0146 いい家だからと恵まれはしない


「俺は母の胎にいる時から公爵家を継ぐ男児だとされてきた。よって生誕の時、絶望と失望の空気に包まれた。兄弟がいれば違っただろうな。だが、母は気位が高く、もう産みたくないと言って聞かず、仕方なしに俺は男らしく、男の仕草を。そう叩き込まれた」


「な、なに、それ……? そんなの、って」


「だからこの一人称が抜けん。赤子の頃からぶち込まれてきた。「お前は男だ。この家を継ぐに相応しい振る舞いをしろ。できないならでていけ。どこぞで野垂れ死ね」と」


「は、はあっ!?」


「ふっ、だから俺は努力したさ。幼心に死にたくなかったし、愛されたかったから。ぬいぐるみも人形も可愛い、とされるものは与えられず、嗜みに盤遊びばかりしていた」


 なんだ、それ。レイリンさんは女の子として生まれたというだけのことで否定されたのか、なにもかもすべてを? そんなのってありえていいのか。しかもできないなら家をでていけだと? 死ね、だと? どんな毒親だったから我が子にそんな暴言を吐くと?


 レイリンさんが望んだことじゃない。それは明白だったし、彼女は努力した、と言ったからにはその努力は並々ならぬものだった筈だ。それこそ血反吐を戻すほどの努め。


 女の子に生まれたのに男らしく育ててやろう、だなんて時代錯誤も甚だしすぎる。無理ですよ、自分には鼻で笑う真似だってできっこない。レイリンさんは家族の関心を引きたかった。精一杯男らしく振る舞って、そうしてでも愛してほしかったから努力した。


 レイリン。はじめて聞いた時どこか中性的で男にも女にも取れる名だな、と思ったっけか、そういえば。……まさか、もしかして本当の名前、与えられた名前ってば――。


「……。レイ・リリーシュン。本当の、正真正銘本名はこっちだ。すまなかったな」


「なんで、謝るんですか。てゆうか、レイって、本当の本当に男として育てようとしたんですか? 娘でしょうが! 大事に育てて然るべき存在じゃなかったとでも? ただ、レイリンさんがレイリンさんとして生まれたせいで、だなんてそんなひどい……こと」


 存在を否定されてきた。女なんかに生まれやがって、と。そんなのどうしようもないことじゃないか。彼女が選んだんじゃない。ばかりか思っただろう。いっそ男に、と。


 彼女こそが強く願った筈だ。いっそ男に生まれたかった。そうすればこの息苦しいのもなくなって、なかったのに。でも、それこそ幼くとも悟っていた。仕方ないんだと。


 ――……ふざけんなっ!


「俺が十歳になった年のある日のことだ」


 自分が彼女の置かれた境遇を理解して憤っていると彼女はなおも淡々と言葉を続けていった。十歳の年。なにかあったんだ。なんだろう? もしかしてやっと認められた?


 レイリンさんが女の子なのは覆らないのだから、だったら公爵家を継ぐ正統な女主人として、淑女の教育を受けさせよう、とか。そうでなくても男の真似事はやめさせる。


 そうして、婿養子をもらおう。……その思考に重大な抜けがあるのはわかっているよ自分だって。だったらなぜ、レイリンさんはこちらの世界に来たんだ、って。だから。


 だから、言わせたくなかった。彼女の心を抉りたくなかった。これ以上に、もう。


 でも、現実というのは常に残酷と知った。


「俺に女の証がでて、父は怒り狂った」


「な、なん、で?」


「男として教育すればでる筈ない、だなどという妄想に取り憑かれていたのだろう。だから養子をもらおう、という流れになった。誰も俺を顧みてくれなかったばかりか、俺ひとりが悪いとでも言いたげに怖い顔、怖い目が並んでいたのは今、なお印象に深いよ」


「養子? なんで、じゃあ最初から」


「……生まれたばかりの我が子を放りだしては世間体が悪いと思ったかなんかだろ。まあどちらにせよ、俺にとってはずっと生き地獄だったが。養子にもらわれた義兄あに共は」


 レイリンさんは一度言葉を切った。養子にもらわれてきた義兄たちのことになって急に言葉に詰まった。と、言い替えるべきか。彼女の瞳には沈痛な色。まさか、だけど。


 そいつらもレイリンさんのこと貶して罵って嘲って虐めたとか言わないでしょう?


 だって、レイリンさんがその家の正式なこどもなのに、女だってだけでなにもかも奪われたっていうの? 認められる機会も、愛される資格も、そこにいていい当然さえ。


 自分の理解を理解してレイリンさんは緩く首を振った。え、違うの? それとも。


「俺は女だからいけないと刷り込まれ、養子のあいつらにとっては目の上の瘤も同然な存在だったが、幸い俺が女だからと容赦なかった。罵倒し、衆目の場で虐めても父はもちろん母も咎めなかった。俺はいない方がいい、いちゃいけない。そう思い知らされた」


「誰も、誰ひとり、庇わなかった、って? 庇ってくれるなんてありえない、って」


 自分は語気が徐々に強くなっていくのを感じて、同時に痛みが胸を刺してきた。レイリンさんが味わった深い絶望には遠く及ばない痛み。でも、想像する。生まれた時から否定に次ぐ否定の日々。女性の証がでてからはさらに苛烈になっていった、差別と虐げ。


 養子たちが来てレイリンさんは余計に苦しく辛い命を強いられた。虐められても耐えねばならない。万が一レイリンさんがやり返したりしたら……。それがわからない彼女じゃない、なかっただろうから。思い知らされた。いちゃいけない、だなんて悲しみを。


 誰にも必要とされない。だから彼女は孤独で、それが当たり前すぎて自分がなにをするにも補助が必要なことにはじめこそ呆れていたのはそういうこと。なんでもこなす。


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