0016 黒さんの名前とクソ犬の暗黒冗句
「そういえば」
「ふも?」
しばらく、店のマスター、ティドさんがつくってくれた豚の唐揚げ、というちょいと謎の料理を空腹に任せてがつがつ食べていたが不意に黒さんが呟くように音を零した。
ので、自分は口の中を空にして受け答える姿勢になっておく。その自分たちの足下ではフロウが魔獣の餌というのをフロウ専用の皿でがつがつ、がりがりいい音立てて貪り食っている。硬めのドッグフードじゃねえか、これ? とは思うんだけどまあ、いっか。
「まだ、名乗っていなかったな」
「あれ? 黒さん、ってみんな」
「親しみこめて、というやつだ。黒、なんて名前なわけあるか。俺は、レイリンだ」
レイリン。なんというか綺麗な名前だけどどことなく中性的だ。男でも通りそうな名前だな、と思ったが言わないでおいた。なんとなく、だが彼女の雰囲気に言えなくなったと言うべきか? どうやら彼女は自身の名前になにか知れない思い入れがあるっぽい。
でも、それはけっしていいものじゃない。黒さんの口調からしても忌まわしい、とかその手の、憎しみが滲む紅い瞳だった。綺麗だけど恐ろしい。奥底に秘めた憎悪――。
激しい感情を滲ませている彼女――レイリンさんを自分はだがどう呼べばいいの?
黒さん、と親しく呼ぶのはなんだかな、と思うもののこの激情を浮かべる名をそのまま呼んでいいものか気を遣うところではある。うーん、いっそご本人に訊いてみるか。
「あの、じゃ、なんて呼べばい……」
「がうっ、あうおう!」
「……あのな、フロウ? 自分は生憎でもないが犬語翻訳機は持ちあわせていない」
「ご主人様と呼べ、クソ犬野郎! だって」
犬語翻訳機なんて未来な文明利器持っていない旨を伝えてみようとしたら急に知らない声が聞こえてきた。声に振り向くと綺麗な女のひとが立っていた。アイシアが着ているのより落ち着いた色味のしかし酒場の女性用従業員服を着ている彼女はなにを言った?
なんか、捨て置けないことを言った気もするんだが、これは気のせいでしょうか?
アレだ。「ご主人様と呼べ」だとか「クソ犬野郎!」なんて聞こえたように思う。
てか、誰、このひと? えらい美人さんだけども。この耳は犬、いや、狼……か?
「アイラ、息災か?」
「あはは、相変わらず黒さんは堅いなあ。それよりフロウの言ったのはたしかなのかい? そのコ、どう見てもひと、ってか人間に見えるんだけど。犬臭くもないし、ねえ」
「人間ですよ! なにを疑っているんですか!? つかアレってフロウの通訳!?」
アイラ。さっきお話にあがった穏健派の人狼だと聞いても全然危なげを感じないのは彼女が身に纏う雰囲気のお陰かな? ふんわりやんわりしていてたしかに穏やかそう。
ってか、それよりなにより問題はフロウのアホな発言の方だ。誰が、誰が犬だ!?
そう思うのに、思っているのに件の問題犬フロウはさらに続けて吠えて訴えだす。
しばし、耳を傾けていたアイラさんはふむふむ、とフロウに頷いて自分に向き直ってくれた。なんだ? すっげえいやな予感しかしないんだけど……。なにを言う気だ!?
「特別にレイリン様の第二の犬になる権利を仕方ないから与えてやる。当然、俺のが数千倍上な? だから、下っ端の駄犬風情が、てめえ如きがご主人様のお隣で同じ飯だなんて図々しいにもほどがあるわ! さっさと床に降りて這いつくばれ! ……犬なの?」
「っんだとコラ、フロウ! 誰が犬だ!?」
「あぁおうおううぉう!」
「てめえに決まってんだろ! ご主人様のお役にすら立てそうもねえ犬、まさに駄犬の分際でこの魔犬一族でも由緒ある血統の俺様にふかすな! 身のほどをわきまえろ!」
「ふざっけんな! なんなんだお前のそのクソみたいな持論は!? アイラさん? あなたも当たり前のようにさも普通に自分に面と向かって犬なのって訊かないでっ!?」
「いやあ、ごめんごめん。だってフロウがあまりにマジで訴えてくるからついね?」
い、犬がマジ訴えしようがどうしようがそれで人間に対して「犬?」って訊くの?
訊いちゃうのか、あなた。そりゃ、どういう次元のひどさだっての。でもわかる。これは人狼云々以前にアイラさんの人格からくるアレっぷり。……アイシアに通じるもんを感じるな、こうしてみると。なんということ。人間、しかも初見のひとに対して犬て。
ああいや、アイラさんのどうこうよりもフロウのアレがダメすぎるだろう、自分!
こ、このクソ犬が……っ。誰が、自分のどこどう見て犬ってか駄犬だっつーの!?
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