第5話 綾森瑠奈

 朝の通勤ラッシュは混雑この上ないものの、降りる社畜が乗りこむ社畜を上回った。

 のんきな欠伸をかました学生より、疲れ切った社会人が目立つね。アレが将来の姿か。


 未来に対する茫漠な不安を鈍感力で回避しつつ、偶然空いた席に滑り込んだ俺。

 通学の電車で初手座れるのは、ラッキー。朝番組の運勢うらないも良い感じって言ってた。


 早速、その幸運が発揮されたらしい。

 隣の座席で、学校で美人と評判のクラスメイトが読書に興じていた。


「あ、どうも」

「おはよう」


 俺は、綾森さんと会釈を交わした。

 綾森瑠奈さんは所謂、学園のアイドル。

 一度でも見てしまうと、視界にずっと入れていたくなる綺麗な顔立ち。真っ直ぐ伸びた長い黒髪が艶ややかに眩しく、男女問わず虜にする宝石のような瞳を瞬かせた。


 個人的には透き通った声色が一押しだけど、それを指摘できるコミュ力を持っていればなあ……お近づきになれたかもしれない。勇気、Amazonでポチれるかしら?

 たとえプライム会員でも、買えないものはある。セールは意外と、欲しいものほどお得にならない。そんな当たり前に直面しつつ、俺は切り替えることにした。


 目下、一番の懸念は例の配信である。

 推しの活動休止という右ストレートにノックアウトされ、きちんと視聴できなかった現実と向き合わなければならない。


 イヤホンを装着がてら、YouTubeを起動。夢喰ナイトメアのチャンネルにはアーカイブが残されており、昨日の配信をもう一度振り返ることができるのだが……

 ゆ、指先が震えてやがるっ! サムネまで一センチの距離がこれほどまでに遠いのか!


 封印されし左手が疼きやがるぜっ! そんなノリだが、至って真面目なテンションです。

 スーハーと深呼吸。覚悟を決めた。

 電車の揺れを置き去るや、俺は緊急配信の内容を吟味していく。


 昨日の記憶と照らし合わせると、どうやら活動休止は体調不良が原因らしい。毎日配信を続ければ、疲れも生じてしまう。ではなぜ休まず無理をしてしまったのか?


 Vtuberは未だ隆盛衰えず、群雄割拠の時代だからだ。

 Vtuberとは動画投稿や配信、特定のジャンルに特化したり、企業の宣伝活動などを行っている。綺羅星のごとき輝かしい存在が誕生する度、どんどん数を増やしていった。


 しかし、その分人気競争も苛烈。あの手この手で再生数を稼がなければ、瞬く間に星屑なりて燃え尽きてしまう。掴め一等星。それが成功の証である限り。


 俺の好きな夢喰ナイトメアはもちろん一等星……いや、ごめん。認知度はそれなりの中堅……いや、嘘だ。正直に言おう。贔屓目に言って、ブームだからとりあえず参戦しました感満載な二番煎じオブ二匹目のドジョウ。3Dアバターのレベルは高いものの、キャラと設定はプロが考えたか怪しいレベル。サキュバス系のキャラ、いっぱいいるし。


 畢竟、大手と比べればクソ雑魚Vやねん。

 さりとて、俺は夢喰ナイトメアが好きでありファンである。彼女の配信ににじみ出た素人感にハマり、お金をかけた売れるモノと異なる味がクセになるのだ。

 強力なバックアップに頼らない天然由来の魅力が広まれば、あるいは――


「ねえ」


 夢喰ナイトメアの中の人が健康の範囲で、生活できる程度稼げる人気を得てほしい。


 俺が金持ちの子なら、スパチャという投げ銭したんだけどな。いかんせん、財布に全財産3980円しか入ってない貧乏学生でして。今日、定期代で3000円持ってかれる。


「君に言ってるんだよ」


 ゆさゆさと揺らされた。誰だ、Vtuber講義を邪魔する奴は? 絶対に許さんぞ。

 やれやれと鬱陶しそうな表情を作って隣に視線を送れば。


「やっと気づいた」


 綾森さんが俺に興味を向けていた? 絶対に許した。

 真っ先に考えたのは、ワァイ? なぜ?


