第12話 枕営業

 知ってる天井だった。

 そりゃ、保健室だからね。見慣れたものさ。

 眠りの深さに自信がある性質だが、俺の目は冴え切っていた。一睡もできなかった。メラトニン代わりにドーパミンがドバドバだったかもしれない。


 綾森瑠奈、ベッドを共にした男を満足に寝かせないなんて恐ろしい女っ!

 不眠症が嘘のように夢見心地な美少女の寝顔に、俺が恐れおののけば。


「う~ん」


 ごろりと、寝返りを打った。

 綾森さんは布団を払い除け、しかし、布団の温もりが忘れられず、身近なもので済ませようと――気付けば、俺に乗りかかる形まで寝転んでいた。


「綾森さんっ」

「にゃ~ん」

「可愛い返事だけど!」


 目と鼻の先、学校のアイドルのつむじ見つけたり。新大陸発見の喜び、その再現性が半端ない。これが俺様の腕に抱かれて懐に飛び込んできなというやつか。そうだよ。


 ではなくて、いろいろと感触がありがとうございます!

 図らずも感謝の念を発するほど、綾森さんの抱き心地が快楽のそれだ。

 ……抱き枕が発情してどうする? 無に徹して悔い改めろ。


 心中、もう一人のぼくが辛辣だった。平常運転、ヨシ。

 名残惜しいなる感情の真の意味を悟ったが、渋々元の位置へ戻すことを決意した。


「添い寝は、定位置管理が大事だから」

「みゅ~ん」

「クッ、なぜ抵抗を!」


 さりとて、綾森さんが俺の脇下に腕を回してガッチリ固定。おまけに、胸の辺りへ美人面をグリグリ押し付けられて昇天寸前だ。吐息、こそばゆし。もっと美少女を自覚して?


「もしや、すこぶる寝起きが悪いってコト……?」

「(こくり!)」


 大変良い返事でした。

 若い男女がくんずほぐれつの様相で、ベッドがキィーときしむ。嫉妬かしら?

 ベッドのきしんだ音を聞きつけるや否や、颯爽と奴が舞い戻った。


「情事の最中か!? お姉さんは一向に構わん! 続けたまえッ」

「構え、構え! 養護教諭の責任を果たしたまえッ」

「フ、お姉さんの責任感なぞ性欲獣の前では脆く儚いだけさ」


 そして、ドヤ顔である。


「俺にそんな度胸はないですよ。小心者なんで」

「確かにな! 貴様は男子高校生のくせにリビドーが圧倒的に足りん。あぁ、実に嘆かわしい……」


 大げさにため息をつき、白衣を翻した茨先生。不躾に綾森さんの寝顔を観察して。


「眠り姫は未だ午睡を貪っておるか? 良い傾向だな、小僧を使った甲斐がある」

「別に疑ってないけど、本当に不眠症かってくらいグンナイ」

「可愛い生徒から何度も相談を受けた以上、無下にはできんよ。たとえ、牡羊のよく分からん変態性でもな」

「さいで」


 俺は、やれやれと肩をすくめた。ラブコメ味を感じるなあ。


「う、ん……」


 騒音おばさんもとい保健室の主がうるさかったらしい。

 綾森さんは眠気眼を擦って、パチクリと覚醒していく。身体をぐね~と弛緩させ、目前の人物へピントを合わせた。


「牡羊君……っ!? え、あの、これって、もしかして」

「いや、違う。これは冤罪。それでも俺は、やっていないっ!」


 驚く美少女に、慌てる少年獏。


「ふむ、手弱女は大事なものを奪われたのだ。喪失と言うべきか?」

「……っ」

「シャラップ! 空気と一体化してろっ」


 茨の野郎(女性)っ! その無駄にセクシーな唇を塞げ!

