第16話 吐露
綾森さんの自宅訪問コーナー。どんどんぱふぱふー。
彼女の住所は知らなかったものの、俺の最寄り駅と急行で一つ隣だった。
駅から徒歩5分の高層マンション。シャレオツな外観がモダン模様。
分譲? 賃貸? 家賃ナンボなん? 心中、ナニワの好奇心が騒ぎ立てるでホンマに。
エントランスから綾森さん家がある五階へ向かった。エレベーターではお互い無言のまま、目的地までぎこちない緊張感が背中を湿らせる。
「おもてなしできないけど、入って」
綾森さんが自宅の扉を開いて、俺を招いてくれた。
約束通り? 俺は半目で推しの部屋まで案内された。
モノトーンを基調とした家具が設えられて、観葉植物とベッドに鎮座するぬいぐるみが彩りを添えた。刺身のつま的な? あれ結局、捨てちゃうから入れないでほしい。
せっかくオサレなアンティーク風ドレッサーに、半眼でパッとしない青少年が映し出されている。鏡よ鏡よ鏡さん、いや急に曇り始めたな!? 自分、美少女しか反射しないというのかね? その気持ち、分かります!
「その子は気まぐれなの。すぐスモーク張っちゃって、大変だわ」
「不思議の国の掘出し物かな? 骨董品には魂が宿るやつッ」
本当は怖いワンダーランド。うさぎを追いかけるな、好奇心はアリスを殺す。
ラブコメ主人公を見習い、俺は鈍感力で諸々の疑念をスルーした。
「やっぱり、Vtuberはパソコン周りが違うなあ」
「初めは配信環境を揃えるだけで大変だったわ」
広めのデスクには、液晶モニターが二台。虹色にキラキラしたゲーミングPC、マイクスタンド、ヘッドセット、ミキサー、ウェブカメラ、ゲーム機、キャプチャボード。
他にも周辺機器が並んでいたが、キーボードとマウスのゲーミング光線が眩しくてそれどころじゃないね。目が、目がぁ~、これにはムスカ大佐もたじろいじゃう。
「うぅ、うぅ……」
さりとて、俺は別の意味でバルスってた。
「牡羊君、どうしたの? お腹痛いの?」
綾森さんが心配そうに、俺の背中をさすってくれた。ちょっと、永遠にお願いします。
「腹痛痛いのくだりはさっきやった。じゃなくて、感動モンですよ、これはぁ」
「どういう意味かしら」
「だって、ここは推しが活動する空間! 聖域と書いてサンクチュアリ! 俺の好きなVtuber・夢喰ナイトメアはここにいる……っ!」
そして、感涙である。
……オタクくん、泣いちゃったじゃーん。ウケるぅ~。けど、良かったね~。知らんけど。
心象風景のギャルも、祝ってくれた。ビジュアルイメージは、妹の友人。
……妄想するな。お前がここにいる理由は何だ。勘違いするほど地獄が待ってるぞ。
心中もう一人のぼくはあいかわらず、辛辣だった。血も涙もないのかよ、ないですね。
「確かに、メアはここから始まったわ。それを純粋に喜んでくれる人がいて、本当に嬉しい。わたしの活動が無駄じゃなかったって、教えてくれてありがとう」
ぺこりと首肯した、綾森さん。
「引退する勢いのしみじみとした雰囲気やめて。なるはやで復帰してもろて」
「じゃあ抱き枕になってもらわないと」
推しの中の人がくすりと笑う。
リビングで着替えて来ると言われ、俺は安眠グッズの片付けを頼まれた。
ラックを開くや、別の安眠グッズの山が顔を覗かせた。触ると長くなりそうゆえ、ギューギュー詰めに押し込んでいく。
「湯たんぽ、入らないッピ!」
すごく、大きいです……いや、ほんと場所取るな。
仕方がなく、隣の引き出しへしまおうとした瞬間。
「そこはダメっ!」
「え?」
美少女の必死な抑止も虚しく、パンドラの箱が開け放たれる(スライド)。
冒険者の目に飛び込んだのは、白いフリフリなリボンや水色の花柄レースを刺繍した下着の数々。俗に言う、ランジェリーであった。
「これはある意味、値千金――金銀財宝ゲットだぜ?」
おいおい、パンドラボックスくん。君は絶望を世にまき散らす迷惑系解放者では?
