第2話 お嬢様、他人の父をお父様呼びする

 今日から新しいバイトが来ることは父から聞いていた。


 どんな人なんだろう、接客業に慣れてると助かるな、なんて思っていた。


 しかし、そこにやって来たのは……。


「こんにちは! 今日からここでバイトさせていただきます竹宮雛乃です。よろしくお願いいたしますわ」


 えぇぇぇぇぇ、うちの新入りバイトって竹宮さんだったの!?


 元気よく挨拶をしてきた竹宮さん。

 俺は動揺しているが、仕事の挨拶なのだからと、取り敢えず平静を装った風に挨拶を返す。


「え、え、ええと。初めましてここでバイトをしています味元みもと和樹です。よ、よろしくお願いします」


 店=ほぼ実家のようなもので、小学校高学年くらいから暇なときは店を手伝ってきた。だから、人見知りという奴には長年、縁がないものだと思っていた。だが、そいつは突然現れた。


 俺がラーメン屋の倅だと知っている奴は多くいる。高校からも歩いて来れる距離なので、顔見知りが来ることだって全然ある。


 だけど、まさか、あの、学校一の超箱入りお嬢様が! ラーメンになんて興味無さそうな超箱入りお嬢様が! 新人バイトだなんて、思ってもみないじゃないか!!


「初めましてじゃないよ。味元みもとくん。一緒のクラスだよ!」


「そ、それはそうなんだけど、さ」


 まさか、俺の名前を覚えておいてくれるとは。基本的に学校で竹宮さんは女子たちに囲まれていて、男子と話すことは滅多にない。俺も記憶違いでなければ、竹宮さんとは話したことはなかったと思うが……。職業柄、割と学校では顔が広い方なので、どこかで憶えてくれるような機会があったのだろう。我ながらちょっと自意識過剰な自己認識だな……。


「あっ、ごめんなさい。味元みもとくんはわたくしの先輩になるわけですから、敬語で話す方が良いかしら。家で働いているメイドからは、そのように聞きましたわ」


 メイドって……そんな人たち、本当にいるんだ。この言葉だけで俺みたいな庶民とは違うような生活ぶりをしていることが分かってしまう。でも、だったら何でバイトを始めたんだろう……?


「いや、別に敬語じゃなくていいよ。クラスメイトなんだから」


「そうだね! 味元みもとくんが言うなら、敬語は止めるね」


 その言葉に竹宮さんの表情はパアッと明るくなった。


 疑問はあるが、そろそろシフトの時間が迫っていた。

 おしゃべりはこのくらいにして竹宮さんを着替えさせないと。

 事務室を漁って、うちの店、松華ラーメンのTシャツを取り出す。


「Mサイズで大丈夫?」


「……? Mサイズってどれくらいのなのかな?」


「えっと……」


 Mサイズがどの程度のサイズか分からないというのは驚きだ。というか、これこそ超箱入りお嬢様と言われる所以なのだろう。世間の常識が欠落している。――とは言ったものの、俺も具体的なMサイズの大きさを知らない。


味元みもとくんも分からないんだ~。同じだね!」


 同じではないと思う。


「取り敢えず着てみて」


「はーい」


 とその場で脱ぎだした。陶器のようなすべすべとしたお腹が見えて、更にその上にある双丘が――。

 ヤバい、ヤバい! 一瞬、思わず見とれそうになってしまう所だった。彼女の尊厳のためにここで止めなくては!


