第30話 ニアミス

 電話恐怖症、ご存じだろうか?

 近頃の若者の過半数が感染した現代病である(厳正なる当社調べ)。


 着信音が鳴れば、ビクッと身体が反応してしまう。知らない相手とやりとりを想像するだけで強迫観念に迫られてしまう。若いバイト君、社会人一年目はとにかく電話応対から逃れるが為、無からイマジナリー業務を生み出すほど忌避感に支配されるのだ。


 俺もまた悟り世代の末席を汚す者として、重大局面を迎えていた。

 ――トゥルトゥルトルゥー。トゥルトゥルトルゥー。

 普段、通知音しか発さないスマホが鳴った。


「家の電話でさえ憂鬱になるのに、一体どうしたらいいんだ……」


 ……出れば、良いと思うよ? 相手はずっと待ってる。このままじゃ、お互い不幸さ。

 心中、普段辛辣なもう一人のぼくが優しく諭した。


「で、でも、俺にはできないっ! 相手が望む対応なんて! 完璧にこなせるはず、ないじゃないか!?」


 ……いいから早く出ろぉおおーっ! ウジウジすんな、クソ雑魚ナメクジ野郎っ!

 最後まで理解者であれ、もう一人のぼく。逆に落ち着いちゃったぞ、逆に。

 俺は、はあと深いため息をついた。出ればいいんでしょ、まったく。接客業でハキハキと元気に働くスタッフ、マジリスペクトだぜ。コミュ障オタクには無理っす。


「ひゃいっ! 牡羊ですっ」


 噛んじゃったのは仕様です。初手、失敗。電話切りたい……もうダメぽ。


「牡羊くん? わたしよ、わたし」

「あ、ワタシワタシ詐欺は間に合ってるんで! この通話、録音されてるんで。それじゃ」


 なんだ、フィリピン刑務所からの詐欺か。実行犯だけ捕まえてもトカゲのしっぽ切りゆえ、もう少し泳がせよう。


「メリーのくせに生意気じゃない? 悪夢に蝕まれるナイトメアの恐怖、ご覧になって?」

「夢喰ナイトメア! 逆凸ってやつ!?」

「綾森だけど」

「綾森さん! 一体、どうしたというのだね?」


 知り合いだった。よくよく考えると、電話画面に名前が表示されている。

 いやあ、リアルガチでスマホの通話なる機能を使わないんだもん。悲しいね。


「特別用ってほどじゃないけど電話したくなったの。今、忙しかった?」

「俺はいつも暇だよ。年中無休で暇。暇を持て余して忙しいくらい」

「言ってる意味は分からないけど、分かったわ。えっと……昼頃に、メアがVカフェオープン記念の配信を」

「家でばっちり見てた。推しの活躍に感動した! 体調不良から、復活したんやなって」


 オタクくんさぁ、アニメとかの話になると急に早口になるよねーwww。

 あかねちゃんがこの手のギャルだったら、俺はもう死んでいる。


「ふふ、ありがとう。この調子だと、Vフェスも大丈夫そう」

「夏休みにデカい会場で開催するイベントだっけ?」

「所属事務所関係なく、トップ勢から新人まで参加できる最大規模のお祭りよ。Vtuber festival・通称Vフェス」


 夏が近くなると、広告バナーをよく見かけた気がする。


「自薦他薦問わず、運営から当選メールが送られるの。一か月くらい前、招待状を確認する配信で盛り上がったわ」

「え、その配信は知らない」


 推しのお知らせは常にチェックしているはずなのに、メリー失格ってコト?

 刹那、天啓が下った。

 俺は会場に足を運ぶ系が苦手なんだ。周囲が同志と言えど、大勢の中根源的ぼっちを突き付けられるのがキツいっピ。


 ――畢竟、俺の無意識がリアルイベントから目を逸らさせていたんだッ!

 な、ナンダッテー!?