 学校の有名美少女に声をかけられるとか初体験ゆえ、緊張が止まらない。先方が小道に咲くお花を愛でる姿はバえるだろうが、路傍の石を慈しむのは心配になっちゃうよ。


「それ、何見てるの?」

「耳に馴染む声だなあ」


 一種の既視感、か? 控えよう、非モテの妄想。


「ん?」

「っ!? いや、違うって! 独り言だってアハハッ」


 支離滅裂なのは仕様です。自分、テンパっちゃってさ。

 早く誤魔化そうと、オタク特有の早口でまくし立てていく。


「これは、アレだよアレ! YouTubeでオススメ動画をてきとーに流し見しちゃう感じ! いやあ、朝の通学にピッタリな暇潰しだぜ! 隙間時間の穴、貫き通せッ」

「そのわりに……熱心に視聴してたけど? 問いかけに応じないくらい、やけに真剣な表情で」


 綾森さんは淡々とした口調で、容疑者に疑惑の目を向けていく。

 輝かしい虹彩に俺が一瞬怯めば、彼女がスマホへ視線を落とした。


「っ、メ――Vtuber……好きなの?」

「え、何だって?」


 美少女の綺麗な瞳が眩しくて、よく聞こえないよー。

 まるで俺、ラブコメ主人公みたいだなぁーと思いました。


「それ、Vtuberの配信画面でしょ。見たことあるもの」

「へ、へー。そうなんだー。全然ちっとも気付かなかったなー」


 思わず、すっとぼけてしまった俺。

 いや、これにはハッキリ理由がある。曰く。

 オタクにとって、距離感は生命線なりや。

 たとえ、相手が同じものを好きと嘯けど、容易な信用にあたらず。


 得意げに好きなものを語って外してしまえば、爆死は免れないゆえ。


 ……こ、これは友達の話だがっ! アタシもブイチューバー好きなんだ~と話しかけられ、えマジで俺も最近見始めたんだけど切り抜き動画の無免許暴走バスシミュレーターめちゃくちゃ面白くない!? バスは飛ぶもの、悪質タックルからの交通ルールを語るシーンがサイコパスでさ――


 ……ご、ごめん。そこまでは詳しくないかなぁ~。あはは、じゃあアタシ用事思い出したから行くね……

 ――ふぁぁぁああああアアアア~~~っっっ!?


 刹那、俺は背筋へ寒気が走りやらかしたと悟ってしまう。否、友達の話だったらっ。

 つまるところ、同じ轍は踏みたくないわけで。


「ま、まあ、綾森さんの気を引けるようなコンテンツじゃないってきっと!」


 言い訳ついでにスマホの電源を落とすや、ポケットへ隠すように無理やりねじ込んだ。


「そう……」


 何かを言いかけたような素振りを見せるも、その逡巡を振り切った綾森さん。

 一拍の間を経て、彼女は俺に興味を失ったらしい。文庫本を取り出すや、活字の世界へ旅立っていく。俺も現実世界から、俺TUEEEなファンタジーへ誘われたいものである。


 そうだ。気まずくなる前に、狸寝入りにしゃれ込もう! 本当にうたた寝をキメてしまえばくだんの体質で寝過ごしてしまうゆえ、ほんとに寝たふりだぞ?


 誰得な前フリはさておき、目をつぶれば此度のやり取りを振り返っていく。

 本当に俺は、夢喰ナイトメアを知らないと否定されるのが嫌で会話を打ち切ったのか?


 はたまた、己が学校のアイドルに侮られることを恐れたのではないか?

 目下、自信を以って前者を選べないのが悔しいところ。リスナー・メリーとして、他のメリーたちに恥ずかしくない生き様を心がけたいものである。


 電車のアナウンスが鳴り響いた。もうすぐ高校の最寄り駅。

 そろそろ降りる準備と、よっこいしょういちしたタイミング。

 こくり、と。肩に何かぶつかった。


「うん?」


 現状の確認に努めよ、右腕に柔らかい感触が押し付けられていた。むしろ、体重を預けられている? つまり、肩にぶつかったのは隣に座る人の頭だったんだよ!

 稀代の名推理が炸裂したものの、現状に変化なし。


「綾森さん?」

「……」

「あの、当たってますよ。俺が一方的に得してますけど?」

「……」


 返事がない、ただの微睡のようだ。

 学校一の美少女に寄りかかられちゃうなんて、やはり俺はラブコメ主人公だった? 頼りがい溢れる腕っぷしにしな垂れかかっちゃうのは仕方がなし?


 残念ながら、俺は現実と妄想の分別ができてしまう。どうせ、俺の個性・メラトニンおすそ分けが原因でしょ。知ってた。ぐすん。

 綾森さんの油断しきった表情は目に、鼻孔に流れた芳香は猛毒である。ついでとばかりに、彼女の黒髪が俺の耳をくすぐるかのごとく弄んだ。


 こんなん、好きになっちゃうやないか。思わず告白して秒でフラれそう。俺は被害者だ! 告白を強いられたんや!


「そろそろ起きないと、遅刻するぞ。触るのは、あなたのためだから」


 言い訳、乙。

 イケメンじゃない俺は油断した瞬間、セクハラから痴漢事案に発展しかねないからね。


 周囲が交わした怪訝な視線の中、俺は学園のアイドルを起こすために揺さぶっていく。


「うぅん……」


 嫌々と抵抗したらしい。寝返りよろしく手すりの方を向いてしまう。

 右腕が味わう素晴らしい温もりが離れていく。控えめに言って、超絶名残惜しいね。


 いやさ。この思い出を胸に、薄暗い青春時代を乗り越えよ。暗闇へ一筋の光差せ。

 ……俺? 学校のアイドルに抱き着かれたことあるけど? お前ら、未経験なん?

 ニチャアったちょうどその時、電車が駅に到着した。


「お疲れみたいだし、先行くよ? ちゃんと起こそうとしたから!」


 ちっとも反応なし。もしかして、俺が嫌われてるだけかもしれない。

 肩を落としながら電車を降りた、俺。朝が辛い社畜より、ため息の重さに自信あり。


 プシューとドアが閉まると同時、やはり気になって振り返ったけれど。

 夢心地な眠り姫は、ゆりかごに揺られるかのように旅立っていく。


「綾森さん、すこぶる疲れてたんだなあ。良い夢、見ろよっ!」


 そう言って、俺はホームの人混みをかき分けて学校へ向かうのだった。

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