第9話 茨鈴蘭

 放課後こそ、青春グラフィティにおける一丁目一番地。

 ある者は目標に向かって部活動で汗をかき、かの者は恋人と愛しさや切なさを享受する。


 悪友たちも各々、いっちょ青春かましたるっ! そんなノリで二年一組を後にした。

 放課後のスケジュールが真っ白な俺が一人取り残されるのは必定。


 青春敗北者の汚名を着せられるものしょうがないね。実に空虚だよ。

 青春弱者に人権はない。スクールカーストの不文律なりや。


 まあ、中条高校にイジメなんて存在しないさ。所詮、形骸化した暗黙のルール……とはいえ、なかなかどうして負の世界遺産は登録抹消されてくれない。可及的速やかに滅せよ!


 世間一般が俯瞰して、俺は青春を謳歌できない可哀想な奴だ。

 夢や希望もなく、怠惰な帰宅部は早々にただ消え去るのみ。

 …………

 ……


 よっしゃぁぁあああーーっっ! 爆速直帰でゲームするぜぇぇえええーーっっ! 俺が青春敗北者だって? ああ、そうだそうだとも! 否、だからどうした案件やで。思い悩める学生諸君、世界が学校だけだと思うなよ? 俺は大局を眺めちゃう。


 俯瞰気取りにいと憐れまれようとも、好きなものを追いかけたい。引きこもろうが、精神的外出を心がけよ。

 確固たる決意を胸に、俺は枷だらけな牢獄もとい高校に別れを――


「貴様の屁理屈は感心させられるな。どれほど薪をくべども、くすぶらせるとは面白い」

「漫然と無為に過ごす若人へ、情熱メッセージを送ったつもりなんですが」

「フン、ごたくも五目も並べるな。働け、青少年」

「労働と呼ぶ行為は貧富の格差を生む悪の権化だと思いますね」


 放課後ラプソディに興じられぬまま、俺は今保健室にいた。


 目前で足を組んだ茨鈴蘭先生は、その名の通り棘と毒しかない養護教諭。胸元が開いた白衣にタイトスカートを合わせ、網タイツまで履いている。深紅の唇に添えられた泣きボクロが、マンガに登場するセクシーキャラよろしく大人の色気を醸し出していた。


「む。今、この妖艶な才女をいてこましたいと嘯いたか? 欲情してくれるな、エロガキめ。しかし、この場で裸体を晒せば特別にたらし込んでやろう」


 大学生と騙りパパカツができそうなアラサー女史がうふんと科を作ったので。


「突然、中年男性くらい性欲が減退しました。まだまだ現役だと思ったのに残念だなあ」


 青少年という生物は、構造上九割が性欲らしい。今日から残り一割で頑張るしかあるまい。マカ枯渇。

 スポーツ新聞の広告に載った精力剤に手を出すべきか悩んだところ。


「お姉さんだって、生意気なガキより渋いナイスミドルを嗜好してるんだ。牡羊みたいな小僧を手籠めにする趣味はないさ」


 そう言いながら、茨先生は懐に手を伸ばすやタバコを取り出して――


「おっと、いけない。ここではマズいか」

「校内は禁煙です」

「フ、また警報機を鳴らすのは始末に悪いだろう」

「またって、あんた……ダメ大人が!」


 先生に対する風前の灯火然とした尊敬ポイントが今、消え失せた。

 火の不始末は厳禁、ハッキリ分かんだね。

 茨先生に俺が批判的な眼差しを向ければ、反面教師はバツが悪そうな表情で。


「分かった、分かった。反省するとも。勤務中の一服は電子タバコで我慢しようじゃないか」

「ダメだ、この養護教諭。全然反省してねー」


 残念アラサー美人、ヤニカスにつき。ちなみに、競馬もパチ屋も嗜むらしい。こりゃ結婚の道が遠のくわけだ。早急に寿退社の夢叶えてください。オッズは100倍。

 とんだギャンブルに巻き込まれたぜ、と頭を抱えた俺。


 悩める生徒の原因が本人などと露知らず、茨先生は相談に乗ってやろうか的なドヤ顔を披露する。まるで、保健室の先生だなぁーと思いました。


「そんなことより、貴様を呼んだのは他でもない。歓喜に咽べ、楽しい部活の時間だ」

「いや、俺帰宅部っす」

「ならば委員会だ。責任を持って任に励めよ」

「委員会って確か、先生は保健委員の顧問では? 俺、美化委員ですけど」


 月に一度、ゴミ拾いしてます。俺は環境に優しいのに、地球は俺に優しくない。滅びよ!