「ちょっと待って!! そこにカーテンあるから閉めて!」


「別に私は味元みもとくんになら見られても良いよ?」


「良くないよ! 何一つ良いことないよ!」


 俺はカーテンを勢いよく閉めた。

 竹宮さんには恥じらいというものがないのだろうか。お嬢様なのに。いや、ただのお嬢様ではなくて、純粋な箱入り娘ということも忘れてはならなかった。

 そんなことを考えているとカーテンの向こう側から声が。


「ねえ、どうして男女って別々に着替えてるんだろう」


 また答えづらい質問だ。それに加えて、真剣に考えるのも嫌な質問でもあるな。


「……それはそういうものだからとしか」


「保育園の時は男女一緒に着替えてたのに、年齢が上がると男女で分けられるのって不思議に思ってるんだ」


「言われてみるとそうかも……?」


 そうかも……って言ってしまったが、そんなわけはない。ある程度成長した男女が一緒に着替えるなんて、無理があることにしか感じない。


「わたしさ、小中は女子校のお嬢様学校だったから、こういう男女のことってよく分からなくて……不快にさせちゃったらごめんね」


 なるほど、竹宮さんがどんな人間なのか少しだけ分かった気がする。多分、無菌室みたいな環境で育って来たんだろう。悪意を受けることもなくて、誰かから守られて、そう在る様に育ってきたのが、彼女なのだ。


 正直羨ましい。人間傷つかなくて良いなら、傷つかない方が良い。


 俺は彼女のように育ってきてはない。傷ついて、逃げるために辿り着いたのがこの場所だった。忙しくしていれば、苦痛を忘れられるかもしれない。そんな理由で手伝いを始めたのだ。


「別にこんなことで不快にならないよ。ただちょっと……心配なだけ」


 そんな気持ちが前に出ないように、心配していることを告げる。


 うちのラーメン屋は常連さんは良い人ばかりだが、接客業なので変な人だって来る。それに傷ついて欲しくないと思ったのも、また本当の気持ちだ。


「心配? ふふっ、やっぱり味元みもとくんって優しんだなって思って」


 やっぱり? そんな風に言われるほど竹宮さんに何かしたっけ、と思ったけど特にそれらしい記憶は持っていなかった。

 

 着替え終わったのか、カーテンを開けて竹宮さんが出て来た。

 うちの制服なのに、どこかラーメン店らしくない。どうしても上品さが溢れ出ている。


「それで、お仕事は何をすれば良いの?」


「基本的にはホールだと思うんだけど……」


 そこまで言って自信がなくなった。仕事の割り振りなんて、俺が決めて良いものじゃない。だが、厨房にいる父に聞きに行くのも面倒だ。取り敢えず、ホールの仕事を伝えて、違ったら、父からまた指示を仰げばいい。


「ホールだと思う」


「うん! 分かった! それでホールって何!?」


 近い! 眩しい! 身を乗り出して聞いてくる竹宮さんが近い! キラキラした彼女の目が眩しい。学校でよく見る竹宮さんの好奇心が爆発してるモードって近くで浴びると、輝きにやられそうになる。


「言葉で説明しようと思ったけど、実際に見せた方が良いかな。ついて来て」


 俺は事務所と厨房を隔てるドアを開けて、竹宮さんを店内へと入れる。

 チャーシューを切っていた親父が、こちらに顔を向け、優しそうに声を掛ける。


「今日からよろしくね。雛乃さん」

 

「お久しぶりですわ! 味元みもとさん。今日からお世話になりますの。竹宮雛乃ですわ。あっ、お二人とも味元みもとさんであられますわね……」


 「でしたら」と竹宮さんは言葉を繋げて。


味元みもとくんのことは和樹くんと、店長のことはお義父様とお呼びしてよろしいかしら?」


 その言葉にギョッとする父。俺もギョッとした。だが、父はにやけた顔で。


「お父様なんて……まさか、息子と……?」


「違うよ! まともに喋ったのも今日が初めてだよ!」


「……どうかされましたこと?」


 焦る俺とは対照的に、さも当然のことみたいな反応をする竹宮さん。彼女はどうして俺がそんなに慌てた対応をしているのか分かってないらしい。


「……だって、竹宮さんがお父様なんて言うから」


「和樹君のお父様だから、お義父様。別に変なことは言ってないよね?」


「……そうだね」


 竹宮さんにとって、人の父親をお父様と呼ぶことには何の意味もないらしい。だったらいいのだ。だったら。


 このたるんでしまった空気を締めるように父が言う。


「さて、それじゃあ、やっていこうか」


「「はい!」」


 この学校一の箱入りお嬢様とのバイトが始まろうとしていた。

 俺は勿論、不安だった。

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