「当然、牡羊くんは見に来るのかしら? メアの出番もちゃんとあるわけだし」

「いや、その、入場チケットが高くてさ。ははは」

「わたしが用意すれば問題ないのね」

「拒否します! 推しの中の人から金を借りたら、もう普通のファンを名乗れない」


 配信者より先に、リスナー引退するしかあるまい。せめて、思い出作りのワンチャンか。

 俺にプライドはないものの、譲れない線引きが己の矜持を誇っていた。


「お金じゃなくて、チケットを渡すだけよ。正確に言うと、電子証明書ね」

「うーん、V本人から特別に譲渡されるのがよろしくない的な?」


 俺は事務所の関係者や近親者、株主でもあらず。ごくごく普通な一般視聴者。

 癒着を疑われる行為をするな、歴戦のメリーは寛容かもしれない。さりとて、ネットの海は油より可燃性が強い。火のない所に煙がファイアーである。

 綾森さんにうんぬんかんぬん理由を述べるや。


「今更じゃない? わたしとキミは添い寝した浅はかならない仲でしょ」

「それは、推しの不眠症改善って明確な理由に納得しまして」

「じゃあ、一緒に寝たのは思い出したくない過去なのかしら?」

「綾森さんと添い寝なんて、めちゃくちゃ幸運でしょ! ラッキー、ハッピー! いやっ、安眠のおすそ分けはあくまで依頼の範疇だけどさ!」


 苦しい言い訳を強いられるや、綾森さんの声は明るかった。


「つまり、牡羊くんは嬉しいけど素直になれないわけね。大人しく受け取ってくれる?」


 ついダメな理由を作ってしまうのが、俺の悪い癖。性質ゆえ、治らんのですよ。


「このままじゃ雑談配信で、不眠症改善は添い寝フレンドのおかげだと喋ってしまう気がするのよ。ちょうど今、枠を取りそうな勢いなの」

「やめろ、夢喰ナイトメア! メリーたちへ、リアルガチの悪夢をデリバリーすんなッ」

「紹介するわ、メアの枕――ユーザー名・抱き枕バクよ」

「うわぁぁあああーーっっ!?」


 俺が原因で、推しにラストライブを飾らせる。

 ある意味、一躍有名ライバーに躍り出せるだろう。炎上商法、極まれり。


 考えるまでもなく、そのワイルドカードを切らせてはいけない。ジョーカー、悩みでもあるん? ほな聞くで、ファミレス行こかぁ~。

 似非関西弁を駄弁るほど、辟易としたさかい。


「……チケット恵んでください」

「もちろん、枕営業のお返しにちょうどいいと思ったの」

「そだねー」


 俺は、何とかなれーと叫ぶ気持ちでいっぱい。欧米かぶれよろしく、両手を広げた。

 会社ではイエスマンが出世する一端を体験した気分。こんな社会、誰が作った!?


「あと、その……もう一つお願いを言ってもいいかしら?」


 綾森さんの頼みに関して、総じてかまへんモードへ突入しかけたタイミング。


「兄ピぃ~っ! お風呂、沸いたんですけど! もち、親睦深めるっしょ? 兄妹水入らずみたいな!?」


 リビングでテレビを見ていたあかねちゃんが、ひょっこりはん。


「沸かしたのか、沸かしてないのか。どっちなんだい!」


 沸かしたら、水ではなくお湯なんですよね。根拠は虚構大学の論文に載った、温度です。

 そんな屁理屈をのたまうのは、一休かぴろゆきくらい。


「牡羊くん? そっちに誰かいるの?」

「いや、妹だよ妹。マイシスター」

「センパイが友達と電話なんて、ガチレアじゃん! 梨央っちに教えてあげるし」

「早くっ、風呂入ってきなさい。肩まで浸かるんだぞ!」


 電話を耳から離したり、離さなかったり。無駄に洗練した無駄な動きを披露していく。


「うち、センパイの背中流そうか? こんなサービス滅多にしないんですけど」

「いやあ、気持ちだけで大変ありがとう。今、立て込んでるからっ」

「気のせいかしら……? 今、知り合いによく似た声が響いたわ」

「ザ・気のせい! 俺のスマホ古いし、音質が悪いんだよ」


 はあはあ……コミュ障に会話のマルチタスクは荷が重いぜ。

 厩戸王もとい聖徳太子さん、アウトソーシングのご依頼してよかと。


「てか、センパイ。電話の相手、マジ面倒そうじゃん? うちがハッキリ断るっしょ」

「ちょ、ま」

「もっしー、兄ピの友達ですかー? 兄ピさぁ、可愛い妹と大事な触れ合いタイムなんですよねー。今からもうずっと忙しいじゃん? そろそろお暇キメるんで!」


 疲れからか、不幸にも黒塗りの格安スマホを奪取されてしまう。俺を慮り全ての対応を引き受けたあかねちゃんに対して、電話の相手・Vtuber綾森さんの反応とは如何に――