畢竟、牡羊獏の答えは導かれた。真の希望、見つけたり。
解脱の域に至る寸前、綾森さんが淡々とした表情で。
「君は何も見なかったの」
「いいえ、学園のアイドルの下着を拝見しました」
「何も、見なかったわ」
背後にゴゴゴと可視化するほどのプレッシャー。
俺の生命をかけた抵抗など虫けらのごとく、ついぞ魅惑の花園は落陽を迎えた。
「何も、見ながっだぁぁああ……っ!」
「そうよ。牡羊君の後頭部をコントローラーで殴打せずに済んだわ」
嗚咽交じりの俺と安堵した綾森さん、共にうんうんと頷き合った。
「勝手に開けてごめん」
「わたしが頼んだことじゃない。リスク管理が甘かったわ」
「俺がリビングで待たせてもらって、お茶しばいとけばね」
「早く寝るつもりで、その発想が抜けちゃったの」
そして、赤面である。
「もうすぐお昼ね、何か食べてく? よければ、何か注文するけど」
「いや、ウーバーイーツより安眠を先にデリバリー」
どちらかと言えば、出前館派です。出前がスイスイスーイ。
俺は、いつでもどうぞと依頼人を促した。
「じゃあ、またお願いできるかしら?」
ピンク色の光沢感あるシルクのパジャマに着替えていた、綾森さん。
保健室の安っぽいベッドに対して、ふかふかのセミダブルへ潜り込んでいく。
小さくて可愛いで人気なぬいぐるみ(大きい)を退かせば、小心で可愛くない抱き枕(大きい)を置くスペースを作った。
「準備万端、って……コト?」
「うん」
綾森さんが上目遣いで、顔の半分まで布団を被ってしまう。
もしや、この可愛い人は可愛いのか? 流石、推しの中の人だぜ。
よく分からない理論で納得しつつ、俺はお務めを果たそう。
同級生の美人と同衾をキメるのは、正直意識せざるを得なかった。いかん、俺の枕営業は健全がウリである。クライアントに劣情を催すんじゃない。
上質なマットの感触と、それを上回った柔らかさが肌に伝わる。なにがピローミストや、学園のアイドルさんは健康に効く匂いを振りまいているぞ。
息を継ぐ度、揺れた肩が触れては離れていく。安眠の兆しを捉えたところ。
「メアをどこで知ったか、きっかけを聞いていい?」
「知り合いが応援しろって頼んできた。その日はちょうど暇で、試しに視聴したらあれよあれよとチャンネル登録。それまでVってコンテンツに興味なかったけど、夢喰ナイトメアの楽しそうな姿に――惹かれた」
椿さんとVの話題が全く盛り上がらないゆえ、布教ではなく紹介しただけみたい。本人の希望通り、名前は伏せておく。
「メアの活動が人づてに広まっていく。こんなに嬉しいことはないわ。ありがとう」
「単に、そっちが工夫と努力を継続させたから。リスナーの力は所詮、百分の一さ」
まして、俺はスパチャというシンプルなマネーパワーが圧倒的な不足である。
「わたしだけはしゃいでも、あの空間は作れないでしょ。メリーを呼んでこその集いよ」
こちらへ顔を傾けた、綾森さん。長いまつ毛を瞬かせ。
「中学の最初の頃まで、根暗だったの。目立つのも喋るのも苦手で、陰キャのエリートよ。そんな自分が嫌いなのに、何もしない。自ら動かなければ、何も変わらないのにね」
さらに、秘めた心情を独白していく。
「ある日、Youtubeを見てたら、トップ画面にVの配信が表示されたの。何気なく覗いて……これだと思った! わたしもこの世界に行きたい。欲しいって叫びながら、手を伸ばしちゃって。誰かに目撃されたら、ほんとに恥ずかしいくらい」
綾森さんは、その光景をまぶたの裏に広げて懐かしんでいた。
「それからVtuberのオーディションにドキドキしながら参加して、どうにか合格して、大変だけど少しずつ視聴者を増やして――」
ふと、夢の軌跡が途切れてしまう。
「それでも、人気が出なければ卒業。事実上のクビ。足掻いて足掻いて、好きでもない興味のないものばかり飛びついて、節操なく手当たり次第に流行を追いかけて」
あまつさえ。
「気づけば、ストレスで不眠症。空回りが自分の首を絞めるように、結局メアと一番大事な場所を失いかけちゃった。お笑い種ね」
綾森さんは全く、笑っていなかった。
推しが抱えた悩みにどんな返事が相応しいのか。俺の軽口では、誰も救えない。
いや、役に立つ体質を備えているじゃないか。病気みたいなおかしな個性が。
「よし、綾森さん。余計なこと考えず、ぐっすり寝よう! 業腹だけど、我が怨敵・茨鈴蘭がこんな風にのたまった――悩みがあるなら気持ち良く寝て、忘れてしまえ!」
彼奴の嘯きに習うのは、まことに遺憾である。
さりとて、クラスのアイドルを救うためならばプライドなど捨て去っちゃう。
断じて、美少女とキャッキャウフフを狙った目論見のためにあらず。違うったらっ。
「うん、しまいこんでた気持ちを吐き出したら、すごく楽に……」
こくり、こくりと。綾森さんが首を揺らしていく。
「おやすみ」
「おや、す……み……」
安らかな面持ちで吐息を漏らすや、彼女は深い眠りへ誘われていった。
快眠のおすそ分けか。と独り言ちる俺。
本来モニター越しのやり取りで留まるはずのVの中の人と、リアルガチで一緒の時間を共有していた。他のリスナーに申し訳なさを感じつつ、高揚感が溢れ出てしまう。
せめて、夢喰ナイトメアの早期復帰に繋げるから許してクレメンス。
抱き枕の役目は、始まったばかりだ。
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