第37話 問診

 ……知ってる天井だった。

 もはや、全ての天井を目にした天上人かい? そんな錯覚を覚えるくらい天丼である。

 保健室の安いベッドで横たわりながら、俺は聞き耳を立てることこの上なし。


「綾森、久しぶりの来訪じゃないか。お前の元気そうでもない顔が確認できて、お姉さんは嬉しいぞ」

「こんにちは、茨先生。朝からわざわざ教室までご足労かけて、昼休みには校内放送で診察させろと駄々をこねられてしまえば、自然と保健室へ寄りたくなりますよ」


「お姉さんの熱意が伝わって感動モノだな。これぞ、美しい師弟関係というやつかッ」

「先生の師弟は牡羊くんでは? はあー」


 綾森さんのくそデカため息でカーテンが揺れた、気がする。

 あと、ぼくはあの先生と無関係です。よろしくお願いします。


「ここ数日、お前の様子を気にかけていたのだがな。フン、診察するに値しない。目元のクマ、充血、肌荒れ、表情の凝り……若さで誤魔化せると思うな、若さで誤魔化せると思うな!」

「あの、どこに二度言う必要が?」


 ナウでヤングに対する嫉妬でしょ。


「嫉妬であるものかッ。お姉さん、まだピチピチの20代だぞう」

「先生?」

「おっほん、オッホン。して、綾森。なぜ、小僧を遠ざける? アレを使えば手っ取り早いだろう? 事実、利用してた時は快調だったはず」

「利用だなんて、彼は道具じゃありませんっ」


 むしろ、人間の方が利用されるんやで。


「不服か。言い方など極めて、詮無きことじゃないか。今頃、牡羊も頷いているぞ」


 う、ううんっ。頷く直前、俺は首を横に振った。

 我が怨敵め、まさかこのカーテン……透け透けだぜ?


「生徒想いな養護教諭ともっぱら評判だ。秘密はペラペラと漏洩しないゆえ、お姉さんに相談しておけ」

「自分で豪語する辺りが茨先生ですね。わたしもその自信を見習いたいわ」

「だろう? 綾森も、ミステリアスビューティーを目指すがいいぞ。お姉さんのステージまで這い上がって来い」


 上から目線止めたまえ。その遥か高みは年齢だけだぞ、アラサー女史。


「牡羊くんに負担をかけるのが申し訳ない。たくさん助けてもらって、ほんとに感謝してるの。いい加減、自分の力で向き合わなければ先に進めないと思って」

「お題目は結構、建前などいらん――腹の底を覗かせたまえ」

「……っ」

「患者なる研究対象は、往々にして嘘をつく。騙したいのは相手か、それとも己自身か? まあ、どちらでも一向に構わん。お姉さんは真実の追及など、門外漢さ」


 研究者肌の養護教諭は、あっけらかんと言ってのけた。

 なぜ、保健室の先生をやってるのか、不思議で仕方がないよ。ぜひ、首にならない謎を名探偵様に解き明かしてほしいね。


「以前お前に声をかけた時のこと、覚えているか?」

「廊下で突然、こいつは使えそうな実験材料だ! ……わたしの手を掴んで、そう叫んでいましたね。職員室へ逃げ込もうと思った体験はアレが初めてです」


「よせ、あまり褒めてくれるな。お姉さん、無償の感謝にめっぽう弱いんだ」

「いえ、褒めてません。悩みがないか悩みは持ってないか悩みを作ってくれないか!? 執拗に迫られて、変質者やストーカーの恐怖――その片鱗を味わいました」


 アラサー女史、そんなことしてたのか……

 心中、枕営業のアテンドじみた行為に疑念を抱いていたぼく。お巡りさん、この人です。


「世の中、ギブ&テイクじゃないか。タダほど怖いものはないと言うだろう? ゆえに、お姉さんの好奇心を満たす代わりに、お前の悩みを解決してやる。ククク、欲望のせめぎ合いとはなかなかどうして愉悦だな」

「こんな人の口車に乗ってしまうなんて、わたしはとても追い詰められていたのね。黒歴史を消すには、どうすればいいのかしら? 口封じ、先生を抹消……?」


 完全犯罪を企てていそうな美人学生。

 メインキャラっぽいアイドルが犯人、ストーリー的にアリだろう。

 俺が真犯人の場合、犯人はお前だッ! え、あの人誰!? 部外者を入れるな! 推理ショーがグダグダになるので、容疑者候補から無理やり外されちゃう。悲しいね。


「うむ、強情な奴め。正面切って口を割らすのがこれほど億劫とは。自白剤……いや、冗談だ。こぶしを突き上げるんじゃない、お姉さん痛いのに弱いんだッ」

「ハア、帰ります。先生のおかげでとても疲れました。今夜はぐっすり眠れそうだわ」


 綾森さんの影が立ち上がり、そのシルエットが動いたタイミング。


「待て、綾森。忘れ物だぞ」

「バッグから何も出していませんけど。わたし、不毛な冗談に付き合う余裕が」

「――今は、お前の抱き枕じゃないか。ちゃんと持って帰りたまえ」


 もういいぞ。彼奴の一言を合図に、俺はカーテンを開け放った。


「綾森さん! 添い寝の依頼、承ります!」

「牡羊くんっ!?」


 心底驚いたと言わんばかりに、美人があんぐりと口をパクパクさせていた。

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