「……椿さん?」

「んにゃ?」

「綾森よ」

「……瑠奈っち!?」


 あかねちゃんが奇声を発するや、俺に視線を寄こすばかり。

 ギャルの困惑気味に、俺はそれ以上困るしかないのだが。


「どうして、椿さんが牡羊くんの電話に出るのかしら?」

「え~、偶然が産んだシチュ的な!? うち、梨央っちとマブっしょ? センパイと面識あってもおかしくないじゃん」

「確か、彼の妹さんでしょ。けれどさっきの言い方……まるで、あなたが妹みたいなニュアンスだったじゃない? ぜひ教えてほしいものね」

「はい、はい。いえ、そんなことは、そうですね、はい」


 正座で相槌を打っていた、パツキンギャル。

 俺は、謎の力関係が働いているなと思いました。


「瑠奈っちにガン詰めされたじゃん! これが業界の可愛がりみたいな!?」


 ぴえんマジ無理案件らしいので、結局スマホを押し返された。


「あー、ただ今変わりました。牡羊です」

「牡羊くん」

「牡羊です」

「説明を」


 妙な圧を感じたぞ。いやさ、別に悪いことはしてないぜ。思い当たる節は一つのみ。

 もしや、お腹空いてるのかな?


「最近、妹の友達と仲良くなりまして。あかねちゃん、遊びに来た状況でございます」

「あかねちゃん、ね……それだけ?」

「特別語れることはないよ。綾森さんのセンシティブも、俺は他人に喋らないし」

「そう。キミが気遣いの人だって、知ってるわ。そこは信用してるから」


 一拍の間を経て、美人の小さな吐息が届いた。


「詳細に関しては、今度会った時に彼女を問い詰めましょう」

「優しくしてもろて。綾森さんとあかねちゃんの組み合わせとか、ちょっと意外」

「事務所関係で何度か交流した程度よ。意外と言うなら、むしろわたしの感想ね」

「確かに。まあ、知り合いの知り合い的なニュアンス方面の調整具合でよろしく」


 本当は、妹に成り代わろうと画策するギャルです。え、それなんてギャグ?

 内情のお披露目はそれぞれ、お互いで済ませてください。オタクくん、ギャルゲじゃないと手に負えない。選択肢が出ない現実はクソゲー、ハッキリ分かんだね。


「あっ、そいや! お願いの件、何だっけ?」

「それは今度、牡羊くんが空いてる日にまた――」

「兄ピぃ~、ママっちが激おこプンプン丸なんですけど! 早くお風呂入らないとすき焼き抜きなんて鬼ヤバじゃん。てか、一緒に済ませれば時短テクみたいな!?」


 俺は、あかねちゃんの必死な形相としょうもない企みを右から左へスルーしながら。


「月一の贅沢ぅぅううう! 始めるのか、今ここで! すき焼きぃぃいいいーーっっ!? 綾森さん、ごめん! すき焼きが待ってるんで、俺は入浴を強いられているんだッ」

「??? えぇ……よく分からないけど、よく分かったわ。私のことは気にせず、いってらっしゃい」

「うぉぉおおおーーっっ! 牛肉争奪、いざ戦じゃーっ!」


 心中、ブオーンとほら貝を鳴らした。我が家で高いお肉を食らうことすなわち、常在戦場なりや。牛か死か・デッドオアビーフ。敗者は白米に焼き肉のタレでもかけてろ! いとも容易く行われる残虐な所業に、幼い獏少年は滂沱の涙を流したのである。


「すき焼き食った後、兄ピと添い寝ってそマ? 休日のシメが、ヤバいっしょ」

「牡羊くん? 椿さんが今、添い寝って――」


 臨戦態勢に入った俺は、通話を切ると同時にベッドへ放り投げていく。

 いざ赴かん。リビングなる戦場へ。

 手始めに、我身を清めんと欲す。

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