「貴様は文句ばかりごねおって。ろくな大人にならんぞ?」


 やれやれと落胆しやがった、茨先生。

 そういえば、保健室なのに鏡が見当たらないね。通りで、道理で!


「つまるところ、例の依頼だ。お前の安眠体質を有効利用した、な」

「予想はしてた」


 俺の病気、もしくは個性。過剰睡眠の件は、茨養護教諭に話していた。

 否、白状させられたと言った方が正しい。

 何度も寝坊で遅刻した結果、なぜか先方に診断される流れになった。どうせ信じてくれないと現状を包み隠さず披露した結果――なんと、信じた。


「それは実に、面白いじゃないか!」


 あまつさえ、興味深い研究対象もといモルモットを捕まえたとテンションぶち上がり。


 生徒の心配より、自分の好奇心を優先する辺り流石は茨鈴蘭だぜ。まあ、変な気を使われる方が面倒である。事情を把握する大人が増えたとポジティブシンキングに努めよう。


 控えめに言って、極めてすこぶるダメ大人だが。


「治す方法? お姉さんが知るわけないだろう? 自分で考えたまえ」

「一体全体、寝不足な生徒を捕まえて俺に添い寝させるのは何ぞや? 斡旋やめろ」


 事情を知った茨先生が、たまに俺を保健室へ呼び出すのだ。

 理由はもちろん、俺の体質が生じさせる快眠作用を使った生徒助け――ではなくて、実験大好きサイエンスのお時間。せめてメラトニンおすそ分けのメカニズム、解明しろ。


「悩みさまよい眠れぬ子羊どもに、健康で文化的な最低限度の高校生活を送らせる。それが、裏・保健委員会の使命――生存権だッ」


 バンッと机を叩き、ニヤリと笑みをこぼしたアラサー女史。


「裏・保健委員会っ!? ついに活動ネーム付けやがった!」

「どうだ、秘密結社みたいでかっこいいだろう? 存分に心躍らせたまえ」

「まるでワクワクしねぇーっ! 小学生だってもっと工夫を凝らすわ!」


 頭痛が痛くなるね。怒声で怒鳴るとはこのことか。違うよ。

 俺が若者らしく日本語の乱用に励めば、茨先生はしゅんと気落ちして。


「そうか……自信、あったのだがなあ」

「先生は表・保健委員会で! 益々のご活躍のほど、お祈り申し上げます」


 誠に残念ながら、今回のネーミング採用は見送らせてもらいます。


「それじゃ、俺は忙しいので帰ります。レベル上げとか、スキル構成。コンボの練習、やらなきゃいけないことがありすぎる」


 俺は、積みゲーの消化を強いられているんだ! 今月も予約ゲーが2本あるんだもん。

 くるりと踵を返すや、逃げ出す勢いで保健室のドアに手をかけたタイミング。


「止まれ、小僧。大事な話はここからだ」

「止まらないね。先生の暇潰しにはもう乗りませんよ」

「依頼人を散々待たせたんだ。お姉さんではなく、彼女と向き合うがいい」

「何、だと……?」


 茨先生が視線を送った先は、カーテンで遮られた個室のベッドスペース。

 果たして、カーテンを揺らして現れたのは予想外の人物で。


「牡羊君。やっと今朝のこと、話せるわ」

「あ、綾森さん!?」


 流石、学園のアイドルは伊達じゃない。直帰するつもりが、目を離せなくなってしまう。

 申し訳程度にひょっこり顔な美少女は、不覚にも可愛いと思いました。

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