第11話 推しがため
両者、睨み合い。
どすこいファイトよろしく立ち合いの刹那。
ここは俺の得意技うっちゃりで、勝負を決めようと思考を巡らせていくや。
「話はまとまったかね? 若人たちよ」
イスに座ったままシャーッとスライドしてきた、茨先生。
「あ、先生! 今、緊迫の雰囲気出してるんでっ。後にしてもらえますか?」
「む、シリアスな場面こそミステリアスビューティーの出番だろう? 貴様の目は節穴か? 冗談は、顔性格能力態度その諸々だけにしておけ」
「全否定やめろ。俺が引きこもったら、仕事が増えるぞ?」
この養護教諭、一部界隈で生徒想いと評判である。確かに、優しいとは言ってないね。
「小僧にはもっとリアクションを鍛えさせるとして……さて、手弱女よ。己で説得すると断じたゆえ見守ってやったぞ。首尾は上々か?」
「いいえ、まだです」
綾森さんが首を横に振った。
「結局我慢できず、割り込んできた茨先生のせいでまだ返事を貰っていません」
「そうか。彼奴は優柔不断でな、いちいちワンテンポ遅いが許してやってくれ」
「……」
沈思黙考。俗に言うガン無視である。
俺は、自称ちょっとだけ年上のお姉さんを視界フィルターから完全排除。綾森さんの提案に集中しよう。パスカルおじさん曰く、人は考える葦なのだから。
――実は推しでアイドルな女子と添い寝でドキドキ急接近っ!?
哲学サイコーッ! 時代はフィロソフィー! テストでいつも、ルソーとルターを間違えちゃうっ!
ふぅ……考えるだけで哲学タイム。パスカルもパンセにとんでもない事を書き残しやがって。じゃあ、仕方がないな。俺、哲学の授業が4番目に好きだし。
――我、推す。故に、我在り(誤訳・推しがいる生活って、素晴らしいよね)。
これには、デカルトおじさんも肩を組んでニッコリ。
閑話休題。
俺はくだんの人物へ視線を向けていく。
「綾森さんが夢喰ナイトメア……俺の推し……」
「突然言われて信じられないかもしれないけど、何か証拠を見せればいいかしら?」
「その辺は、ツブヤイターいやエッキスを更新してくれればすぐ分かるし」
「今日の昼休み、友達に人気のない所へ連れ込まれて……一緒にお弁当を食べました」
彼女がそう呟いて、スマホを操作した。誘拐犯佐々木は強引でした。
フォロー中のメア様のアカウントから同じ文言が通知される。不正で俺を騙してもメリットが薄すぎる。やはり、本物か。
「牡羊君のアカウントはすぐに予想できたわ。バクって名前だし、チャンネルとメンバー登録までしてくれる人はあまり多くないから……」
ヒューっと冷たい風が吹いた。全窓閉まってるのに不思議だなあ。
「なんか、サーセン」
「ううん、わたしの実力不足だから……」
気まずい空気が流れる中、リスナーとしてVを励ませねば。そんな使命感に駆り立てられた俺の邪魔をするのはもちろん。
「そう気を落とすな。お前が目指すものに奮闘した結果、ストレスを生じて不眠症になってしまったわけだ。疾く養生したまえ」
「茨先生の配慮、痛み入ります。早く元気になって有名になります」
「うむ、お姉さんはぶいちゅーばーなる連中を全く以って知らないのでな。認知度が低いのは綾森だけが原因じゃないよガハハッ」
全然フォローになってないのは杞憂にあらず。
さりとて、暗雲立ち込めど、雰囲気ブレイカーが役に立ったね。初めてこの養護教諭をリスペクトした瞬間だよ。時代は空気を読まない力かもしれない。
綾森さんが柔和な笑みを携えて向き直った。
「牡羊君。さっきの提案だけど、お願いできるかしら?」
「まあ、推しの頼みは協力せざるを得ない所存な心境です」
見せてもらおうか、アイドルと言われる所以・その可憐さとやらを。
「ククク、素直になりたまえ青少年。美少女にあんなことやこんなことができる建前を手に入れたとほくそ笑んでいるな」
外野は黙っていてもろて。
まるで、親戚のおばちゃんに早く結婚しろとうざ絡みされる錯覚を打ち払って。
「改めて、君の能力を体験させてほしいの。今、ここで」
「まあ、おあつらえ向きにベッドはあるけどさ」
「若人たち、保健室をラブホテル扱いかね? 性衝動の発散は他所でやってくれ」
外野は黙っていてもろてパート2。
先生、ズッコンバッコン言うんじゃありません。セクハラ案件やぞ。
「ら、ラブホっ」
かーっと赤面がてら、両手で顔を隠してしまう綾森さん。すごくエッチだと思います。
「養護教諭、レッドカード累積100枚。永久追放」
エーミールばりの侮蔑な眼差しを送り続けること幾星霜。
アラサー女史が珍しく白旗を上げた。
「やれやれ、ここはお姉さんのホームだろうに。むろん、大人のお城――」
「城主、討ち取ったり」
邪魔者をキャスター付きチェアに乗せて、シャーっと廊下へ押し流す。
牙城は崩れ去った。
「しばらく校内で困ってる子がいないか見回りして来なさい」
「牡羊、分かっていると思うが……90分以上は追加料金だぞ。ゴムなら引き出しに入れておいた。たとえ劣情を抑えきれなくとも、ちゃんと使え」
バシャンッ! カチャリ。ドアは固く閉ざされた。
下ネタ大好き女史と決別を果たして、俺はくるりと振り返った。
やれやれ、おかげさまでとても妄想に走る気分じゃないね。学校で評判のかわいこちゃんと接触を許されたというのに、添い寝は業務対応のテンションで臨まなければならない。
茨鈴蘭、弱腰男子の緊張をほぐしやがって。
純粋な青少年を弄びつつ、必要なら背中を押す。それが奴の常套手段である。
先ほど綾森さんが隠れていた個室のベッド。感触を確かめる俺。
「とりあえず横になってみて」
「うん」
綾森さんは上履きを脱ぐと、ベッドで仰向けになった。長い黒髪を2本に束ねて両手を組んだポーズ。それが普段寝る姿勢らしい。
彼女の真っ白な大腿部が眩しく、男の悲しき性ゆえか次第にスカートの聖域へ視界が引き寄せられていく。俺は悪くねえ! ベストプレイスが悪いんだ!
