第3話 お嬢様は店の匂いが好きらしい
「じゃあ、和樹。雛乃さんに接客を教えてやってくれ」
「おう。分かったよ」
そういえば、どうして父は竹宮さんのことを名前で呼ぶんだ? JKだからか? セクハラおやじなのか?
営業中なので、そのことは一旦置いておいて。
「竹宮さん、ついて来て」
「うん!」
そして、竹宮さんをホールに案内する。
うちはカウンター席とテーブル席があるタイプの店であり、食券制だ。
ピーク時は三人で回す。今日なら、父が調理担当、俺が調理補助とホールの手伝い、竹宮さんがホールで接客を行う、という感じになる。
「竹宮さんにやってもらうことは……」
と、説明をしようと思った時に、お客さんが入って来た。しかも、店で何十回も見たことがある常連さんだ。これは良い練習のチャンス!
「いらっしゃいませ! 竹宮さんも続いて元気な声で言ってみて」
「いらっしゃいませ!!!」
凄い元気の良い声だった。ラーメン屋は元気の良い接客が良いと父から教わっている。ちょっと声が大き過ぎな気もしなくもないが、初日だし別に問題ないだろう。
「こうやってお客様が来たら、まずは元気良く笑顔で『いらっしゃいませ』と言ってね。そしたら、次は『お好きな席どうぞ!』って言ってみて」
「お好きな席どうぞ!!!」
透き通るような良い声が、店の中を木霊している。あまりも、愛想が良すぎるな……、この声なら天下を取れるかもしれない。
「これがお客様を迎える際の基本的な接客。どう、難しい?」
「難しくないよ! とりあえず、お客様が来たらその二つの言葉を言うね。」
そんな風に接客を教えていたら、ちょうど良いタイミングでお客様がカウンターに座り、食券を渡してきた。
「よろしくね」
俺はそれを受け取り、ポットから冷えた水をコップに入れて渡す。
「醤油ラーメンの並、ネギ大盛ですね~」
と確認をする。そして、厨房へと食券を持っていき、父に「醤油、ネギ大盛」と伝えて、食券を磁石で貼っておく。
「こんな感じでやってくれれば大丈夫だよ。あとはまた指示するから」
そう言った俺のことを見つめる竹宮さんの顔色は何故か赤くなっていた。それに、何か、目の焦点が定まらなくて、フラフラしているような……。
「大丈夫、竹宮さん? 体調悪い?」
「はっ!? はい、大丈夫です。ごめんなさい、ちょっとぼうっとしちゃって。ここのお店、凄いいい匂いがしていて、それで、どうしても……」
どこか、恥ずかしそうに体をもじもじさせている。
おそらく店で炊いているスープの匂いが、竹宮さんの嗅覚を刺激しているのだろう。そんなこと、別に恥ずかしがることないだろうに。
寧ろ、俺としては嬉しい。だって、ラーメンなんて食べたこともなさそうな超箱入りお嬢様の彼女が俺の家のラーメンを気になってくれている。舌が肥えていそうな彼女が、だ。
後でトッピング全部乗せしたラーメンをまかないで食べて貰おうと決意する。
「そんなにいい匂いなら、後でもっと堪能してきなよ」
その提案に竹宮さんはぱぁぁと、光が咲くばかりの宙に在る銀河のような、誰もかもの目を引くような喜びに満ちた笑顔を見せる。
……ヤバイ。
美しいとか、綺麗とか、可愛いだとか、そんなものを超越した竹宮さんの溢れんばかりの笑顔に、心を持ってかれそうになってしまった。
良くない、良くない。今は仕事の時間だ。
「……え!? 本当に良いの! そう言われたら私、遠慮しないよ!!!」
「うん、好きになって貰えるなら、俺は嬉しいから」
「その言葉、忘れないからね!!!」
まるで勝利宣言みたいな言い方だった。
「じゃあ、それを楽しみにして頑張って。お客さんが来たら、ご挨拶して、食券を受け取って、厨房に持ってくる。こんな感じでお願いします」
「わかったよ!」
と、説明にひと段落ついたところで新たなお客様が入って来た。そしたら、竹宮さんは俺が促すまでもなく、「いらっしゃいませ!! お好きな席どうぞ」と大きな声で挨拶をしてくれた。
俺は厨房へと向かい、調理補助をする。
そこに、竹宮さんがやって来て、「味噌ラーメンの大盛です!」と食券を置いていった。
大丈夫そうだなと、思った俺は調理補助を行いながら、先ほどの常連さんが食べ終わったところで、お帰りの際の「ありがとうございました!」や、食器の片付けやお冷の継ぎ足しなどを教えた。
少し経っても、竹宮さんは俺の質問の一つもすることなく、接客を続けていた。別に難しいことはない業務ではあるが、初めてのバイトともなれば緊張して、頭がこんがらがってもおかしくない。
お嬢様過ぎて、社交界なんかで場慣れをしているのか。それとも、まかないのラーメンを楽しみにしてくれているのか。後者だったら嬉しいなあ。
何だか、接客に慣れてきて自分なりのアレンジを加えているようだが……今はまだ、口を挟まなくていいだろう。
そんなことを考えていると、ホールの方から良くない雰囲気を感じる。
何年も接客をやっているせいなのか、俺はその場に蔓延る悪意や他人のイライラはなんとなく雰囲気で分かる。
そして厨房から出て見ると、案の定いかにもご立腹といった様子のおじさんが竹宮さんに詰め寄っていた。
「前はライス一杯無料だったのに、今は百円もするじゃねえか。繁盛してるからってさ、客の足元見て、値上げして、金巻き上げて楽しいわけ? なあ? どうなの? 姉ちゃんよ」
竹宮さんは、怯えているというよりかは、どう答えたら良いのか分からないといった様子だった。俺は、直ぐに間に割って入ろうとしたが、それよりも先に竹宮さんが、閃いたように口を開いた。
「よく分かりませんが、お金が足りないなら、私がお出ししましょうか?」
竹宮さんの表情を見る限り、善意で言っているようだが、その言葉はどう考えても煽りでしかない。純粋無垢って怖い。
「てめえ! 馬鹿にしてんのか! この――」
「申し訳ありません。お客様、先月から物価の高騰でライスは有料となっておりまして。あと、大きな声を出されるのは他のお客様の迷惑になりますので、どうか落ち着いてください」
周りから視線を浴びていることに気づいたお客様は、舌打ちをして、食券を押し付けるように渡してカウンター席に座った。
聞きたくもないような悪口が飛び出しそうになる寸前で、何とか止めることが出来て、俺はホッとした。
「大丈夫だった? 少し裏で休む?」
「怒鳴られたときは、心臓が止まるかもって……でも、大丈夫! この空間にいる方が安心できるから」
逆に一人でいる方が怖いってことなんだろうか。そういうことなら。なるべく安心させられるように、竹宮さんの瞳を見て、心を込めて、言った。
「……無理はしないでね。なんかあったらすぐに呼んで」
「……うん」
真剣に見つめ合う形になり、少し恥ずかしかったのは秘密だ。
◆ ◆ ◆
それからの営業は大したトラブルもなく終わった。
強いて言えば、竹宮さんの接客が度を越して丁寧だったことくらいか。
三人で掃除と片付けをしていると、父から呼び出される。
なんか、いつになく真剣な眼差しだった。
一体何なんだ……? と身構えてしまう。
「和樹。お前、雛乃さんに世間を教えるお世話係になれ」
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