 俺がどう言い訳するか、考える人ばりに考えていたタイミング。


「ごめんなさい、わたし実は寝相が悪いみたいなの」


 綾森さんが、申し訳なさそうに飛び退いた。


「よく寝た時と向きが逆だったり、枕に足を乗せたり、ベッド下で起きて頭をぶつけたり」


 挙げ出したらキリがなくなるので割愛。

 恥ずかしそうに目を伏せてしまった、綾森さん。


「はは、よくあるよくあるー。ところで、しっかり眠れたみたいだ」

「そうだわ。頭のモヤが少し晴れたみたい。起きた時の嫌な感じがないの」

「自分、添い寝で安眠体質なんで」

「ふふ、理想の枕に出会った気分かしら?」


 綾森さんが嬉しそうで、何よりです。

 俺と彼女にちょっとだけ信頼関係が結ばれた途端、早速切断厨の気配あり。


「ふん、若い連中がイチャイチャ盛りおって。お姉さんの嗜好は修羅場だろうに。延長料金を払わないなら、他所に移って続けたまえ」


 俺たちは大人の魔の手により、保健室をポイッとつまみ出された。


「綾森、しばらくそいつを試してみろ。ダメなら予定は諦めて、大人しく療養するがいい」

「ありがとうございます、先生。わたしのわがままに応えてくれて」

「問題ないさ。なにせ、お姉さんに負担は一切かからないじゃないか」


 茨先生はドアに寄りかかると、俺へ一瞥をくれた。


「牡羊が活躍するチャンスを作ってやったぞ。恩師の配慮だ、感涙に咽べ」

「感動の連続で逆に涙腺枯れ果てました」

「ふむ、素直になれないのは思春期ゆえか。それもまた若さだよ」

「全然ちげえぇぇーーっっ!」


 人はなぜ相互理解できないのか。俺はその本質の一端に触れた気がする。

 願わくば、この養護教諭と永遠の別れを済ませつつ、俺たちは帰宅の途に就くことに。


 校門を出れば、茜色の夕日が差していた。

 歩道を往来する人影が伸びる中、重大案件を察知した牡羊青年。

 ……もしかして俺、クラスのアイドルと一緒に下校しちゃいました?


 徐にチラリズムするや、あぁ何と言うことでしょう。黒髪ロングの美少女が肩を並べているじゃありませんか。両手で持つカバンを揺らす姿は、芍薬・牡丹・百合の花。

 欲張り三点セットでフラワーアレンジメントにしゃれ込む寸前。


「牡羊君」

「はいっ」

「男女2人で学校帰るの、照れちゃうね」

「そだねー」


 中学時代の流行語が飛び出ちゃうくらい、緊張してるったら。

 冷や汗をかきながらすこぶる冷静なフリに徹した、俺。フリである。


「綾森さんはすごい人気だし、別に慣れたもんじゃないの?」

「わたし、元々根暗だったし……青春っぽい経験は少ないわ」

「意外! イケイケリア充1軍ど真ん中コースとばかり」

「華やかなタイプが一番縁遠いかしら」


 綾森さんはそっと目を伏せた。

 彼女が華やかじゃないなら、誰が華やかというのだね? もちろん、見た目ではなく内面の話だろう。すごい綺麗な人だけど、クラスの中心人物とは言えない。


 周囲をワイワイ盛り上げる明るさより、クールでミステリアスの印象が強い。本能で生きるアラサー女史と対極だなあ。


「そういうの全部含めて、Vtuberきっかけで改善したの。わたしも変われるんだって」


 綾森さんは、自分に言い聞かせるような口調で。


「だから、変われるわたしを取り戻さないといけないわ。絶対に」

「メリーの悪夢も溜まる一方だ」

「夢喰ナイトメアの復帰は、君の添い寝にかかってる」

「普通、責任って肩にのしかかるものでは?」


 そうかも、とほほ笑んだ綾森さん。


「でも多分、大丈夫。わたしの枕、ほんとに寝心地が良かったもの」

「枕営業、皆には秘密にしてもろて」

「弱味を握られちゃったね。これからいろいろ要求されちゃうんだろうなー」

「え、良いんですか!? 今、何でもって」


 ――言ってない。

 俺の願望は推しの復活なので、結局同じ結論へ帰結していく。


「安眠がご入用ならば、どこでも呼んでくれ。メラトニンのおすそ分け、承ります」

「わたしは毎日、快眠希望だわ。牡羊君、忙しくなりそうかしら?」


 綾森さんの質問に、俺はわざとらしく両手を広げてみせた。


「まあ、寝るだけで案外暇を持て余すかもね」


 本日、ついぞラブコメ主人公の役回りが巡ってきた可能性大。

 手始めに、自宅に戻りがてら今期のラブコメ作品を視聴しようと思いました。

 アマプラ会員で良かったー! プライムビデオは作品がたくさんあるんだぜ!

 ダイレクトマーケティングやったんだ、年会費無料にしてくれぇ~。


 俺が取らぬドラの皮算用にいそしむ間、綾森さんはきょとんと首を傾げていた。

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