0147 酷に次ぐ残酷。だから修羅の門を


 そつなくこなすのは最低限、生きていく為に必要な技能だった彼女にとってしてみればさぞかし自分は危うくうつったことだろう。大丈夫かよ、こいつ。と本気で案じた。


 ずっと、元いた世界で惨めな、救いのない冷たい生活を送っていたレイリンさん。


 淡々と語ってくれるレイリンさんはさらに自嘲するようにふっと、笑ってみせた。


「家が養子を取って二年が経った」


 レイリンさんの声は少しだけ穏やかになっていた。がそれでも暗い、昏い陰りは消えていなかった。二年、さらに耐えた。耐えて、耐えて、耐え続けた先に、なにが……。


「俺の背丈は一般的な女より高くなっていき、さらに可愛げに欠けると言われたが、同時に体つきはいやでも女のそれとなっていった。膨らんでくる乳房。曲線を描くようになった腰や尻。だからか、義兄たちの俺を見る目が変化した。色欲を帯びたいやな目だ」


「ま、さか」


「毎夜、眠れなかった。いつ襲われるとも知れない俺は自室ではなく物置小屋や厩、父が集めていた武器のレプリカコレクションの部屋だの、屋根裏ですごすようになった」


 レイリンさんが、彼女の体が女性らしさを帯びてきて、義兄たちはレイリンさんを性欲処理に使おうと考えた、ってことか。ねえ、レイリンさん。そいつら殴ってもいい?


 どうしてだよ、なんでだよ、なぜレイリンさんだけが割喰うんだっ!? 辛くすごさなきゃならないんだ。なんで、どうして……っ? レイリンさん、そんなじゃあなたは逃げ隠れするだけで搾取されるだけの弱者じゃないか。逃げて隠れて息をひそめて――。


 でも、そう。だからだったのだろうか。彼女がその世界を、地獄を脱する為に選んだ今世一番の賭けであり、覚悟を問われたであろう選択肢が彼女に舞い込んだってこと?


「……いつも通り、その日は倉庫で寒さにかじかみながら隠れていた。声が、聞こえてきた。弱った、辛そうな、老いた男の声。探すと光の球体が浮いているのを見つけた」


「それが、あの辺境の村の?」


「そうだ。俺に呼びかけ喚んだじいさんとの初対話だった。俺はじいさんが置かれている窮状を聞いて、正確に理解して応えることを決めた。じいさんは戸惑ったが感謝などしてくれて俺を喚びだした。その時、俺は絶対の覚悟を決めたんだ。強くなる、覚悟を」


 ようやく、得心がいった。なぜ彼女が過酷な世界へ渡り、人狼と戦う修羅の道を選んだのか。彼女には他に寄る辺がなかった。否定され、心身共に虐げられて疲弊してて。


 だからこそ、より過酷な道へ。より強さが求められるものの、強さがあれば誰にも否定されない、この世界を選んだ。正しく評価されたくて、自身を見極める意味も含め。


 レイリンさんはもうすでに極限状態だったからこの上命を懸けて戦い、全身血にまみれようとそんなことたいしたことじゃなかった。否定されないだけで、ただそれだけ。


 それだけでよかった。魔物と戦い、勝ちと命を実力でもぎ取っていく修羅道を歩み歩き続けることを選んだ。はじめて彼女に許された選択は彼女をなにより救ってくれた。


 ずっと、ずっと堪えてきた悲しみと苦痛を糧にして、元いた世界への憎しみと絶望を抱えて今なお契約期間を超過して残っているのは単純に帰りたくないから、になるか。


 自分が疑問に思っていたことすべて彼女の幼少期にあった。ひどい扱いを当たり前だと刷り込まれてくだらない固定路を歩かせられる家。そんなものに疲れ、苦しみ……。


 戻る、だなんて選択肢はなかった。彼女にとってはこの世界こそが彼女を認めてくれる居心地のいい「家」になっていた。戻ったところで辛い日々が再開されるだけなら。


 戻らない。行方知れず扱いになっていようとどうでもいい。ただ、「ここ」に、いたいと願った彼女の強さであり、弱さが浮き彫りとなった話だった。でも、悲しい話だ。


 なのに、レイリンさんは……。


「あの村の為じゃない、なかったんだ」


「レイリン、さ」


「俺はただ逃げてきた、だけなんだ……っ」


「そんなこと」


 あの村の為じゃない。私欲で逃げ道に選んだだけだ、と言った。逃げる為に熾烈な戦闘の待つ道に身を投げておいてそんなことを言いますか、あなた。だって、あなたは。


 逃げなかった。人狼という強敵に立ち向かっていったじゃないか。普通の人間なら知るかよ! と言って逃げだすであろう恐ろしい敵に立ち向かっていったんじゃないの?


 なのに、逃げただけ? そんなわけない。人狼退治のクエストをこなしてそのあとも村や国に力を貸していたでしょうに! それをあなたが否定してどうするんですか!?


 それとも、否定され続けてきたから自己肯定がうまくできないのだろうか? だったらだから、クエストの遂行は簡単に自分を肯定してもらえる手段だった。こなせばこなしただけ誰かに喜ばれて「ありがとう」を言ってもらえて、いてもいいんだって思える。


 なにそれ。……悲しい、悲しすぎるよ。


「じいさんには悪いと思った。だが、胸の痛みに及ばないくらい俺は追い詰められていて願っていた。過激な世界であれ、一瞬でも安息があるならそこにいたい、縋りたい」


「そんなの当たり前じゃないですか」


「そう思えるのは、貴様が不幸を知らないからだ、ユウト。世界には俺のなど生ぬるいほどおぞましい酷が広がっているものだ。一滴の水をめぐって争う者とているのだぞ」


「それは、それです。レイリンさんが味わったのだって不幸だったのに違いはない」


 そう。レイリンが味わわされた不幸だって苦くて辛い猛毒だった。それを否定してはいけない、と思う。たしかに自分は世間知らずでのほほんと生きていただけの人間で不幸を知らない生活だったかも。そうかもだけど、だからとあなたの苦痛は見捨てるのか?


 そんなの意味ない。せっかく認めてもらえる世界にいるんだからあなたもあなたの不幸を認めて、正当に苦しいと叫んで救いと助けを求めたっていいだろう。絶対絶対に。


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