「どうしたの?」
「いや、大丈夫。邪念は払ったから」
こくりと首を傾げた綾森さんに、俺はブンブン首を振るばかり。
「添い寝の方法だけど、一緒に寝ます」
「それが添い寝でしょ」
「俺の経験上、できるだけくっ付いた状態ほど効果が発揮されるんだ。妹はそれを、メラトニンパワーと呼んでいる」
「変わったネーミングね。大丈夫、分かったわ。君のやり方で、どうぞ」
わたしの隣、空いてますよ? そんなノリで空いたスペースをポンポン叩いた。
可憐な乙女にベッドへ招かれるなんて、すこぶるハニートラップ。人の秘密は蜜の味。
「失礼します!」
最終面接よろしく、ハキハキとした挨拶だったね。
俺はブレザーを脱ぎ、綾森さんの隣で横になった。腕を組もうとすれば、ひょいと避けられてしまう。控えめに言って、超絶ショック。うそぉ、生理的にってやつ? ぐすん。
「わたしも上着、脱いだ方がいいのかしら?」
「あ、そのままでも大丈夫。体感、素肌が触れ合う方がメラトニンパワーは増えるけどさ。良かった、馴れ馴れしくするなって拒否じゃなくて……」
「自分からお願いしておいて、ひどい振る舞いじゃない? 今日はまだ恥ずかしいから、ブレザー一枚脱ぐだけで試させて」
不服そうに頬を膨らませた、綾森さん。
改めて彼女と腕を組んで、身を寄せ合った。
普段は妹とベッドイン(健全)なわけだが、此度は意識せずにはいられない。極めて冷静を保ったものの、真横でクラスの女子――見目麗しく、推しの正体と密着しようとは。なかなかどうして、ラブコメ主人公である。持て余していた個性もたまには役に立つ。
「……すぅ……すぅ……」
自称一級添い寝コンシェルジュの俺、クライアントの艶めかしい吐息が生ASMRでちっとも落ち着かないね。加えて、石鹸のような香りが鼻孔をくすぐり地獄。実質、ヘブン。
「すごいわ。いつも睡眠薬頼りなのに、段々脳が休んでいく感じがするの」
「俺はいつもと勝手違いで困惑中」
「わたし、何か変かしら?」
「綾森さんは全然大丈夫。サイコーです」
ふふとほほ笑んだ相手に、俺は参ったと呟いてしまう。
「わたしは、またあの場所に戻りたいわ。メリーたちに会いたいな」
「夢喰ナイトメアを皆待ってるよ」
「ありがとう。Vtuberは元々、仕事で始めたことなんだけどね。続けるうちに楽しくなって、あそこはもう一つの居場所だから」
視線を送るや、綾森さんは目をつぶっていた。
「君に気付けて良かったわ。わたしの半分、一緒に取り返してください」
ギュッと手を握られる。小さくて柔らかい女子の手に、力強い意志が宿っていた。
「も、もつろんっ」
噛んじゃったのは、仕様です。
ったく、これだからDTは。美少女の体温感じてキョドるんじゃありませんよ!
「……」
返事がない、無視だろうか。セクハラなら土下座と等価交換である。
もう一度、綾森さんのお顔を拝見したところ。
「うん、安らかに眠りなさい」
綾森さんが、油断しきった表情で吐息を立てていく。
夢喰ナイトメアが復活するには、ハードな配信生活に耐えうる体調を整えなければならない。彼女の不眠症改善に俺の体質が使えるならば、存分に利用してもろて。
俺は、メリーさんで羊。メエメエ鳴かず、黙って抱き枕。絶賛、枕営業中。
ふと、友人の言葉が脳裏をよぎった。
――推しは、推せるときに推せっ!
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