第40話 推しの寝顔

 綾森さんの部屋へ再訪すれば、俺は思わず目を疑った。

 ――推しがいる。

 綾森さんルームにクール系アイドルがいるのは当然では?

 違う、そうじゃない。俺は、自分の疑問を自分で打ち払っていく。


「夢喰ナイトメア……っ!」


 銀髪に青と赤のオッドアイ、花柄レースに彩られた漆黒のナイトドレス。以前、お披露目された3Dアバターの全身像と完全に一致していた。

 夢喰ナイトメアが目の前にいる。

 これは現実か? いや夢か。俺はついぞ、白昼夢へ潜る体質に至ったらしい。


「どりーみー、さまよえるメリー。メアに悪夢を捧げる夜会……じゃないようね、今宵の邂逅は」


 ドレスの裾をちょこんと持ち上げ一礼した、夢喰ナイトメア。


「ユーザー名・抱き枕バクさん。あなたの安眠とメアの悪夢、一体どちらが相手を飲み込むかしら? ふふ、試さなくたって結果は夢幻そのもの。夢中にさせてあげるわ」

「本物だあ……」


 いたずらめいた笑みを披露する推しのVに、俺は感嘆するばかり。

 やべ、緊張してきたぜ。握手を願った刹那、手汗が止まらないぞ。ど、どどどどうすればええんやっ。ファンですとアピッとく? 待て、プライベート中に騒がれたら迷惑でしょうが。認知されたんだ、もっと後方腕組満足面で満ち足りなさいよ!


「牡羊くん」

「……」

「牡羊くんっ」

「ハッ」


 夢喰ナイトメアに揺さぶられ、俺は正気に戻った! 別に洗脳されていませんよ。


「キミが喜ぶと思って、メアと一体化したの。けれど、反応が薄いわね……」


 Vtuberの表情が、素の綾森さんを露わにしていく。


「そんなことないって、めちゃくちゃ嬉しい! 自分、感動したッ」

「そ、そう? 良かった。これ、Vのイベントでコスプレイヤーに着てもらった夢喰ナイトメアの衣装セットよ。わたしも一度だけ着た後、気に入ったから買い取らせてもらったの」


 満足げに語る綾森さん。

 自分、それナンボなん? ほんでほんで? 心中、ナニワの血が騒ぐやさかい。


「本当は、この格好を誰かに晒すつもりなかったわ。胸の内に大事にしまっておくものだと思ってたから」

「お披露目されないなんて、全国のメリーたちが猛烈に悔しがっているッ」

「夢喰ナイトメアと一体化した姿――わたしの全部だから」


 これ以上大事なものはないと、顔を赤く染めた綾森さん。

 ただのキャラなんかじゃない。わたしはVtuberで、Vtuberはわたし。

ゆえに、別個で考えられるのは大いに不満である。


「じゃあ心境の変化? 今、俺に披露しちゃってる。影響力皆無で安心だけどさ」

「……他人は知らない。牡羊くんだけ。キミに、特別をあげたくて」

「うぅぅぅっ! ファンですっ」

「知ってるわ」


 美人がオッドアイを瞬かせ、サラサラな銀髪をなびかせた。


「さぁ、矮小なるメリー。メアの枕になってちょうだい。夢魔をノンレムの世界へエスコートしてくださる?」

「メェ!」


 メリーの共通言語として、了解はメエという鳴き声じゃない。古参が怒るメェ。

 推しの人が長い銀髪をリボンで結び、ベッドへ横になった。ドレスの裾がめくれ、長い脚を包んだストッキングがチラリズム。全然見てないけれど、20デニールだ間違いなし。


 綾森さんが空けたスペースに飛び込んで、俺は懐かしい感情が膨れ上がっていく。


「久しぶりだから、妙にソワソワしてしまう」

「椿さんとばかりお楽しみだったものね」

「いや、添い寝の回数は綾森さんが多いよ。今回を合わせて、ダブルスコアか? あかねちゃんは基本、俺を振り回す妹ポジがやりたいらしいし」


 初めから、目的意識が異なっている。ゆえに、張り合う必要はないぞ。


「ふ、ふーん? 特に気にしていなかったけど、それならそれで構わないわ。比べるなんてマネ、子供じみているもの」

「そだねー」


 あいにく、おやつは持って来なかった。もぐもぐタイム終了。バナナがおやつに入るか永遠の課題に挑戦しかければ、いつの間にやら美人と腕を組んでいた。

 こくりと、相手の首が揺れた。


「綾森さん、そろそろ眠れそう?」

「……メアよ」

「夢喰ナイトメア、そろそろ眠れそう?」

「悪くない夢心地ね。悪夢を嗜好する者として、絶対に負けられない戦いになりそう」


 不眠症が抵抗やめなさい。早くスヤァーしないさい、すやぁ~。


「揺りかごに身を委ねる感覚は、まるで童心を想起させる。あ……そろそろ、ダメ……」


 弱弱しい力で手を握られ、芳香と共に柔らかい感触と温もりが伝わった。美少女欲張りセットと、快眠へ誘うメラトニンを物々交換。レートが合わないのは杞憂かい?


「Vフェスは大丈夫? また体調不良で参加できなくなったら、メリーたちが大脱走するかもしれない」

「ん、そうね。由々しき事態。でも、毎日添い寝すれば問題ないでしょう?」

「え、エブリデイッ!? Vフェスまで?」

「当然じゃない……メアの抱き枕でしょ? 安眠を捧げなさい」


 重いまぶたが舟をこぎ始めた、夢喰ナイトメア。


「メリーのくせに、枕営業を迫ったなんてイケない子。今度はメアの悪夢に閉じ込めてあげる」


 生ASMRを囁かれ、俺の自律神経が絶頂間近。お耳、ビンビンですよ!


「もう、意識が限界……」


 逆説的に俺が涅槃の境地へうっかり迷い込めば、先方は最後の気力を振り絞って。


「これが、快眠堕ちね。牡羊くん、あとは好きにして……」


 そう言い残すや、綾森さんは俺に覆い被さって――意識が途切れていった。


「すぅ、スゥー」

「安堵した表情が見れて、良かった」


 綾森さんの寝息と鼓動を感じながら、俺は彼女の背中に手を回した。

 恥ずかしい実妹曰く、くっつくほどメラトニンパワーをおすそ分けできるのだ。今日だけでも、俺が一睡もできないくらいの安眠を分け与えたまえ。

 添い寝で安眠体質がバレた俺、思えば遠くまで来たものである。


 推しの窮地を救うため、この個性を秘めていた。そう考えれば、今までの苦労も水の泡――ハ、まかさ! バブルが弾けるより大変だったぞ、そう易々と水に流せると思うなっ。


 物語の主人公に成長は付きもの。結局、俺はノー成長。進捗ダメです。

 やはり、俺はラブコメ主人公にはなれませんでした。モブとしての矜持は守った。みんな違って、みんな不平等。小学生の頃、そんな詩を読んだなあ。いと懐かし。


「おやすみ」


 眠気と睡魔の妖精がついでとばかり、俺にも手を振ってきた。

 ちょ、嫌そうな顔すんな。長い付き合いでしょうが! これから先もずっとだし、覚悟しろ。はよ、俺も夢世界へ。なんせ、枕営業を迫られたり迫ったりで忙しいからさ。 


 もちろん、夢喰ナイトメアの悪夢を包み込んで添い寝としゃれ込もう。

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