? 店のオススメだといけない理由があるんですか? すごいニコニコしてるけど――。


 ここで竹宮さんの想定と違ったものを答えて、「え、それ、美味しくなさそう……」とか言われたら、ラーメン屋の倅としてやっていけない……。


 でも――。


「俺は、醤油ラーメンをオススメするよ」


「じゃあ、それで!」


 竹宮さんは一秒たりとも迷うことなく答えてくれた。真っ直ぐとした視線が、俺を貫いている。その瞳には確かな期待が宿っていたように見えた。


 そうか……竹宮さんは、ここで長年生きてきた俺の舌というものを信頼してくれているんだ。だからこそ、店のオススメではなく、俺のオススメを聞いたんだ。そうに違いない。


 これはどうしても腕に力が入る。


 俺は皿洗いをしていた父に直談判をした。


「父さん。今の話聞いてた?」


「おう。聞こえてたぞ。雛乃さんのために特製醤油ラーメンを作ればいいんだろ?」


 ただの醤油ラーメンじゃなくて、特製になっている。それは俺も同意なんだけど。話の本題はそうではない。


「そのラーメン、俺が作りたいんだ。竹宮さんに喜んでもらうために……! だから、自分に麺上げをさせてください……!」


 麺上げとは、茹でた麺を水切りする行為のことを指す。父曰く、この水切りがラーメンの出来栄えに影響を与えるとのことで、俺にはやらせてくれなかった。


 俺は頭を下げてお願いをした。父ではなく、上司として、やっていいのか、と許可を取ろうと試みている。その時だった。


 バンッ! 


「私のために作ってくれるの!? 和樹君が!!」


 カウンターを叩く音と同時に竹宮さんの嬉しそうな叫びが聞こえた。

 俺と父はそれにびっくりして、音の鳴った方を覗いた。そしたら、竹宮さんが、興奮した様子で手をカウンターに置いて身を乗り出していた。


 竹宮さんは俺たちが厨房からこちらを覗いていると気づいたようで、顔を真っ赤にして固まってしまった。そして、消え入りそうな声で。


「……あ、ごめん、なさい」


 と、呟いて椅子に座り直した。


 なんだったんだろうと思ったが、それを深く追求するのは、躊躇われた。竹宮さん自身が恥ずかしそうにしていたからだし、そもそも父と話している最中だったこともあるからだ。


 でも、そんなに喜んでまで俺が作るラーメンを求められるのは、これ以上ない幸せなのは確かだ。


 ごほん、と気を取り直して父が俺に向き合う。


「いいだろう……やってみなさい」


「ありがとうございます!」


 俺は感謝を込めてお辞儀をした。

 これで、俺の気持ちを……竹宮さんに喜んでもらうための最高のラーメンを振舞うことが出来る。


 もし、これで美味しくなかったなんて言われて、ラーメンから身を遠ざけられたら最悪だ。真心を込めて、俺の持てる最大の技術を活かして、最高の一杯を作り上げなくてはならない。


 気合を入れるという意味合いで鉢巻を結び直す。


「竹宮さん……見ていてくれ、俺が君の為に美味しいラーメンを作ってみせる!」


 そう高らかに宣言した。


 俺は必ず、竹宮雛乃さんのファーストタイムラーメンを成功させる!

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